小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ブラインド

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
 極端に視界がはっきりしない世界とは、どんなものなのだろうか。
 それでも世界は美しく見えるのだろうか。
 俺にとっては知りたいと思っても、知ることのできない状態。
 だけど、こんなにも身近にいれば少しは触れられてるのかもしれない。
 価値観の違いはまだ融和できる。
 でもそういうことは簡単にはいかないので、時折喧嘩もしたりするけれど。
 ――俺の恋人は、ほとんど目が見えない。

 何度目かの失敗だろうか。
 でも彼女はそれを悟ることなく不思議そうな表情を浮かべているだけだ。バツの悪い顔を悟られないだけ、マシなのかもしれない。
 彼女の手には白い杖。分厚いめがねは気休め。生まれつき極端な弱視だという彼女と知り合ったのは、些細なきっかけだったし付き合うまでに至った過程も健常者同士のそれにほんの少しスパイスを加えたようなものだったけど、そんなおかしいものでもなかった。
 現に今、彼女と俺は恋人同士なんだし。ただ、まだ清い関係であるが。付き合って三ヶ月しても手を出さなかったのは、新記録。友人にはからかわれたが、彼女の目のことを話さなければの話だ。逆に心配されたりするけど余計なお世話でしかない。実際彼女は友人との付き合いも普通にしているんだし……そこまでもかなり大変だったらしいが。
 なにを失敗したかって、家の前まで送って行ってバイバイをする時に――というやつだ。こんな純情な付き合いはあんまりなかったので、やってみたかったんだけれど。そこで目のことが関わってくるとは思わなかった。
 キスをする時に、彼女は間合いがわからないのだ。
 そしてガラスのように扱いたくなくても、気にしてしまっていた俺も積極的にいけなかった。
「ねえ、もう一度してみよう?」
 気づいた彼女が笑って言う。目を閉じてのそれが上手くいかなかったことを悟られて、少し恥ずかしかった。小さく俺が息をついたのを耳にしたようだった。彼女はとても耳がいい。
 そして、もう一度。

「あー、なんであれだけ上手くいかねえんだよ」
 自宅に戻って、冷たいウーロン茶を飲み干して言い捨てた。あれからもう一度試してもダメで。また今度なと俺は彼女と別れた。ひとり暮らしではないのだ、そうそう引き止めてもいられない。
 キス、か。口唇と口唇をくっつけ合わせるだけのこと。だけど、それだけでなにかが変わるもの。手をつないだりとかは付き合ってすぐにしたんだけど。あの杖があったって、点字ブロックがあったって、彼女にとって外はぼやけた世界だ。そういう人たちが外出する時に同行して腕をつかんでもらうボランティアもある。っていうか、俺が彼女と知り合ったのもそれがきっかけだったんだけど――ボランティアマニアの母親にこればかりは感謝だ。
 なんとなく気まずい雰囲気になりかけたのを無理して明るく振舞ったけど、きっと彼女は気づいている。世界がぼやけている分、耳はいいし空気を読むことに長けているから。そう考えると俺って格好悪いなあと思わざるを得ない。もっとこう、すぱっと色々こなしてみたいもんだ。
 どうしても引きこもりがちになりかねないので俺は彼女と積極的に会うようにしている。まだ学生だからできることなのかもしれないけど、バイトの時間や友人と遊ぶとか用事だとか以外は大抵一緒にいるようにしている。学校では彼女も彼女できちんと友人がいるので、同じ授業を選択していたり帰る時に送っていったりするくらいだけど。目がよくない分、俺には考えつかないくらい色々大変だっただろうに、まったくそれを話さない彼女を俺は尊敬している。強いな、と。
 社会人になったら同棲してえな……簡単にはいかないかもしれないけど。
「今、なにしてるんだろうな」
 彼女はいつも携帯電話にネックストラップをつけて、首から提げている。もうひとつだけ、小さな万華鏡のストラップをつけているけど――きっとそれをのぞきこんだ時に見えるものは俺とまったく違うんだろう。
 もっと俺は彼女の気持ちになって、彼女の見る世界を知って、付き合いたい。
 もっと触れたいしもっと大事にしたい。
 だから、今日みたいにしくるのはものすごくいやだった。

 次の日、彼女は病院に行くことになっていたので学校を休んでいた。
 メールはふたりの間では不要な機能なので電話したけど、出てくれなかった。
 忙しいのかな……。
 秋空を見上げて、帰り道俺はため息をついた。
 あの綺麗な満月も、きっと彼女にとっては永遠に朧月。

 ちゃんと食べてるのかい? と俺の母親が自宅を訪ねてきたのはその日の夜だった。
 久々に焼き魚なんて食ったよ。大学生+男+ひとり暮らしっていう公式の答えは、俺の中でコンビニ弁当とインスタントだって決まってる。自炊に目覚めるヤツも中にはいたりするけど。
「あんた、あの子と上手くいってるの」
「いきなりなんだよ藪から棒に」
 食卓。味噌汁が美味そうな匂いを漂わせている。旬の秋刀魚に大根おろし、それらを食おうとした時いきなり母親は言い出したんだ。
 漬物をひと口して、母親はふう、と息をつく。
「いやね、どうしても目のほとんど見えないことは障害になりかねないからね。あんたらが好き合ってるのはいいけど、色々と大変だから」
 色々、ね。確かに色々あったし大変なこともあったし喧嘩もしたけど、その都度話し合ってきた。やらしい考えかもしれないけど、目下問題なのはどうやってキスの間合いを測るかってことぐらいだ。
 母親は自分のやってるボランティアに俺を引き込んで、尚且つあの子と引き合わせた張本人だから変に隠し事ができない。そりゃそうだ、付き合ってるのだって、一ヶ月でバレた。あんたがいいならいいけどね、と軽くいなされたけど一晩悩んだことも俺は知ってる。
「あっちの親は知らないけど、家には毎日送ってってるし、ちゃんと連絡も取ってるし会ってるよ。デートだって楽しいし」
「ならあたしが色々教え込んだのが役に立ってるみたいね」
「引きずり込んだの間違いだろ」
「そうとも言う。でも、あの子が見てるものとあんたの見てるものは違うし、生きてきた環境だって物凄く違うんだからそれを忘れちゃいけないよ」
 味噌汁をすすって言った。
「わかってるって。それでも俺はあの子が好きだし、とても強いヤツだと思ってるし。大丈夫」
 ……本当は、一日連絡が取れないだけでも不安でたまらなかったんだけどな。

 ようやく彼女と会えたのは次の日曜日だった。
 前日まで連絡が取れなかったからとても心配だったけど、電話をしてきた(短縮ボタンって便利だよな)彼女の声は普段通りで、いつも通りだった。
 一緒にいられることはとても嬉しい。触れられることがとても嬉しい。いつも通りに、ボランティアで知り合った時と同じく腕を組んできてくれる彼女が突然とても愛おしく思えた。ショートボブの髪を撫でてやると、どうしたのと小首をかしげていた。
「連絡したかったんだけど、ちょっと忙しくて」
「そっか……病院、なんでもなかったか?」
「これ以上視力が落ちることはないから、あとは普段の生活で怪我しないようにって」
作品名:ブラインド 作家名:椎名 葵