『オスカーのツバメ』
『オスカーのツバメ』
いつだったか、まだ小学生の頃、テレビアニメの番組で『幸福の王子』を観て泣いたことがある。その記憶をもとに大学になってふいに読みたくなり、文庫本を買って読んだ。その時は泣かなかった。しかし、泣こうと思っていた自分はいたのだ。私は泣き虫だったのかも知れない。知れないというのは、そうは思っていなかったからだ。でも、とその逆のことも思い出す。童話『泣いた赤鬼』や映画やテレビを観て感極まって泣いた。いや、みんな同じように泣いているのかも知れないが、‘泣き虫’と言われたくないから、やせ我慢しているのだ、そう思っていた。だけど一方、私のように童話などに泣く子供は少なかったのかもとも思う。なぜなら、私と同じように泣いている子がまわりにいなかったからだ。一緒に『家なき子』のアニメ映画を観に行ったときのこと。同級生のI君は、泣いているにも関わらず(すぐ隣にいたわけではないが、気付かれないように横目でみた彼の横顔から、涙の溜まった目が見えた気がしたからだ)、観終わったあとで、「泣いてたよね?」と訊くと「泣いてなんかない」と言ったのだ。そうか、泣いていることがわかってしまうと恥ずかしいのか。そう思った。私は泣いたと言った。
だいぶ時が経ち、30代の半ば、仕事でフランスのパリに行くことがあった。初めてではないので、それほど観光というのも余りしたくないと思ってガイドブックを広げていた時、パリ最大の墓地‘ペール・ラシェーズ’の存在を知った。墓巡りは学生時代からの趣味だったので、これだとばかりに飛びついた。そこにはたくさんの歴史上の人物が眠っている。その中にオスカー・ワイルドがいたのだった。この時、私のなかに得も言われぬものが生まれた。幾つかの小説も齧って読んだ。彼の半生も斜め読みで知っていた。映画もあった。興味はあった。天才オスカーを私は私なりに好きだった。けれども、その先には行かなかった。理由は?分からない。単純に心が動かなかっただけなのかも知れない。なにか分かったような気持ちになり、浅はかな判断でもういいやと追いかけるのを止めたのだろう。恋愛のような、片想いが終わったような、そんな状態だったのかも知れない。しかし、お墓の存在によって、再び記憶の焼け没杭に火がついたのだ。
仕事の休みの日、一人地下鉄に乗り、その墓地へ向かった。小腹が空いたので、角にあったスタンドで卵のクレープを買って、歩きながら墓地へ向かった。そこで私は大きな過ちを犯してしまった。墓地をなめていた。東京の多摩霊園での経験で、偉人のお墓はそれなりに扱われ、丁寧な案内があるのだと。ガイドブックは手にしている。しかし、それはアバウトであり、あまり当てにならない。後で知ったのだが、裏口から入ったために、現地の墓地案内図をもらわずに彷徨っていたのだった。正門から入れば、A4サイズの案内地図があったのだった。(今年、実は久しぶりにまた行った時、その案内図をみたが、当てにはなるけれど、やはり分かりにくかった。)
日本の墓地とは違い、みな重厚な石造りで、壁に囲まれた石畳の道を踏ん張って歩いた。坂道も多いし、石自体が大ぶりで、足の裏が痛くなる。それでもオスカーに逢いたいがために、道から道へ、路地から路地へさ迷い、歩いた。ガイドブックの地図を頼りに必死に探した。すると光が見えた。その街路樹の奥へ吸い込まれながら、曇った寒空の下、お墓はあった。大理石でできた、風変わりなデザイン。神話に出てくるような人物がレリーフされ、肌色の石になにやら点々と模様が入っている。よく見れば、キスマークである。ということはほぼ女性であろう。みな、ここに来て、キスをして帰るのだ。オスカーにキスをする?私は今まで思ってもいなかったが、その行為がとても納得できた。他の作家にはあり得ない気持ちだ。決して、私は男色家ではない。しかし、彼に対する気持ちは触れてみたいということに近い。その気持ちを最も表わすのがキスであり、そのマークだ。世界中から彼はキスの賛辞をもらって、こうして眠っているのだろうか。(今年行ってみると、今まで直にされていたキスが禁止され、お墓の周りに透明なアクリル板が張り巡らされ、そこに皆キスをしていた。なにか味気ないものを感じたのだった。)
さて、そのオスカーの『幸福の王子』をまた新たに読んでみた。英語でも読んでみた。短く、分かりやすい言葉で書かれた珠玉の名作であることを改めて知った。彼の半生ももう一度調べて、彼のことがやはり好きになった。けれど、涙は出なかった。あのツバメが力尽き、ぼろぼろの王子の像を想像しても、泣けなかった。どうしてだろう。私は泣きたかった。普通に感動して、泣きたかった。『泣いた赤鬼』も読んだ。やはり泣けなかった。内容は分かる。そのポイントも分かる。しかし、泣くことができなかった。なぜなのか。私はもうあの頃の心がないのか。そんなはずはない。私は私を信じている。私は泣ける人間だ。そこをできる人間だ。しかし、駄目だった。二度目だからか。知っているからか。違うだろう。落ちたのか。汚れたのか。麻痺したのか。分からなくなったのか。分からない。金箔の剥がれた銅像と静かに眠るように死んだツバメと青鬼が去ったあとに残された赤鬼を、私は分からなくなったのか。感じなくなったのか。人間として失格なのか。
そう思うと泣けてきた。ここで泣こうと思った。しかし、これこそ人には見せられない。一人で布団を被るか、暗がりで、映画館で、トイレで泣くのか。私はそんなことを思いながら、オスカーのお墓の写真を眺めながらお茶を飲む。もう泣くに泣けない時代になったのかと思った。キッスをしようにも口紅がないのように、私には泣くための水分がないのかと、好きでもないお茶をたくさん飲もうと思った。それで幸福になれるのだろうかとも考えた。なぜ泣いたのか。どのあたりで泣いたのか。あの青鬼のどのあたりに泣くポイントがあるのか。王子に泣くのかツバメに泣くのか。家なき子では、あの猿に泣いたのはなぜなのか。
寂しいからである。わかってもらえないからである。孤独を感じるのは、理解し合えないからである。犠牲者?そうかも知れない。その犠牲に私は感動し、涙を流すのだ。犠牲者を知って生きることは寂しいし、知らずに生きることはもっと寂しいのだ。オスカー・ワイルドは、‘幸福の王子’に託したのは、幸福と不幸である。それらは同じなのかも知れない。そして気付くも気付かないも、これもまた運命なのだ。私はツバメだ。どちらかというとツバメのほうだ。(みなそうなのかも知れない。)そしてその美しい亡骸に、人生の最後を重ね合わせる。私にもそんなことができるのだろうか。王子のために人のいいツバメは命まで捧げてしまったのだ。これは、神や宗教や法ではない。心だ。心の問題だ。そんな心をなんて呼べばいいのだ?
いつだったか、まだ小学生の頃、テレビアニメの番組で『幸福の王子』を観て泣いたことがある。その記憶をもとに大学になってふいに読みたくなり、文庫本を買って読んだ。その時は泣かなかった。しかし、泣こうと思っていた自分はいたのだ。私は泣き虫だったのかも知れない。知れないというのは、そうは思っていなかったからだ。でも、とその逆のことも思い出す。童話『泣いた赤鬼』や映画やテレビを観て感極まって泣いた。いや、みんな同じように泣いているのかも知れないが、‘泣き虫’と言われたくないから、やせ我慢しているのだ、そう思っていた。だけど一方、私のように童話などに泣く子供は少なかったのかもとも思う。なぜなら、私と同じように泣いている子がまわりにいなかったからだ。一緒に『家なき子』のアニメ映画を観に行ったときのこと。同級生のI君は、泣いているにも関わらず(すぐ隣にいたわけではないが、気付かれないように横目でみた彼の横顔から、涙の溜まった目が見えた気がしたからだ)、観終わったあとで、「泣いてたよね?」と訊くと「泣いてなんかない」と言ったのだ。そうか、泣いていることがわかってしまうと恥ずかしいのか。そう思った。私は泣いたと言った。
だいぶ時が経ち、30代の半ば、仕事でフランスのパリに行くことがあった。初めてではないので、それほど観光というのも余りしたくないと思ってガイドブックを広げていた時、パリ最大の墓地‘ペール・ラシェーズ’の存在を知った。墓巡りは学生時代からの趣味だったので、これだとばかりに飛びついた。そこにはたくさんの歴史上の人物が眠っている。その中にオスカー・ワイルドがいたのだった。この時、私のなかに得も言われぬものが生まれた。幾つかの小説も齧って読んだ。彼の半生も斜め読みで知っていた。映画もあった。興味はあった。天才オスカーを私は私なりに好きだった。けれども、その先には行かなかった。理由は?分からない。単純に心が動かなかっただけなのかも知れない。なにか分かったような気持ちになり、浅はかな判断でもういいやと追いかけるのを止めたのだろう。恋愛のような、片想いが終わったような、そんな状態だったのかも知れない。しかし、お墓の存在によって、再び記憶の焼け没杭に火がついたのだ。
仕事の休みの日、一人地下鉄に乗り、その墓地へ向かった。小腹が空いたので、角にあったスタンドで卵のクレープを買って、歩きながら墓地へ向かった。そこで私は大きな過ちを犯してしまった。墓地をなめていた。東京の多摩霊園での経験で、偉人のお墓はそれなりに扱われ、丁寧な案内があるのだと。ガイドブックは手にしている。しかし、それはアバウトであり、あまり当てにならない。後で知ったのだが、裏口から入ったために、現地の墓地案内図をもらわずに彷徨っていたのだった。正門から入れば、A4サイズの案内地図があったのだった。(今年、実は久しぶりにまた行った時、その案内図をみたが、当てにはなるけれど、やはり分かりにくかった。)
日本の墓地とは違い、みな重厚な石造りで、壁に囲まれた石畳の道を踏ん張って歩いた。坂道も多いし、石自体が大ぶりで、足の裏が痛くなる。それでもオスカーに逢いたいがために、道から道へ、路地から路地へさ迷い、歩いた。ガイドブックの地図を頼りに必死に探した。すると光が見えた。その街路樹の奥へ吸い込まれながら、曇った寒空の下、お墓はあった。大理石でできた、風変わりなデザイン。神話に出てくるような人物がレリーフされ、肌色の石になにやら点々と模様が入っている。よく見れば、キスマークである。ということはほぼ女性であろう。みな、ここに来て、キスをして帰るのだ。オスカーにキスをする?私は今まで思ってもいなかったが、その行為がとても納得できた。他の作家にはあり得ない気持ちだ。決して、私は男色家ではない。しかし、彼に対する気持ちは触れてみたいということに近い。その気持ちを最も表わすのがキスであり、そのマークだ。世界中から彼はキスの賛辞をもらって、こうして眠っているのだろうか。(今年行ってみると、今まで直にされていたキスが禁止され、お墓の周りに透明なアクリル板が張り巡らされ、そこに皆キスをしていた。なにか味気ないものを感じたのだった。)
さて、そのオスカーの『幸福の王子』をまた新たに読んでみた。英語でも読んでみた。短く、分かりやすい言葉で書かれた珠玉の名作であることを改めて知った。彼の半生ももう一度調べて、彼のことがやはり好きになった。けれど、涙は出なかった。あのツバメが力尽き、ぼろぼろの王子の像を想像しても、泣けなかった。どうしてだろう。私は泣きたかった。普通に感動して、泣きたかった。『泣いた赤鬼』も読んだ。やはり泣けなかった。内容は分かる。そのポイントも分かる。しかし、泣くことができなかった。なぜなのか。私はもうあの頃の心がないのか。そんなはずはない。私は私を信じている。私は泣ける人間だ。そこをできる人間だ。しかし、駄目だった。二度目だからか。知っているからか。違うだろう。落ちたのか。汚れたのか。麻痺したのか。分からなくなったのか。分からない。金箔の剥がれた銅像と静かに眠るように死んだツバメと青鬼が去ったあとに残された赤鬼を、私は分からなくなったのか。感じなくなったのか。人間として失格なのか。
そう思うと泣けてきた。ここで泣こうと思った。しかし、これこそ人には見せられない。一人で布団を被るか、暗がりで、映画館で、トイレで泣くのか。私はそんなことを思いながら、オスカーのお墓の写真を眺めながらお茶を飲む。もう泣くに泣けない時代になったのかと思った。キッスをしようにも口紅がないのように、私には泣くための水分がないのかと、好きでもないお茶をたくさん飲もうと思った。それで幸福になれるのだろうかとも考えた。なぜ泣いたのか。どのあたりで泣いたのか。あの青鬼のどのあたりに泣くポイントがあるのか。王子に泣くのかツバメに泣くのか。家なき子では、あの猿に泣いたのはなぜなのか。
寂しいからである。わかってもらえないからである。孤独を感じるのは、理解し合えないからである。犠牲者?そうかも知れない。その犠牲に私は感動し、涙を流すのだ。犠牲者を知って生きることは寂しいし、知らずに生きることはもっと寂しいのだ。オスカー・ワイルドは、‘幸福の王子’に託したのは、幸福と不幸である。それらは同じなのかも知れない。そして気付くも気付かないも、これもまた運命なのだ。私はツバメだ。どちらかというとツバメのほうだ。(みなそうなのかも知れない。)そしてその美しい亡骸に、人生の最後を重ね合わせる。私にもそんなことができるのだろうか。王子のために人のいいツバメは命まで捧げてしまったのだ。これは、神や宗教や法ではない。心だ。心の問題だ。そんな心をなんて呼べばいいのだ?
作品名:『オスカーのツバメ』 作家名:佐崎 三郎