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偽装結婚~代理花嫁の恋Ⅴ【本物のウェディングベル】

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★Sadness~哀しみ~★

 結局、由梨亜は三鷹の腕の中で泣きながら眠ってしまった。朝、目覚めたときには既に三鷹は〝出勤〟した後で、リビングの時計は午前十時近くになっていた。
 三鷹がベッドに入れてくれたのだろう、由梨亜はちゃんとベッドに横たわり、掛け布団もきちんと掛けられていた。
「こんな時間まで眠り込んでるなんて」
 由梨亜は慌てて飛び起き、ベッドから出た。
 昨日は母の病院に行けなかったので、今日こそはと急いで支度し、マンションを飛び出した。もっとも、この時間に行けば、必ず母に会社はどうしたのかと訊かれる。
 幸いにも今日はコンビニのバイトが入っている。由梨亜は勤務時間開始の十一時にすべり込みで店に駆け込んだ。その日も普段どおりレジを打ったり、商品を棚に並べたりと忙しく過ごした。午後五時、バイトが終わり、店長や他の店員に挨拶して店を出る。
 この時間であれば真っすぐ病院へ寄ったとしても、母に疑われる心配はない。コンビニの更衣室で通勤用の地味なスーツに着替え、その足で病院に向かった。
「昨日はごめんね。どうしても仕事が立て込んでて、来られなくて」
 病室に入るなり、由梨亜が謝ると、母は笑った。
「だから、いつも言ってるだろう。何も無理して毎日来ることはないんだよ。そんなに重病人ってわけでもないんだから」
 大抵の重病人は自分の症状が深刻であることに気づかないか、もしくは認めず、〝たいしたことはない、大丈夫〟と言う。母の場合も、全然、自覚はないらしい。
 丁度その時、顔見知りの看護士が検温に来たので、由梨亜は母の血圧について訊ねてみた。看護士は人の好さそうな丸顔をほころばせ、持参していたカルテを調べてくれた。
「今朝は上が一三〇で下が八二ですね。特に問題はないと思いますよ」
「そういえば、一昨日から薬が変わったのよ。あれを飲んでから、また調子が一段と良くなったわ。ここのところ、血圧が上がって、いつも頭が重い感じがしてたから、ラクになって助かったよ」
 一昨日といえば、三鷹が病院まで安浦医師に謝りにきた日だ。彼の謝罪が功を奏したのか、安浦医師が医師としての責任感と義務感を忠実に守ってくたれのかどうかは判らなかった。
 とにかく、母の血圧が安定したのなら、由梨亜には何も言うことはなかった。母の状態も落ち着いているようなので、その日は三〇分ほどいただけで帰った。
 昨日の今日で疲れていたので、駅地下の惣菜屋でできあいの惣菜―メンチカツと野菜サラダを買い求めてマンションに戻った。
 帰ってから目玉焼きを作り、買ってきた惣菜と目玉焼きを綺麗にプレートに盛りつけた。
 午後八時になっても、三鷹はまだ帰らない。いつもなら七時にはちゃんと帰ってくるのに。
 何かあったのだろうか。事故? 急な病気とか?
 俄に不安で堪らなくなり、ふいに愕然とした。自分は三鷹の妻ではない。ただ便宜上、契約した偽装結婚上の〝妻〟であるだけ。そんな自分が本当の妻のように彼の帰りを待ちわび、少しの帰宅の遅れにも心を波立たせるのは、おかしいのではないか。
 自分には三鷹の安否を気遣う資格もないのだ。そう思うと、堪らなく辛かった。
 更に時間は過ぎ、午前零時を回った。流石にこれはもうただ事ではないと思い、携帯電話を手にした。しかし、いざ電話をしようにも、三鷹の会社の電話番号が判らない。
 そういえば、三鷹は由梨亜を〝奥さん〟と呼び、好きだと熱っぽく言いながらも、携帯電話の番号すら教えてはくれていない。その事実に改めて気づき、由梨亜は涙が零れそうになった。
 彼にとって所詮、自分はその程度の存在にすぎないのだと無言の中に突きつけられているようだ。
 そのときだった。インターフォンがけたたましく鳴り、由梨亜は弾かれたように駆け出していた。すぐにチェーンを外して内側からドアを開けると、案の定、三鷹が立っていた。
「ただ今~、可愛い俺の奥さん」
 言い終わらない中に、三鷹の身体がグラリと揺れ、由梨亜の上に倒れ込んできた。
「三鷹さん? どうしたの、大丈夫?」
 矢継ぎ早に訊いても、三鷹はただ低い声で笑っているだけだ。ふいに彼から饐えたような匂いが漂ってきて、由梨亜は顔をしかめた。
「三鷹さん、酔ってるのね?」
「ああ、酔ってるよ、凄ーく酔ってるよ」
「とにかく、中に入りましょう」
 由梨亜は三鷹を引っ張って家の中に連れていった。大柄な彼と小柄な由梨亜とでは、どうしても由梨亜が三鷹を引きずるような形になってしまう。
 苦労してやっとリビングまで連れてきたときには、息が上がっていた。
「服を着替えなきゃ」
 言おうとして、由梨亜はハッとした。三鷹の服がいつもとは全く違うものだったからだ。出勤すると言いながら、毎日、ラフなTシャツと履き古しのジーンズで出かけて帰ってくるのに、今夜に限ってスーツ姿である。
 しかも、仕立ての良い上品な濃紺のスーツはどう見ても、最高級のブランド品だ。
 だが、今は服装に拘ってはいられない。由梨亜は子どもに言い聞かせるように言った。
「ね? ちゃんと着替えましょう。寝るのなら、パジャマに着替えて―」
「じゃあ、由梨亜ちゃんが着替えさせて」
「―」
 由梨亜は息を呑んだ。由梨亜が三鷹の服を脱がせる―。それだけの言葉で動揺する自分を叱りつけ、我慢強く言う。
「手助けはするから、ちゃんと自分で着替えましょう」
「いやだ、由梨亜ちゃんが脱がせてくれるのでなければ、着替えない」
 まるで手に負えない駄々っ子である。由梨亜は深い息を吐いた。
「判った」
 酔ったままの彼をこのまま放り出しておくわけにはゆかない。由梨亜は三鷹の背広の前ボタンを外しにかかった。しかし、指が震えて、上手く外せない。
 仰向けに眼を閉じていた三鷹が急に眼を開いた。
「震えてるのか?」
「えっ」
 眠っていたのかと思っていた彼に話しかけられ、由梨亜は愕きのあまり飛び上がった。
「震えてなんかいないわ」
 由梨亜は気丈にも言い放ち、今度はできるだけ平然としてボタンを次々に外していった。続いて白いワイシャツのボタンに手を掛けた時、三鷹が唐突に言った。
「先にズボンを脱がせてくれ」
 それには由梨亜も言葉を失った。
「ズボンは後で自分一人でやって」
 やっとの想いで告げると、三鷹が笑いを含んだ声で言った。その声音には、かすかに嘲りが混じっていたのだ。
「怖じ気づいた?」
 酔っているからと我慢してきたが、流石に由梨亜も腹が立った。
「別に怖じ気づいたりはしてないんだから」
 そう言うと、三鷹のズボンのベルトに手を伸ばした。だが、勢いはともかく、肝心の手が震えだして言うことをきかない。何度も失敗している中に、三鷹がフッと笑った。
「冗談だよ、冗談。由梨亜ちゃんがそんなことまで、できっこないのは判ってるさ」
「また、からかったのね」 
 由梨亜が思わず声を大きくするのに、三鷹は何がおかしいのか、クックッと笑っている。
「もう、知らない。後は勝手にやってちょうだい。私はもう寝ます」
 口とは裏腹に、由梨亜は脱がせたばかりの三鷹の上着を畳んでいる。とりあえずソファの上に置こうとした時、背広からプンときつい香りが流れてきた。