歌声 ―Draw a boundary―
川っていうのは、この世とあの世の境目だ。
そういう話は、世界中あちこちにあるな。ヨーロッパもそうだし、アジアにだってそういう話があるだろ?
何でかって? そうだな――川はかなりたくさんのものが流れ込んでいるだろ? 雨も雪も、植物も動物も。それから勿論、死んだもの達も。
それが海まで行くとな、もう世界中みんな繋がっているわけだろ? 更に大きなものの中に全部溶け込んで混ざり合ってしまう気がするんだ。そうして、別のものになるんじゃないかな。でも川には、流れ込んだ色んなものがまだぼんやり残っているんだ、きっと。
だからなのか。不思議なことが起こる場所なんだよ。
別に、怖い話じゃないな。ただ不思議なだけ。これはそういう話だ。
何が起こるかというと……歌が、聞こえてくるんだ。
川の傍でね、ふと気が付いたら聞こえてくる。
えいこーら、えいこーら、って。
時間は――お化けのゴールデンタイムと言われる――夜とは限らないみたいだな。真っ昼間でも、夕方でも、朝でも。天気もそうだ。晴れていても曇っていても雪が降っていても。季節だって関係ない。夏でも冬でも─―聞こえてくるんだ。川の方から。
色んな声があるみたいだ。男のような低い声も女のような高い声も、子どものような声も。そのたびに違って聞こえるみたいだな。
うん。
僕も何度か聞いたことあるが、いつもバラバラだった。真夜中だったこともあるし、早朝だったこともある。
あれは─―昨年だったか。
夏休みに、帰省しないで学校に泊まっていた時だったと思う。夜中にふっと目が醒めた時、聞こえてきたんだ。
(えいこーら、えいこーら、もひとつえいこーら、)
って。
半分寝ていたからかもしれないが、何だか歌の中に呑み込まれたみたいな気分になっていてな。気が付いたら自分も一緒に歌っているような気がした。
(えいこーら、えいこーら……)
どれくらいの時間だったのかな。真っ暗だったからよく分からないが……何度も同じフレーズを朝まで繰り返して聞いた気もするし、本当はほんの数分間だったのかもしれない。
ああ、もしかしたら、あれはただの夢だったのかもな。でも、きっと同じなんだと思う。
姿は見えない。声だけだ。天気の良い昼間ならば、声の源が見えても不思議じゃないのに、それは全然見えてこないんだ。
そう、遠くから歌声が近付いてきて、目の前を通り過ぎていくんだが、それでも姿は何も見えてこないんだ。
ただ聞こえて、遠ざかっていく。
(えいこーら、えいこーら、もひとつえいこーら……)
(アイダダアイダ、アイダダアイダ、)
って。
それだけ。
うん、これでおしまいだ。続き? ないぞ。
だから、それだけなんだ。
声を聞いたら死ぬ(そうだったら僕はここにいない筈だぞ)とか、どこかに連れて行かれるとか……そんな話は聞いたことはないな。別に怖くないし、誰も困らない、ただ不思議なだけの話。
幽霊? ……そうなのか?分からん。
うん。
僕は思うんだがな。きっとあれは、何でもないものなんじゃないかと思う。
ヴォルガの舟歌というのは、ヴォルガ川を行く船を引く人夫たちの歌なんだよ。
だから本当はあの歌は、いつでもどこにでもあるものなんじゃないかな。たまに気が付いた時にだけ聞こえる。というか、川の傍では聞こえやすいだけで、本当はどこででも聞こえるんだ。
だからあれは何でもないものなんだよ、きっと。ただそこにあるだけ。別に気にしなくて良い。実際、気にする人なんかいないと思うがな。
それだけ。これでおしまい。つまらなかったか? だったらすまん。
でもな、不思議な話というものはこんなものじゃないか? この世の中の『アル』何もかも全てにちゃんと説明なんか付けていられないだろ? だから、これはこれだけの話なんだよ。
ああ、考えてみれば別に不思議なわけでもないのかもしれない。だって、どこにでもあるものかもしれないんだから。
耳を澄ませてみればきっと聞こえるよ。
(えいこーら、えいこーら、もひとつえいこーら─―)
……ほら。聞こえただろう?
作品名:歌声 ―Draw a boundary― 作家名:狂言巡