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偽装結婚~代理花嫁の恋Ⅴ【本物のウェディングベル】

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 今、母は入院中で、自分は生まれて初めての恋を知った。そして、その恋は実らない。実らせてはいけないのだ。今は良くても、この結婚は将来的に二人を不幸にするのは眼に見えていた。
「忘れられるのかな」
 由梨亜はブランコを漕ぎながら、呟いてみる。
 たとえ忘れられなくても、忘れなければならないだろう。
 次に頭に浮かんだのは、マンションを出る時、三鷹から贈られたオルゴールだけは持ち出せば良かったという後悔であった。
 そして、大いなる矛盾に苦笑する。
 三鷹さんを忘れなければならないと思っているのに、想い出に繋がるプレゼントを持ち出せば良かったと思うなんて。
 ブランコを勢いつけて漕いでゆく。
 一、二、三。
 由梨亜を乗せたブランコが大きく跳ね上がる。
 一、二、三。
 一段と高く持ち上がった瞬間、由梨亜は空を仰いだ。紫紺の空に宝石をばらまいたような星々が散りばめられ、輝いている。
 その時、再びポケットのケータイが鳴りだした。
 大好きな歌詞が一瞬、浮かんできて、由梨亜は口ずさみそうになった。かけてきた相手は誰か、大体想像はつく。その中に諦めるだろうと思って放っておいても、音楽は一向に鳴りやまない。
「―もしもし」
 やむなく由梨亜は電話に出た。
「由梨亜?」
 聞き慣れた三鷹の声が心に滲みてゆく。
 ああ、別れると決めた後でさえ、私はこの男を大好きなのだと、改めて思った。
「君にどうしても渡したいものがある。これが最後にするから、俺の話を聞いてくれ」
「判った」
 沈黙を守ることで、相手に話の続きを促した。
 と、由梨亜は眼を瞠った。
 公園の入り口に三鷹が立っている。
 三鷹はまだ彼の携帯を耳に当てた格好で、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
―ここがよく判ったわね。
 思わず自分から沈黙を破ってしまう。
 三鷹が含み笑いながら、応えた。
―いつか話してくれただろ。子どもの頃、ここで陽が暮れるまで遊んでて、お母さんに叱られたことがあったって。
 由梨亜は言葉を失った。彼はそんな些細な話まで憶えていたのか。話した由梨亜ですら、もうとっくに話したことを忘れていたというのに。
 そう、私は確かに彼に言った。
 この公園はとても懐かしい場所、特別な場所なのだと。
 不思議なものだった。互いに数メートルしか離れていないのに、こうして電話で話している。
 三鷹が更に近づいてきた。そこで立ち止まり、話している。どうやら、これ以上、近づいてくるつもりはないようだ。
―これを受け取って欲しい。
―なに?
 もう別れると判っている男から、高価なものは受け取れない。
―指輪だよ。本当は誕生日にネックレスではなく指輪を贈りたかったんだ。でも、指輪だと何か特別な意味があると君に負担をかけてはいけないと思って諦めた。
 由梨亜は息を吐いた。ミラクル・プリンスが選んだ指輪ならば、さぞかし高価なものだろう。ティファニーの大粒のサファイアとダイヤモンドのコンビデザインだろうか。
―そんな高価なものは頂けないわ。
―おいおい、よく見てから言ってくれよ。バイト代をはたいて買ったんだからね。
―バイト代?
 訝しく思って訊ねると、三鷹が小さく笑った。
―君と初めて出逢った模擬披露宴。あのときのバイト代、二五〇〇〇円を全部使ったんだ。本当に安物だよ? 
―どんな感じの指輪?
―アクアマリンだって、店の人は言ってた。石言葉もプロポーズには丁度ぴったりだし、デザインも可愛くて値段もどんぴしゃりだったから、即決したんだ。
 年収何千億という会社を背負って立つ男が最愛の女に贈るために買ったのは、何と二万五千円の指輪であった―。
 三鷹はその指輪を二人が出逢うきっかけとなった模擬披露宴のバイト代で買ったのだ。
 アクアマリンの石言葉は、幸せな結婚。
 由梨亜は、彼がわざわざバイト代でこの指輪を買った意味を考えた。
 たとえ住む世界がどうあろうとも、自分たちは自分たちの家庭を築き、ささやかな幸せと温もりに価値を見いだせるような関係でいよう。
 由梨亜はその瞬間、三鷹の意思を正しく理解した。
 三鷹は相変わらず、彼女から数メートル離れた場所に佇んでいる。それが彼の気持ちなのだと思った。
 無理強いするのではなく、きちんと考えて自分の意思で来て欲しいという何よりの彼の想いの表れであった。
 派手なロゴ入りTシャツに履き古したジーンズ姿の彼は、やはり大企業の副社長には見えない。
 由梨亜の眼から透明な涙が溢れる。
 梅雨明け前の夜の空気に、由梨亜の涙が溶けて散る。
 由梨亜は彼の許へと走った。
 一度しかない人生を後悔することのないように。
 三鷹がその場所で両手をひろげる。
 由梨亜はこの世でいちばん大切な男の胸に飛び込んだ。
 温かい涙が三鷹のTシャツを濡らしてゆく。
♪魔法の呪文をかけてシャララ
温かい陽射しのような
あなたの微笑みが私を照らしてくれますように
私の心を感じてみて
永遠に一緒にいよう
毎日幸せだけをあげるわ

 大好きな歌詞のフレーズがふと心をよぎった。
 未来に乾杯、私の、そして明日からも続いてゆく親愛なる日々よ、ようこそ。
                (了)