レッツ褌
そして、御輿を担ぐ男衆は全員、白い鉢巻き、腹巻き、褌、地下足袋をつけて、海渡りの儀式にのぞむことが決まった。
次の週、祭りの日が来た。神社を中心に町の人々、隣町の人々、それに今年は20年ぶりに海渡りでの褌着用が復活ということが話題になり、より遠くからも見物客がやってきた。
そして、ジャックにとっては思わぬ訪問客と対面した。それは妹のアンヌだ。驚きの知らせを受けた。アンヌは、数年前にアメリカ人と結婚してニューヨークに住んでいたのだが、夫がゲイであることが発覚。その上、最近、州で合法化された同性婚で新しいパートナーと結婚するつもりで、そのため、アンヌに離婚を申し出てきたというのだ。もちろんのこと、離婚したのだが、結果、心に深い傷を負ってしまった。何とか気分を変えようと兄のジャックがいる日本まで飛んできたというのだ。ジャックは、気分転換に祭り見物を勧めた。アンヌのため浴衣も繕った。
祭りの日、晴天で町は大盛況であった。神社から海岸までの通りはごった返した状態だ。商店街がいつになく賑わい、そして、神社は露店が軒を連ね、そこも大賑わいであった。
朝から町のどこかしこから笛太鼓が鳴る。アンヌは百合子に連れられ、いろいろなところを案内された。しかし、こんな賑わっている中でも、アンヌの表情は浮かない。必死で雰囲気に合わせて笑おうとしているのだが、それ以上に心の傷が深いようだ。
お昼が過ぎた。ついに目玉イベントの御輿担ぎと海渡りが行われる。特に海渡りは、腹巻きと褌の男衆によるものなので注目の的だ。神社で、お清めの儀式が執り行われ、御輿を担ぐ町民が一同に境内に集まり静かで厳かな儀式が執り行われた。神社の宮司が現れ、祈祷をするなどの儀式だ。ジャックは、仲間と一緒に境内に立って、その儀式をじっと見つめていた。初めて見る光景だ。その荘厳さに強い衝撃を受けた。
清め儀式が終わった。さあ、始まる。まずは御輿担ぎだ。ジャックや男衆一同は、腹巻きと六尺褌、鉢巻き、地下足袋をした格好になっているが、海岸までは、その上に法被を着ている。なので、褌が見える状態ではない。というのは、まずは、男衆だけでなく、老若男女を交えた町民が境内から海岸近くまで御輿を交代で担ぐのだ。それは同じ法被を着ていれば、男女関係ない。お祭りの和気あいあいのイベントとして執り行うものだからだ。御輿に触ることは縁起のいいことだとされるので、誰もが飛び入りで交代で担ぐ。
その周りでは笛太鼓の音がなる。御輿を担ぐ者達は「ワッショイ、ワッショイ」と揃えて掛け声を出す。
百合子も、それに混じって1分ほど担いだ。ジャックと泰蔵は、先頭で担いだり、離れて見守り指揮を取る。御輿、英語で訳すと、portable shrineと呼ぶらしい。つまり、持ち運べる神社。それを体に接して担ぐので、神と自らを接触させる感覚を味わえる。肩にかかる重みは神からの御達しのように感じられる。
ついに、海岸近くにやってきた。御輿は一旦、用意された台に置かれる。さっそく男衆の出番だ。法被を着て一緒に担いでいた者、そして、離れて見守っていた者、などが、一斉に白の鉢巻き、腹巻き、褌、地下足袋の姿になる。男衆数十人が御輿のそばで生尻を見せつけ並んだ。若い者から年老いた者、痩せた者、太った者と尻の形は様々だ。壮観な眺めである。ジャックと泰蔵が担ぎ棒の先頭に来た。周囲の目は、彼らに釘付けだ。カメラのシャッター音も聞こえる。
特にジャックは祭り初の外人の担ぎ手で、おまけに祭りの幹事。背が高くがっしりとした体格。胸毛もあるのでさらに注目の的。もう褌が恥ずかしいなどといっている場合ではない。
男衆には、強い日差しも照りつけ輝いている。気温は三十度を超えている。なので、海に入るのは丁度いいぐらいだ。泰蔵は、ひとまず御輿から離れた。どうやら、海へ御輿を誘導する係りを担うつもりだ。一緒に昨年の幹事役である源がいる。太めの源の褌姿は相撲取りのようであった。
源は泰蔵に言った。
「泰蔵さん、二十年ぶりだな。褌で海に入るのは。いい気分だぜ」
「おう」と元気いっぱいの泰蔵。
ジャックは先頭で、同じく先頭の太郎と一緒に御輿の担ぎ棒を肩にしょっていた。その姿を百合子が見つめている。その百合子の隣にアンヌがいる。
ジャックは、掛け声をかけた。
「いくぞ! ワッショイ」
泰蔵と源が、手振りで皆を海へと誘導する。一同は、どんどん浜辺の方へ進んでいく。そして、砂浜に。
その後、波打ち際に来る。ここからが慎重だ。数百キロの御輿を担ぎながら、波打つ水の中に入っていくのだ。浅瀬が終わる三百メートルぐらいまで。丁度、小さな岩礁が見えるところまで担いでいくのだ。
ジャックも、数日前、下見として同コースに入ってみた。一番深いところはジャックの胸元まである。他の者だと肩ぐらいまではある深さだ。水の中なので、足元もふらつきやすい、そういう中を少しずつ進んでいくのだ。そして、岩礁の辺りまできたら、くるりと回って海岸へ引き返す。
周囲で笛太鼓が鳴り、一同は「ワッショイ、ワッショイ」と掛け声を上げる。地下足袋の中に水が入ってくる深さにまでなった。いよいよだ。そして、股の辺りまで。褌が、ぎりぎり見えるほどの深さになった。その深さで約百メートルだ。海岸で見物する人々が遠く小さく見えてしまう。自分たちが海の中に取り残されたような気分だ。
「よーし、深くなるぞ」と泰蔵が言う。
そして、沖の方を見ると数十メートル先に岩礁が。水がどんどん上がっていく。大事なことは御輿を海に沈ませないことだ。一同は団結した。
「ワッショイ、ワッショイ」と同時に掛け声をかけ、海岸の見物客にも聞こえるほどの大声を出した。海水に腰まで浸かる。腹巻きまでびっしょり濡れる。ジャックの胸元まで水位が上がった。一番深いところだ。岩礁が数メートル先にあるのが見えた。
「ようし、引き返すぞ」と泰蔵。泰蔵は首まで浸かっているが、足を地につけず、泳いでいる感覚だ。そして、引き返すように御輿のコース変更を誘導した。
さあ、陸を目指すぞ。御輿を神社に戻すのだ。
「行くぞ」とジャックは声を上げた。
陸に近付く。多くの見物客に混じって百合子とアンヌが手を振っているのが見えた。アンヌは、百合子と一緒ににこにこして見つめている。ジャックは、嬉しくなった。
陸に上がると一同、胸までびっしょり濡れた状態で、道路に上がり、御輿を担ぎ上げる。「ワッショイ、ワッショイ」と進んでいく。濡れた体、濡れた腹巻き、そして、濡れた褌が締め込まれた濡れた尻の数々。水がしたたる濡れ男たち。
神社に近付く前に、しなければならないことがある。それは潮抜きだ。放水ホースで真水を御輿と共に男衆が浴びる。すでに濡れているが、塩と泥の混じった海水による濡れた状態で境内に入るのでは清まらない。
その水が地面にまで落ちると、虹が辺りに広がった。まるで神の虹だ。感激の光景だった。
真水を日差しの照る中、ずっぽりと浴びるのは実に気持ちがいい。
百合子が、目を輝かせ、シャワーを浴びているジャックを見つめている。輝く瞳はジャックを呼び寄せているようだ。ジャックは、御輿から離れ、百合子に近付く。すると百合子も近寄ってきた。