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龍虹記~禁じられた恋~最終話【龍になった少年】

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 およそ半日余り、二人は途中で一度短い休憩を取っただけで、後は脇目もふらず馬を疾駆させた。急ぎに急いだお陰か、普通ならば馬でも一日近くはかかるところ、昼過ぎにはもう出口近くまで来た。
 その頃には、雨は漸く止み、空は次第に明るさを取り戻しつつあった。
「ここで別れよう」
 嘉瑛がふいに馬を止めた。
「ああ」
 千寿は頷き、騎乗したままの体勢で小さく頭を下げた。
「―色々と世話になった」
「それは皮肉か?」
 嘉瑛が悪戯っぽく言うと、千寿は真顔で首を振る。
「いや、正直、再び生きて白鳥の地を踏めるとは考えていなかったものだから」
「―千寿」
 物言いたげな瞳を向けられ、千寿は眼を見開いた。
「何か?」
「いや、何でもない」
 嘉瑛は笑って首を振ると、天を指さした。
「見ろ」
 嘉瑛の差し示す方を振り仰ぎ、千寿は固唾を呑んだ。
「虹―」
 森の彼方に、虹がかかっている。
 七色の光彩がまるで空の海をまたぐ橋のように、くっきり鮮やかに浮かび上がっていた。
「行け、千寿。お前の目指す白鳥の国は、あの虹の向こうにある」
 嘉瑛の言葉に背中を押されるように、千寿は白馬の脇腹を軽く蹴った。
「達者で暮らせ。縁あらば、また、いずこかであいまみえようぞ」
「あなたもお元気で」
 千寿は一度頭を下げると、そのまま馬を走らせる。
 この森を抜け、西へ進めば、やがて玄武の国に至る。嘉瑛の勧めもあって、千寿は玄武の国を迂回して白鳥へ向かう道を選んだ。
 長戸家の残党狩りは厳しく、千寿の生命を狙っているのは何も嘉瑛だけではなく、他国の武将も同様なのだ。木檜を出たからといって、油断はできない。
 絵の具を落としたような深い蒼空に、七色の光の橋が煌めいている。それは、まるで千寿のゆく末を象徴しているかのようでもあった。
 虹の、あの虹の向こうに、片時たりとも忘れることのなかった生まれ故郷が待っている。それでも、森を出ると、千寿の心は逸った。
 もしかしたら、自分はあの(嘉)男(瑛)のことを好きになり始めていたのかもしれない。
 馬を駆りながら、千寿はふと嘉瑛のことを考えた。
 だが、これで良かったのだ。
 嘉瑛も男、千寿も男、男同士で夫婦として終生、添い遂げることなぞ、できようはずもない。しかも、幾度も己れに言い聞かせたように、あの男は両親や妹を殺した敵であった。
 いかなることがあったとしても、嘉瑛を愛することは禁忌なのだ。
 千寿は、想いを振り切るかのように、馬を走らせる速度を上げる。
 やがて、千寿を乗せた白い馬は、彼方に虹を頂いた緑の樹々の中へと吸い込まれ、見えなくなった。


 千寿が立ち去った後、嘉瑛はしばらく、その場から動かなかった。
 ふと思い出したように馬に乗ったまま、懐から一枚の紙片を取り出す。小さく折り畳んだ紙を丁寧にひろげ、嘉瑛は見入った。
 紙の中で、千寿の描いた海芋の花が揺れていた。
 あの時―旅立とうとする千寿を呼び止めた時、自分は一体、何を言おうとしていたのか。
―千寿。
 呼びかけたあの先に続く科白を、嘉瑛は恐らく一生、口にする機会はないだろう。
―千寿、俺はお前を愛していた。
 嘉瑛は海芋の描かれた紙を細かく破ってゆく。まるで、自らの心を砕くように、慎重な手つきで、ゆっくりと刻をかけて破った。
 その時、一陣の風が彼の側を駆け抜けた。
 昨夜の嵐の名残のような烈しい風に嬲られるままに、彼はそっと手のひらを掲げる。細かく砕いた紙の断片は突風に舞い、やがて、雪のように踊りながら空へと消えていった。
 玄武の国には、死者の亡骸を焼いた骨を細かく砕き、風に乗せて自然に帰すという弔い方があるそうだ。今、自分はまさに、あの少年への想いを自らの手で葬ったことになるのだろう。
 これで良い。自分の想いを告げたところで、今更何になろう。かえって、あの少年を苦しめるだけだ。
 何も告げずに見送ることが、今の嘉瑛にしてやれるたった一つの千寿への愛の示し方であった。
 嘉瑛は、ただひたすら、彼の永遠の恋人が消えていった虹の彼方を見つめていた。



 虹のように、すべてのものを遍く照らす情理と分別を備えた戦国武将長戸通(みち)継(つぐ)。彼こそが、幼名千寿丸の成人した姿であった。
 故郷へ戻った千寿丸は白鳥の国でひそかに再起を図っていた長戸家の忠臣たちと再会、十六歳で元服、名を直二郎通継と名乗る。更にその翌年、生き残った家臣たちが通継の許に結集、ついに長戸氏再興の旗を挙げ、ここにひとたびは絶えたかに見えた名門が復興した。
 この年、通継はかつて白鳥城があった場所に新しい城を再建、以前にもまして優美な白鳥の城が再びその威容を甦らせた。鎧甲に身を固めた通継の凛々しい若武者ぶりを見た家臣たちは、長年の苦労と悲願を思い、落涙したという。
 この際、かつて木檜で千寿丸の生命を助けた恩人伊富恒吉が馳せ参じ、通継(千寿丸)の軍に入ったことは言うまでもない。恒吉は重吾郎克矩と改名し、これ以降、通継の良き参謀として活躍することになった。
 二十歳になった通継は一度だけ、嘉瑛と刃を交えたことがある。これは、国境での小競り合いが因で始まったもので、白鳥の戦いと呼ばれるこの合戦に勝利を収めたことにより、通継は一度は失った白鳥の国を嘉瑛から取り戻した。
 木檜嘉瑛が戦場で落命したのは、白鳥の戦いより数年後のことである。それも、勝ち戦の最中、味方の兵に闇討ちにされるという酷い最後であった。この嘉瑛の死を、人は〝数々の悪行の報いよ〟とひそかに噂し合ったとか。
 通継は亡き父通親の遺志を受け継ぎ、民を大切にする賢君として領民から慕われた。
 なお、通継は三十歳を過ぎて、一度、念願の上洛を果たし、将軍家に拝謁する栄誉を賜っている。人々は、すわ次の天下人は通継かと噂し合ったが、通継は旧領―宿敵木檜嘉瑛から奪われた領地を回復するのみにとどまり、終生、自国の平和を守ることに心血を注いだ。
―一国を守れぬ者、いずくんぞ天下を望めん。
(一国を守れぬ者が何故、天下を望めようか)。
 晩年、彼が孫(養子の子)に語ったという。
 彼は辰年の生まれであることから、その旗印を〝龍〟とする。
 風雲急を告げる戦国乱世を風のように駆け抜けていった名将長戸通継。
 魚は、ついに天翔る龍となったのだ。
 古来、海を渡った先の中国では、虹を蛇や龍の一種と見なす風習が多い。蒼天に掛かる雄大な光の橋を、空泳ぐ龍の姿になぞらえたのであろう。明確に〝龍虹〟と呼ぶ地域や、〝広東鍋の取っ手の龍〟を意味する〝耳龍〟と呼ぶ地域もある。
 少年千寿丸は、虹の彼方にあった彼の夢を手にすることができたのだろう。
 彼は七十歳という、当時としては長寿を保ち亡くなった。亡くなる数年前には養子に家督を譲り、出家して入道となり、寺に籠もる日々を送った。戦国武将としては珍しく、家臣や子、孫に見守られての大往生であった。
 生涯、独身を通した道継には実子はいなかった。
 通継が嘉瑛の訃報をいかなる心境で聞いたかどうか、その心のあやを知る者はいない。

                                   (完)

 




 カラー(海芋)
  花ことば―乙女のしとやかさ