株式会社神宮司の小規模な事件簿
それは犬山門吉という社員がクイーンの鼻歌を歌いながら仕事をしていたことから始まった。
彼は車内で二つのことで有名であった。
一つはその鼻歌の上手さである。
彼の鼻歌は鼻歌を超越した鼻歌であった。彼が鼻歌えば駅員は乗客が通る度にウィンクをし盆栽は謎の開花をし囚人は皆自主的にクイックルワイパーで掃除し始めた。しかして彼は口を開けば音痴であった。これは社内七不思議の一つに数えられている。ちなみにどこかしら中途半端に音程がずれるため聴いている側が一番もやもやしてしまうタイプの音痴さであった。
そして二つ目は、彼は極度の独り言人間だったということである。
彼の独り言は中途半端に大きくさらに高速で長時間話し続けるタイプだったため独り言が始まると皆ついつい耳を傾けてしまうのである。それを奇行だと認識していないのは社長一人であった。神宮司社長は独り言と会話出来るという特殊能力を持っていたからである。これは社内七不思議の一つに数えられている。
とにもかくにもその有名な門吉の鼻歌である。オフィス中皆うっとりと聴き惚れていた。
しかして突然彼の鼻歌が停まったのである。
「…そうだ。」
門吉がぽつりと呟いた。独り言スイッチが入った証拠である。
「そうだ。何かがおかしい。何故部長と課長が揃って草津温泉に行く必要があるのだ。そもそも仕事仲間でなく、友人同士であったとしてもおかしい。何を好んで男とさしで温泉に行かねばならぬのだ。もしや彼等並々ならぬ関係を持っているのではあるまいな。そうとも、そうに違いまい。しからば先日発狂した佐藤殿に襲われ気を失った部長を課長が支えるという何処か気色の悪い光景も納得がいくというものだ。これはえらいことを知ってしまったぞ。くわばらくわばら。」
社内中が静まりかえった。くわばらくわばらはこっちの台詞である。と誰しもが悪態をついていた。
まさかそんなことはあるまいと思っては見ても一度植え付けられた疑惑はなかなかしぶとい。彼等の脳内でその疑惑はゆっくりと膨らんでいった。そして新たなる被害者を生む悲劇へと繋がっていったのである。
作品名:株式会社神宮司の小規模な事件簿 作家名:川口暁