アーク_1-2
☆1-2
神々の居城は、首都ユピテルの中心部の、数多の街道が交差する丘の頂上にある。ガラスとも水晶とも違う、半透明に透ける淡い紫色の不可思議な物質でできた、小さな山ほどもある宮殿。秋の日差しに照らされて、静かに煌めいている。その佇まいを眺めるだけでも、神々の威光がはっきりと感じられる。人間の力では、あのように巨大で、あのように美しい建造物を創造するのは、不可能だろう。
その威光を自分の目で見られるとは、しかも空から見下ろすなんてことができるとは……。非常に感慨深いものがあることも、事実ではある。その代わり、山のように不満もあるのだが。
ベルはユノに渡されたソージキに乗って空を飛んでいた。
ソージキに乗る、というビジュアル的な難点もさることながら、このソージキ、どこにも掴まるところがなく、体を固定することができないのである。当たり前だ、ソージキなのだから。もともと人が乗るようには作られていないのである。つるつるした丸いボディに座った尻が滑り、バランスなど取り様がない。仕方なしにホースにしがみついているが、けっこうなスピードが出るこのソージキ、それでは心もとない。高いところは平気なベルでも、少し恐ろしさを覚えてしまう。
「ねぇ、コレ。どうにかならないの? すっげぇ怖いんだけど」
ホースの先に留まる、パラスと名乗るお供の天使に聞いてみた。
「い、いえ、僕にはその、なんとも……」
赤い小鳥の姿をした天使は、消え入りそうな声で言う。なんとも頼りない天使である。魔法少女には、必ず専属の天使がお供に付くらしい。
半人前の天使は、小動物やぬいぐるみなどの姿を借りて地上に顕現するという。より大きく、人間に近いほうが、能力も高いということらしい。鳩くらいの大きさしかないパラスは、まだまだ駆け出しというわけだ。上級天使になると山のように大きな姿をとることもできるらしいが、もちろんベルは見たことがない。もちろん見たくもないが。
「大体コレ、ホントに乗っていいものなの? やたらスピード出るんだけど」
流れる風に揺られて、つぎはぎだらけのスカートがはためく。
「さあ……」パラスはクッと首を傾げた。「普通の魔法少女はホーキに乗りますので、僕にはなんとも……」
「ちょっと」ベルは拳を振り上げて抗議した。「じゃあなんであたしはソージキなのよ」
「ひぃっ! し、知りません……」
小さな体を震わせて、パラスは悲鳴混じりに答えた。身振りを付けただけなのに、なんだか悪いことをした気分になるベルだった。
「あンの年増、適当やりやがって」
ベルは怒りの矛先を、今はいないユノへ向けた。
「神様に向かってそんな暴言を吐く人、初めて見ました」
パラスはさっきから目をぱちくりさせている。
「魔法少女でソージキってこたぁないわよねえ。それに脈絡なく魔法少女って、別に魔法使えるわけじゃないんだし。普通にガールスカウトとかでいいじゃない。どんなセンスしてるのよ。だから化粧も濃くなるのよねぇ」
パラスはぶるっと身震いをした。
眼下を眺めると、まだら模様の街が広がる。街道に沿って建つ街路樹の赤と、煉瓦造の屋根の赤とが美しく混ざり合う。首都圏の街並みはモザイク画に似ている。ベルの地元ではあまり見かけないが、首都では階層を持つ建物も多い。その中で、所々に建つ教会の尖塔。本物の神が光臨したことで、もはや意味をなさないその建物は、今は天使たちが常駐して辺りを警戒する、一種の夜警塔になっている。
天使たちが光臨してから、人間の暮らしは一変した。道々には街灯が立ち並び、暗い夜を照らしてくれる。今まで不治の病とされていた病の治療法を、いくつも開発したのは天使たちだ。効率のいい農業の方法を教えてくれ、収穫量は倍になり、今や飢饉の恐怖もない。野生の獣や魔獣からも天使は守ってくれる。人間同士の争い、まして戦争なんて、もはやナンセンスといえる。
首都を訪れるのは初めてではなかったが、その頃は天使たちが光臨し始めたばかりの頃で、ここまで繁栄はしていなかった。今では空を天使が飛び、道行く人々は笑顔にあふれている。あれから10年も経っていないというのに、まるで別世界に来たかのようだ。
「お! あれが有名な、あの、えーと……なんとかいう街道ね! すごい昔からあるってウワサの!」
指差した先には、石畳の道。
「執政官街道の一部ですね、旧時代の名残の。……って、ちょっと、ベルさん!」
パラスが静止するよりも早く、ベルは急降下していた。
旧時代から残るといわれるその石畳の道は、既に道としての用を成さないほど朽ちてしまっている。石畳はいたるところ欠落し、めくれ上がり、馬車はおろか、人の通行さえ支障をきたす有様である。風化はもちろんのこと、天使光臨前に頻発した戦争によるダメージも大きいのだろう。
まっすぐに伸びる道の先を見ると、あの神々の宮殿がそびえたつ。すべての道は、神々の居城に向かって伸びているのだ。見れば、宮殿に近い方は修復がなされ始めている。そう遠くない未来、すべての街道が蘇るのかもしれない。
低空で感慨にふけっていると、道行く人々が手を振ってくれているのが見えた。魔法少女は、この街では広く認知された存在なのだろう。
「おねぇちゃん、パンツ見えてる~!」
母親の手に引かれた少年に、笑顔で手を振り返した。
「コラッ、クソガキ! 金払え~!」
少年はあかんべーをして、母親に頭を小突かれた。それを見てベルはくすくすと笑った。
「あのぅ、ベルさん。寄り道してる時間はあんまりないんですけど……」
困惑顔のパラスがおずおず切り出すが、既に興味は次に移っていたベルは聞こえないフリをした。
「あ! あれあれ、あれってオベリスクってヤツでしょ?」
風を切って飛び出す。
観光客がたむろするその半壊したモニュメントは、広場の中心にぽつんと佇んでいた。10メートルはあろうかというほどの巨大さだった。台座の部分に何かの意匠を施してあった痕跡はあるが、風化してしまって分からない。だが天を突くその雄姿だけは、100年前も変わらなかったのかもしれない。
街道と違い、オベリスクは修復される気配がない。さしもの天使達といえど、はるか昔の芸術家の魂までは蘇生できないということか。
「ベルさん、そのぅ……」
「そういえば、何とか言う有名な泉だか噴水だかがあるのよね。見に行きましょ!」
らんらんと目を輝かせるベルに対して、パラスは泣く寸前だ。
「日が暮れてしまいますよぉ~! 今日のルートには森越えがあるんです、急がないとまずいですよぉ~」
「うるさいなぁ」
ウワサの泉はどこかと、ベルは視線をめぐらせた。パラスは完全に無視して。
ソージキに乗って首都上空を飛んでいると、ふと、傍から見たらどんな風に見えるのだろうかと考えてしまう。青い空に浮かぶ、ソージキにまたがった女と小鳥。さぞかし滑稽な光景だろう。びゅんびゅんと音を立てるほどの速度が出ているので、乗っている本人は笑えないが。
秋の空は冷たいはずだが、あまり寒くないことに今更ながら気付いた。このソージキが熱でも出しているのだろうか。
疑問を口にすると、パラスは喜々として答えた。
神々の居城は、首都ユピテルの中心部の、数多の街道が交差する丘の頂上にある。ガラスとも水晶とも違う、半透明に透ける淡い紫色の不可思議な物質でできた、小さな山ほどもある宮殿。秋の日差しに照らされて、静かに煌めいている。その佇まいを眺めるだけでも、神々の威光がはっきりと感じられる。人間の力では、あのように巨大で、あのように美しい建造物を創造するのは、不可能だろう。
その威光を自分の目で見られるとは、しかも空から見下ろすなんてことができるとは……。非常に感慨深いものがあることも、事実ではある。その代わり、山のように不満もあるのだが。
ベルはユノに渡されたソージキに乗って空を飛んでいた。
ソージキに乗る、というビジュアル的な難点もさることながら、このソージキ、どこにも掴まるところがなく、体を固定することができないのである。当たり前だ、ソージキなのだから。もともと人が乗るようには作られていないのである。つるつるした丸いボディに座った尻が滑り、バランスなど取り様がない。仕方なしにホースにしがみついているが、けっこうなスピードが出るこのソージキ、それでは心もとない。高いところは平気なベルでも、少し恐ろしさを覚えてしまう。
「ねぇ、コレ。どうにかならないの? すっげぇ怖いんだけど」
ホースの先に留まる、パラスと名乗るお供の天使に聞いてみた。
「い、いえ、僕にはその、なんとも……」
赤い小鳥の姿をした天使は、消え入りそうな声で言う。なんとも頼りない天使である。魔法少女には、必ず専属の天使がお供に付くらしい。
半人前の天使は、小動物やぬいぐるみなどの姿を借りて地上に顕現するという。より大きく、人間に近いほうが、能力も高いということらしい。鳩くらいの大きさしかないパラスは、まだまだ駆け出しというわけだ。上級天使になると山のように大きな姿をとることもできるらしいが、もちろんベルは見たことがない。もちろん見たくもないが。
「大体コレ、ホントに乗っていいものなの? やたらスピード出るんだけど」
流れる風に揺られて、つぎはぎだらけのスカートがはためく。
「さあ……」パラスはクッと首を傾げた。「普通の魔法少女はホーキに乗りますので、僕にはなんとも……」
「ちょっと」ベルは拳を振り上げて抗議した。「じゃあなんであたしはソージキなのよ」
「ひぃっ! し、知りません……」
小さな体を震わせて、パラスは悲鳴混じりに答えた。身振りを付けただけなのに、なんだか悪いことをした気分になるベルだった。
「あンの年増、適当やりやがって」
ベルは怒りの矛先を、今はいないユノへ向けた。
「神様に向かってそんな暴言を吐く人、初めて見ました」
パラスはさっきから目をぱちくりさせている。
「魔法少女でソージキってこたぁないわよねえ。それに脈絡なく魔法少女って、別に魔法使えるわけじゃないんだし。普通にガールスカウトとかでいいじゃない。どんなセンスしてるのよ。だから化粧も濃くなるのよねぇ」
パラスはぶるっと身震いをした。
眼下を眺めると、まだら模様の街が広がる。街道に沿って建つ街路樹の赤と、煉瓦造の屋根の赤とが美しく混ざり合う。首都圏の街並みはモザイク画に似ている。ベルの地元ではあまり見かけないが、首都では階層を持つ建物も多い。その中で、所々に建つ教会の尖塔。本物の神が光臨したことで、もはや意味をなさないその建物は、今は天使たちが常駐して辺りを警戒する、一種の夜警塔になっている。
天使たちが光臨してから、人間の暮らしは一変した。道々には街灯が立ち並び、暗い夜を照らしてくれる。今まで不治の病とされていた病の治療法を、いくつも開発したのは天使たちだ。効率のいい農業の方法を教えてくれ、収穫量は倍になり、今や飢饉の恐怖もない。野生の獣や魔獣からも天使は守ってくれる。人間同士の争い、まして戦争なんて、もはやナンセンスといえる。
首都を訪れるのは初めてではなかったが、その頃は天使たちが光臨し始めたばかりの頃で、ここまで繁栄はしていなかった。今では空を天使が飛び、道行く人々は笑顔にあふれている。あれから10年も経っていないというのに、まるで別世界に来たかのようだ。
「お! あれが有名な、あの、えーと……なんとかいう街道ね! すごい昔からあるってウワサの!」
指差した先には、石畳の道。
「執政官街道の一部ですね、旧時代の名残の。……って、ちょっと、ベルさん!」
パラスが静止するよりも早く、ベルは急降下していた。
旧時代から残るといわれるその石畳の道は、既に道としての用を成さないほど朽ちてしまっている。石畳はいたるところ欠落し、めくれ上がり、馬車はおろか、人の通行さえ支障をきたす有様である。風化はもちろんのこと、天使光臨前に頻発した戦争によるダメージも大きいのだろう。
まっすぐに伸びる道の先を見ると、あの神々の宮殿がそびえたつ。すべての道は、神々の居城に向かって伸びているのだ。見れば、宮殿に近い方は修復がなされ始めている。そう遠くない未来、すべての街道が蘇るのかもしれない。
低空で感慨にふけっていると、道行く人々が手を振ってくれているのが見えた。魔法少女は、この街では広く認知された存在なのだろう。
「おねぇちゃん、パンツ見えてる~!」
母親の手に引かれた少年に、笑顔で手を振り返した。
「コラッ、クソガキ! 金払え~!」
少年はあかんべーをして、母親に頭を小突かれた。それを見てベルはくすくすと笑った。
「あのぅ、ベルさん。寄り道してる時間はあんまりないんですけど……」
困惑顔のパラスがおずおず切り出すが、既に興味は次に移っていたベルは聞こえないフリをした。
「あ! あれあれ、あれってオベリスクってヤツでしょ?」
風を切って飛び出す。
観光客がたむろするその半壊したモニュメントは、広場の中心にぽつんと佇んでいた。10メートルはあろうかというほどの巨大さだった。台座の部分に何かの意匠を施してあった痕跡はあるが、風化してしまって分からない。だが天を突くその雄姿だけは、100年前も変わらなかったのかもしれない。
街道と違い、オベリスクは修復される気配がない。さしもの天使達といえど、はるか昔の芸術家の魂までは蘇生できないということか。
「ベルさん、そのぅ……」
「そういえば、何とか言う有名な泉だか噴水だかがあるのよね。見に行きましょ!」
らんらんと目を輝かせるベルに対して、パラスは泣く寸前だ。
「日が暮れてしまいますよぉ~! 今日のルートには森越えがあるんです、急がないとまずいですよぉ~」
「うるさいなぁ」
ウワサの泉はどこかと、ベルは視線をめぐらせた。パラスは完全に無視して。
ソージキに乗って首都上空を飛んでいると、ふと、傍から見たらどんな風に見えるのだろうかと考えてしまう。青い空に浮かぶ、ソージキにまたがった女と小鳥。さぞかし滑稽な光景だろう。びゅんびゅんと音を立てるほどの速度が出ているので、乗っている本人は笑えないが。
秋の空は冷たいはずだが、あまり寒くないことに今更ながら気付いた。このソージキが熱でも出しているのだろうか。
疑問を口にすると、パラスは喜々として答えた。