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龍虹記~禁じられた恋~最終話【龍になった少年】

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 嘉瑛は千寿の顔を覗き込んで、満足げに笑った。その表情には、いつものような酷薄さはなく、暗い愉悦も宿ってはいない。翳りのない、本当に嬉しげな、恋人との逢瀬を心から愉しんでいるかのような晴れやかな笑いであった。
 二人はそれから、この部屋の外を吹き抜ける風のように、烈しく求め合い幾度も交わった。

 どれほどの刻が経ったのか。
 千寿は傍らで眠っている男の貌をそっと窺い見た。
 秀でた額、整った鼻梁、意思の強そうな濃い眉。既に見慣れているはずの男の貌だが、こうして改めて見つめるのは初めてのような気がする。
 今夜の自分は、明らかにいつもと違っていた。いつもなら、嘉瑛に触れられる度に感じる嫌悪感はなく、むしろ、男に触れられ、抱かれることを望み、悦んでいたような気がする。そう、千寿の身体だけでなく、心もまた、この男を明らかに求めていた。  
―もしかしたら、私はこの男を愛し始めてしまったのか?
 それは、怖ろしい予感であった。
 男同士で、しかも相手は故国を滅ぼし、父や母、妹を死地に追いやった憎い敵ではないか!
 それでも。
 男の安らいだ寝顔をこうして眺めていると、今までのように憎しみだけではない何か別の想いがこの胸の奥に灯っていることを自分で認めないわけにはゆかない。
 裸の肩に回っている分厚い手のひらを男を起こさぬよう注意しながら外す。
 眠っていた男が眼を唐突に開き、千寿は愕いた。
「―起きていらっしゃったのですか」
「ああ」
 嘉瑛は小さく頷き、遠くを見るようなまなざしで呟く。
「そなたに一つだけ、頼みがある」
 改まってそのようなことを言われたのは始めてだった。
 千寿は困惑して、視線を揺らす。
「改まってお願いなどと。あなたさまのお立場であれば、私に何もわざわざ頼みなどしなくとも、何なりと御意のままに従わせることができましょう。現に、あなたさまは、これまでずっとそのようになさってきたではございませぬか」
 以前の嘉瑛であれば、まずただでは済まぬ、反抗的な科白であった。
 このときも、千寿は覚悟していた。
 恐らく、この後、嘉瑛は自分を再び褥に押し倒すのであろうと漠然と考えていたその時、嘉瑛がまた唐突に沈黙を破る。
「それは、俺が征服者だからか? そなたのふるさとを灼き、滅ぼし、そなたの大切なものすべてを奪った憎い男だからなのか?」
 嘉瑛は苦渋を噛みしめるような眼で千寿を見た。
「そなたは俺がそなたを力で意のままにしてきたという。なるほど、そなたの立場からすれば、それはまさしく正論だろう。だが、俺は一度として、そなたを手に入れたと思うことはない。たとえ身体だけは投げ出しても、心まではけして渡さぬ。それが、そなたという人間なのだ、千寿。俺はいつも、そなたの心を得ようとして、無駄にあがいていた。俺が近付こうとすればするほど、そなたは遠ざかってゆく。そんなそなたに苛立ち、俺はそなたを余計に苦しめた」
 うつむく千寿を見つめる嘉瑛の眼には切なげな色があった。
「さりながら、今宵だけは違った。そなたの心に、俺はほんの少しだけ触れ得たような気がしたんだ。今夜の千寿は殊の外、素直で可愛らしかった。俺の腕の中であんな風に乱れて―」
「止めてくれ!」
 千寿は金切り声のような悲鳴で男の言葉を遮った。
「お願いだから、止めてくれ」
 千寿の眼から大粒の涙が流れ落ちた。
 自分が今夜、この男の腕の中で見せた痴態を、面と向かって嬉しげに語られるのは耐えられなかった。
 叶うものなら、今すぐ、この場から消えてしまいたい。そう思うほどに恥ずかしかった。そんなみっともない様を見せた自分がこの上なく情けない。
 口惜しさと恥ずかしさに唇を噛み、すすり泣く千寿を見、嘉瑛が言った。
「教えてくれ、千寿。俺は、お前にとって征服者、ただそれだけの男なのか? お前に苦痛を与え続けてきただけの憎い敵なのか?」
 確かに、嘉瑛は千寿にとって、最初から常に征服者であり続けた。住み慣れた城を落とし、大切な家族を殺し、富める国として知られた白鳥の国を一瞬にして征服した男だ。
 そして、彼は故国だけでなく、千寿をも権力と暴力でねじ伏せ、征服した。
 それでも、自分はこの征服者としか呼べぬ憎い男に何かを感じ始めている。
 その想いの正体は、一体、何なのか。
 千寿は自分の気持ちを計りかね、持て余した。
「千寿―。先ほどの願いのことだが」
 嘉瑛は千寿の泣き顔をしばらく見つめた後、突然、その場の雰囲気を変えたいかのように話を変えた。
「海芋の花の絵を俺にくれぬか」
 意外な申し出に、千寿はハッと嘉瑛を見た。
「海芋の絵を―でございますか?」
「ああ、一昨日、そなたが描いていたあの絵を俺に譲って欲しい」
「承知致しました」
 千寿は、男の頼みの意味を深く推し量ることもなく頷いた。
 海芋の絵ならば、また描けば良い。元々、気散じに描いているだけだから、描いた絵そのものに執着があるわけではないのだ。
 それきり、気づまりなほどの静寂が寝所に満ちた。
 千寿は嘉瑛が不機嫌になったのかと、そっと様子を窺う。が、嘉瑛の表情は不機嫌というよりは、一心に何かを考えているように見えた。
 真剣に押し黙る彼の顔は、何故だか、小さな痛みを堪(こら)えているように見えた。
 更に、彼がややしばらくして洩らした短いひと言は、更に千寿を驚愕させた。
「―帰れ」
 千寿が弾かれたように面を上げる。
「今―、今、何と仰せになったのでございますか?」
 千寿は愕きに眼を瞠っていた。
 嘉瑛がもう一度ゆっくりと繰り返す。
「そんなに帰りたければ、白鳥に帰るが良い」
「―」
 千寿は男がたった今、口にしたばかりの言葉が現(うつつ)だとは思えなかった。
 言葉もない千寿に、嘉瑛が淡々と言った。
「俺はもう誰の力も借りぬ。我が力で京の都に上洛してみせる。従って、最早、長戸氏の血を引く姫も必要なくなった。そなたの役目は終わったのだ」
 だが、言葉そのものとは裏腹に、男の口調はどこか淋しげだった。
「殿、お言葉にはございますが、私は敵国の者、しかも城を灼かれ、両親や妹をあなたさまに奪われた身にございます。その私をむざむざ白鳥に戻せば、いずれ、あなたさまに弓引くやもしれませぬぞ」
 千寿の指摘はもっともである。
 しかし、嘉瑛はこのときだけは豪快に笑った。
「なに、そなたごとき子ども一人、何もわざわざ生命を取らずとも、俺が天下を取るには支障はなかろうよ」
 嘉瑛は豪気に言い放つと、すっと立ち上がり、静かに寝所を出ていった。
 後に残された千寿は一人、取り残された。
 既に嵐は止んだのか、雨音や風の唸りも聞こえない。
 障子戸の向こうがわずかに明るくなっている。夜明けが近いのかもしれなかった。

 
 その夜、戸外を吹き抜けた嵐のように烈しい一夜を過ごした翌朝、嘉瑛は千寿を伴い、城を出た。
 愛馬の鹿毛に跨った嘉瑛の後ろに、白馬に乗る千寿が続く。
 城下町を抜けると、森に入る。二人は言葉を交わすこともなく、ひたすら馬を駆けさせた。嘉瑛は森のことを知り尽くしているのか、迷う様子はない。
 その日は生憎と、曇り空がひろがっていた。途中からは小雨が降り始めた。