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紺碧塔物語/第二部

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 口を挟んでしまったことに激しく後悔したが、今更発言を引っ込めることもできない。残り二人の八戦聖はあくまでも傍観を決め込むつもりのようだった──長身の女、スキはともかくとして、リンドバーグ教授に至っては明らかに居眠りしているようにも見えたが。
 それでも、この拷問の時間を少しでも有意義なものに変えようと思うのならば、自ら発言して会議を進めるしかないのだ。結論など出るはずがないと知ってはいても、それを求める姿勢を崩していい理由にはならない。
 羊皮紙に適当な文字列を書き連ねながら、いかにも気乗りしない様子でソライロは言葉を続ける。
「──それならば多少は生存率も上がるのでしょうし。私みたいな子供が戦場に出ることについては、それこそ今更の議論ですわよ。力を持つ者は、相応の責任を負う。騎士叙勲を目指した時点で、その程度の覚悟はしているはずですもの」
「……そ、そうは言うが、ソライロ殿。学生の時点で剣術科と魔術科を並行して履修している生徒など、そうそういるはずが──」
「いないとは言わせませんわ。イド教室のレガートなんていかがですの?」
「彼は──」
 会議室がにわかにざわついた。彼らの間に走る感情を無理矢理分類するとしたら、それはやはり恐怖ということになるのだろう。突き放すような目線で観察しながら、ソライロは内心で嘆息する。市民を支配し統制するはずの貴族達が、揃って一市民を──しかも二十歳にも満たないようなただの学生だ──恐れるというのは、理屈で言ってもおかしい話だった。だが現実として彼らはその名が壇上に出されたことだけでも怯え、発言を躊躇っている。
 ──たいした効果ですこと。
 《仙人》レガート・L・ランドを特別恐れなければならないような理由は、表向きにはどこにもないはずだった。アイガンバン騎士養成学園──通称紺碧塔学園において、何か華々しい成績を残してきたわけでもない。体術、学術科目共に成績は中の下といったところで、それも担当のイド教師による補講がなければ怪しいところだったろう。ここ一年は欠席率の高さが目立ち、除籍処分すら検討されたことがある。優等生に区分されるどころか、むしろ彼は劣等生の類だった。
 だがそれでも──そうであるにも関わらず、彼はイド教室に在席している。
 下級騎士でありながら、対人暗殺技術を極めた異端の騎士、イド・カンタトゥムの教え子。彼女が極端に生徒を選り好みする気質だということは広く知られていたし、ここ数年はまともに新入生を受け持っていないことも知られている。現在教室に在席する六人の生徒にかかりきりで、これ以上手広くはやれないというのがイドの言い分だった。
 成績も素行も不良、遅刻と無断欠席の常習犯であるレガートを、それでもイドは手放そうとしないのだ。
 ──それだけでもう、《仙人》呼ばわりされるには充分ですわね。
 人間種族には本来扱えないはずの獣魔術、人化魔術までも駆使する天才。
 表舞台に出ることを何より嫌う、無気力の塊とまで呼ばれるレガートは、過去たった一度だけ学園内である事件を起こしている。そしてその一件だけで、彼は貴族をも心底から恐怖させることに成功したのだ。
 味の悪い沈黙が会議室を支配する中、マンナと呼ばれた肥満男が懸命に抗弁してくる。
「か──彼は、その、例外だろう。確かに剣術、魔術と履修してはいるが、成績優秀とは言い難い──」
「それでも単位を落としてはいませんわよ? むしろ驚異的な成績ですわ」
「だが、彼のような生徒がそう何人もいるわけがない──というよりも、彼一人しかいないだろう? ならば戦力として扱うわけにはいかない。騎士軍は組織だ。個人に依存するわけにはいかん」
 マンナの言い分を聞いていたスキが、小さく肩を震わせるのが見えた。聖女と称される女性が激昂してこの肥満男を叩きのめすよりも早く、ソライロは鈍重な呆れを滲ませた声音で尋ねる。
「個人を兵力として換算しようというのが、そもそも私達を今回ここに招集した目的なのでは? それは依存とは言わないんですの?」
「ソライロ殿らは八戦聖だろう! 私は義務と権利の話をしているのだ。諸君ら八戦聖には特別な権利が与えられる代わりに、一兵卒以上の戦力であることを義務付けられている! だが一介の学生にそれ程の戦力を期待できるわけがないし、特別な権利を約束することもできん!」
「ならば一介の学生に兵卒であることを強いて、代わりに何の権利を約束するつもりですの?」
 ──つくづく、子供の言い合いですわね。
 認めるしかない。だが、およそあらゆる厄介事は幼稚な議論によってしか解決できないのもまた事実だった。本当の大人か、あるいはプロというものは、そもそも厄介事が起きる前に予防線を張っておくものだ。いずれ必ず訪れる戦役から最も遠い場所に椅子を並べ、生け贄を選んでいるような状況に自らを置いたりはしない。
 それができなかったからどうだ、という問題でもなかった。起きてしまったことには決着を付けなければならない。それさえ厭うというのなら、幼稚以前に犯罪的な怠惰だと責められることになるだろう。自分が幼稚であることは受け入れられても、現実逃避をする程愚かだとは思いたくなかった。
 舌の上に苦味が浮かぶ。飲み下すこともできず、ソライロは顔をしかめたまま呟くように告げた。
「──私達が見学に出向いて、直接採点します。《消化器官》ヒサルク教室だろうと、イド教室だろうと、新一年生だけで構成された教室だろうと……何の差別もしませんわ。採点結果は貴方達にお渡ししますから、お好きになさって下さいませ」
「い──いや、それは。ソライロ殿らは戦力であって、教員ではないし、事務官でもない。採点までやらせるわけには……」
「事務官でもないのに会議室で油を売っている方が問題ですのよ。幸いゼロハードとシシュイーヌ以外の八戦聖はここに集まっているのですし、暇を持て余すよりはましですわ──それこそこんな会議室にこもって、答えの出ない議論をしてるよりはずっと、ね」
 倦んだ声で告げ、それが最終通告だと態度に滲ませる。椅子を蹴るような勢いで立ち上がり、廊下に続く扉へと歩き始めた。
 これ以上無駄な拘束を望むのならば、八戦聖に与えられた貴族特権を振るう覚悟もある。幸いこちらを引き止めようなどという人間はおらず、ソライロは短い別れの挨拶だけをその場に残し、一人廊下へと抜け出すことに成功した──仲間を二人残してきたことに関しては、正直さほど気にしてもいない。あの二人がどんな考えで会議に出席しているのかわからない以上、下手に同調を促すこともできなかった。もとより変人、奇人揃いの八戦聖にあっても、スキとリンドバーグは飛び抜けて変態的だ──迂闊に関わるよりは、放置しておいた方が遙かに気楽だった。
 廊下は乾燥し、冷えていた。大理石を敷き詰めた床が、鈍い足音だけを選んで反響させているような錯覚に襲われながら、ソライロはあてのない歩みを続ける。時刻は夕暮れ前といったところか、城内はしんと静まり返り、ほとんど人の気配さえ感じさせない程だった。赤味を帯びた空を窓硝子越しに見遣り、小さく溜息をつく。
 ──政治なんて。
 つくづく向いていないと思う。
作品名:紺碧塔物語/第二部 作家名:名寄椋司