偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅰ
紛い物の花嫁になるのは、もう二度とご免だ。たとえお金儲けになるのだとしても、花嫁衣装を着るのは一生に一度だけ、心から愛する相手とめぐり逢い、結ばれるときだけにしたい。
今日一日、模擬披露宴の花嫁役を務めて、しみじみと実感したことだ。
「条件で何か気に入らないところがある?」
なおも食い下がる彼に、由梨亜は首を傾げた。
「偽物の花嫁になるのは、もう懲り懲り。今日で十分」
三鷹の方は悪びれず憎らしいことを言う。、
「そう? 俺は楽しかったけどなぁ。ご馳走食べられたし、可愛い子とキスもできたし」
「あなた、また殴られたいの?」
由梨亜が軽く睨むと、三鷹は大真面目に首を振った。
「冗談、俺にそんな趣味はないからね。至って、ノーマルなんだよ、こう見えて」
「とにかく、ホストの暇つぶしに付き合ってる時間はないの。一日も早く新しい仕事を見つけて働かなきゃ駄目なんだから」
品の悪い冗談には取り合わず、由梨亜は断じた。
「だからさぁ、俺はホストじゃないってば」
三鷹が情けなさそうな声を出した。
その滑稽な仕草がおかしくて、つい笑ってしまう。
「じゃあ、正体は一体、何なの?」
「真面目な会社員」
「嘘でしょ」
「嘘じゃない、本当だ。今日はたまたま公休日で、バイト感覚でこの仕事をやったんだよ。俺も一度は結婚式なんてもの人並みにやってみたかったし」
「あなたみたいな社員がいるんなら、そこの会社はS物産よりも早く倒産するでしょうね、気の毒に。何でもS物産はミラクルプリンスだか何だか知らないけど、ふざけた名前の御曹司が経営を立て直しつつあるらしいから。首切り寸前だった人たちは今頃、躍り上がって歓んでいるんじゃない?」
いかにも気の毒そうな口調の裏にかすかに優越を滲ませていた、かつての同僚。あのときの屈辱が再び甦ってきて、腹立ち紛れに言ってやる。
三鷹がふと彼らしくもなく遠い瞳になった。
「本当にふざけた野郎だよな。どれだけ頑張って救おうとしても、救えなかった社員もいるんだから―」
その口調には、彼が社員解雇について他人事以上の何かを感じていることが窺えた。S物産をクビになったという人は彼にとってよほど近しい大切な存在なのだろう。
由梨亜はその場の雰囲気を変えたくて、明るく笑った。
「別に、あなたには関係ない話じゃない。まあ、私と同じようにクビになったって人のこともあるから、そう容易くは割り切れないんでしょうけど」
想いを振り切るように、三鷹が首を振った。まるで陸(おか)から上がったばかりの犬のようだ。
「君が心配しているのは、もしかしたら婚姻届のこと?」
「まあ、それもあるけど」
ずばりと言い当てられ、由梨亜は口ごもった。要するに三鷹が持ちかけているのは、偽装結婚に他ならない。ちゃらんぽらんに見えるけれど、嘘偽りを並べ立てて他人を騙すようなあくどい男にはどうしても思えなかった。
この男が困っているのは真実ではあるのだろう。人助けにもなって、大金が入るのなら、片棒を担いでも良いとは思い始めている。しかし、偽装でも仮にも〝結婚〟となれば、婚姻関係が生じてしまう。法律上、婚姻関係が派生すれば、後々、厄介なことになる。
三鷹は眩しいほどの笑みを由梨亜に向けた。
「それなら心配はなくて良い。俺が提案しているのはあくまでも見せかけだけで、本当に結婚するわけじゃないから、もちろん籍も入れない。もちろん、君が入れたければ入れても俺は拘らないけどね。契約期間が終わってもまだ婚姻関係を続けたいと君が望めば、そのとおりにしても良いんだよ」
「じょっ、冗談でしょ。誰があなたなんかと一生過ごすものですか」
「残念だなぁ。君といれば、結構退屈せずに済みそうなんだけど。由梨亜ちゃん」
「馴れ馴れしく名前を呼ばないでくださいね」
「でも、君ももうその気になってるんだろう? 困ってる俺を君は放っておけないんだよねぇ。まあ、人助けと思って引き受けてよ。一生、恩に着るからさ」
「だから、一生はお断りします。私があなたに協力できるのは、あなたと約束した期間の間だけ。そ、それから―」
由梨亜が言いかけて紅くなるのを見、三鷹がしたり顔で頷いた。
「大丈夫、俺は紳士だからね。花嫁の代役を頼んだ子を頭からバリバリっと食ったりはしないから、安心して」
三鷹が由梨亜を安心させるように微笑みかけた。
「つまり、俺は君にけして手を出しちゃいけない。そういうことだろ、君が言いたいのは」
「そっ、そうです。それは約束して貰えますね?」
「うーん、一応。できると思う、っつうか、努力するよ」
「やっぱり、私、考え直します」
顔を引きつらせて回れ右をしようとする由梨亜を三鷹が慌てて引き止める。
「冗談だって。冗談。俺がそんな鬼畜に見える?」
「十分、見える、怪しすぎる」
由梨亜がコクコクと何度も頷くと、三鷹は爆笑した。
「ところで、婚姻届けはどうする? この際だから、君の気が変わったときに備えて、先に籍入れちゃおうか?」
漸く笑いをおさめ、三鷹がまたしてもふざけたことを言う。
由梨亜は頬を膨らませた。
「入れません! 絶対に、この世の終わりが来たとしても、入籍なんてしません」
三鷹はまたしても笑い転げた。しかし、由梨亜は知らない。彼の由梨亜を見つめる瞳が眩しげに細められていたことに。更に、その瞳にはかすかな優しさと労りさえ込められていた。
作品名:偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅰ 作家名:東 めぐみ