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龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~・其の二

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 その城下を抜け東へ進めば、やがて白鳥の国との国境(くにざかい)に至る。千寿が取ったのはその真反対、つまり西へと行く道程であった。森を抜け、やはり木檜と国境を接する玄武の国に入ってから白鳥に至る道筋である。この道は、大きく迂回することになり、時間、危険性、労力とすべて旅人にとっては負担が大きい。
 木檜から白鳥へと旅する者は、まず城下を抜け、東に進む直線コースを選ぶのが常識である。が、逆にいえば、誰もが取る道だからこそ、千寿は敢えて遠回りを選んだのであった。その方が嘉瑛の眼をくらますのにも好都合ではないかと考えたのである。
 その思惑を見事に突かれ、千寿は怯んだ。
 この女―、見かけは親切そうだが、真に信用できるのか?
 千寿が緊張を漲らせていると、女は笑った。
「疲れてるんでしょ? 良かったら、あたしの家で少し休んでゆくと良いよ。何もないけど、握り飯くらいなら腹一杯食べさせてあげられるから」
 その言葉に、千寿の腹が鳴った。思わず頬を赤らめた千寿を見て、女が更に人の好い笑顔になる。
「さ、遠慮しないで、ついてきな」
 女の住まいは、川から歩いても知れていた。
 千寿の予想どおり、女の良人はこの森で猟をして生業(なりわい)を立てているという。女が千寿をを伴って帰ってきた時、良人だという猟師は家にいた。千寿が挨拶しても、ギロリと一瞥しただけで、何も言わなかった。
 女の名はやす、猟師をしている良人は勘助といった。やす夫婦が暮らすのは粗末な板葺きの小屋であった。夫婦の寝る部屋とやや広く取った居間のふた間あるきりだ。
 勘助は千寿が来るのと入れ替わりに、黙って外に出ていった。
「ごめんね、うちの人ってば、本当に愛想なしでさ」
 千寿が勘助の出ていった扉の方を見ていると、やすが済まなさそうに言った。
「悪い人ではないのだけど、喋るのが苦手なのよ」
 言い訳のように言うやすに、千寿は首を振った。
「いいえ、私の方が急にお邪魔したのですから。かえって、ご主人の方が気を悪くなさったのではありませんか」
「まぁ、子どもがそんなことを気にしなくても良いんだよ」
 やすはそう言うと、早速、飯を炊く準備にかかった。その間、やすは千寿に様々なことを訊ねた。千寿は当たり障りのない範囲で、できるだけ正直に応えた。
 隣国で生まれ育ったこと、両親と妹が亡くなり、一時木檜の国に滞在していたが、急に故国白鳥の国に帰らなければならなくなったこと。
 やすは真顔でその話に聞き入り、相槌を打った。
 やがて、飯の炊きあがった良い匂いが漂い始め、やすは山ほどの握り飯を作った。正直、千寿一人では食べきれぬほどの量だ。
 ほかほかの握り飯は麦飯で拵えたものだが、涙が出るほど美味かった。二個をたちまち平らげ、三個目を手にした千寿がふいに黙り込んで、うつむいた。
 やすが怪訝そうにこちらを見ている。
「どうしたの? やっぱり、少し冷ましてからにすれば良かったかしらねぇ」
 やすが申し訳なさそうに言うのに、千寿は首を振った。
「違うんです」
「えっ、何が違うの」
「こんな美味しいお握りを食べたのは、生まれて初めてだから」
 一国の若君として生まれ育った千寿は、質素倹約を旨とする家風で育った。とはいえ、上等の着物を与えられ、それなりの食事を口にしている城暮らしの身であった。殊に生活に不自由を感じたことはない。
 これまでの千寿であれば、たいして美味いとは思えなかったはずであろう握り飯が、今は極楽のご馳走のように美味しい。
「あれ、あんた、泣いてるの」
 やすの声が慌てた。
 千寿は零れ落ちる涙をぬぐいながら、ひと口握り飯を囓る。
「美味しい」
 そんな千寿を見つめるやすの眼は優しい。
「ほらほら、泣いてないで、たんとお食べ。育ち盛りなんだから、たくさん食べないと駄目なんだよ。食べれば、その細っこい身体ももう少しは大きくなるから」
 そう言う口調は、まるで母親のようである。
 それからは、やすが自分の身の上を語る番であった。勘助は森で猟をし、獲った獲物を城下に持っていって売っている。毛皮は高く売れるし、肉も余った分は干し肉にして貯蔵しておけば、冬場には家族が食べるのに役立つ。
 やすと勘助の間には娘が一人いた。ゆきといい、やすに言わせれば〝色黒の亭主じゃなくて、あたしに似た〟きれいな娘だったという。
 おゆきは十三で城下町の商家に女中奉公に出た。一家三人の暮らしは、いつもその日を過ごすのがやっとという有り様で、殊に前年の冬は勘助が森で猪に襲われるという不幸があった。そのため、怪我をして動けぬ勘助の代わりに、おゆきが働きに出たのだ。
 だが、その一年後、おゆきは突如として亡くなった。奉公先の主は四十過ぎの恰幅の良い男であったが、相当な女好きであったらしい。
 主から聞かされた話では、おゆきは階段から脚を滑らせて転落―、そのときに頭の打ち所が悪くて亡くなったということだったが、その後、ひそかに、奉公先で朋輩であったという娘が訪ねてきた。そのきくという娘は、はっきりと語った。