レッツ褌
ああ、これは相撲取りの回しに似ている。相撲取りもこんな感覚で、相撲をとっているのか。だが、この格好で水の中に入るのである。どんな感覚なのか。
ジャックは、一人海岸の人の少ない場所へ行った。歩いて数分ほどで、静かで小さな浜辺を見つけた。晴れ渡った日、誰もいないところだ。どうして、そういうところに行ったかというと、尻を丸出しの状態で人目にさらされるのを避けたいからだ。この点、下着としての褌とは違う。おまけにジャックは外人だ。好奇の目に普通以上にさらされる身である。
百合子にも見られたくなかったので、彼女がいない間に、試すつもりで誰もいない海岸にやってきた。さあ、入るぞと波打ち際に近付くと、後ろから声をかけられた。それも英語だ。日本人の話す英語だ。
「そういうものって、あなたたちにとっては野蛮なウエアなのじゃない?」
振り向くと太郎がいた。
「やあ、こんにちは」とジャックは苦笑いで挨拶した。会いたくない奴に会いたくないシチュエーションで会ってしまった。だが、驚くことに太郎は同じ六尺褌を身につけている。赤い褌だ。
「君も海水浴に来たのか」と英語できいた。
「イエス。このトラディッショナルなスイムウエアをつけてね。君もどうして、そんなものを」
「日本に来たのだから、日本の水着をつけようと思ってね」と誤魔化すつもりで言った。
「今時、日本人だって、これを水着として身につける者なんていないよ。第一、ほとんどの日本人が身につけ方さえ知らないのではないか。俺だって最近、知ったばかりだ」
「どうして褌をつけたいと思ったんだ」
「日本人としてのアイデンティティを失わないようにするためさ」
太郎はジャックを睨みつけて言う。そして、海の中に走って入っていった。筋肉質でがちっとした体格に赤褌で締め込んだきりっとした尻が、太郎のいわんとする言葉を如実に物語っていた。太郎についていくようにジャックも海の中に入った。
「君は僕に嫉妬しているのか。僕が百合子を奪ったとでも思っているのか」
太郎に追いつき、二人は海水に肩まで浸かった状態だ。
「西洋人が日本にやってきて、西洋文化の優越性をひけらかし、日本人にコンプレックスを植え付けたんだ。なんでも西洋のものがいいと思わせて、日本の伝統文化を衰えさせてしまった」
と太郎は日本語で言った。
「それと百合子とのことがなんの関係があるんだ? 百合子が、僕が西洋人だから選んだと思うのか」と日本語でジャックは返す。
太郎は、しばらく押し黙った。そして、
「すまない。あんたを責めるつもりはなかった。ただ、ただ、悔しくて。彼女のことがずっと好きで。彼女と結婚できると思っていた。だけど、こんなことになってしまって。俺ってみっともないな。だけど、あんたが日本人ではなく外人だから、日本人としては、どうしても悔しいんだ。コンプレックスってやつだよ。文化の差で負けたんだと思うと、より悔しくなって。イギリスにいたけど、西洋の人って、西洋以外の国のことは知らないし、見下げているだろう。あんただって、そんな西洋人だと思えると、とっても悔しくて」
「僕は違うよ。日本語も勉強したし、日本の文化も学んだ。日本語も日本も好きさ。百合子は、百合子さ。彼女は素晴らしい女性だ。日本人だからというわけではない。君にはわるいが、そんな彼女に会って僕は好きになった。彼女もそれに応えてくれた。ただ、それだけさ」
ジャックは必死になって言った。すると太郎は、突然、にこっとした表情になった。
「そうだよな。彼女があんたを選んだまでということか。それが事実なんだろうな。それを素直に認めるしかねえんだろうな」
太郎はそういうと浜の方に戻っていった。ジャックは海に浸かったまま、その姿を眺めていた。ジャックは、何となくいい気分に浸っていた。というのも、褌をつけた状態で海中にいると、海水パンツよりも気持ちいいのだ。尻に水を感じる感覚が実に気持ちいい。これはいい水着だ。
浜辺に着いた太郎はジャックの方を向いて言った。
「ジャックさん、褌、似合っているよ。悔しいけど格好いいよ」
そして、太郎は浜辺から去って行った。
海水に浸かりながらジャックは考えた。日本人は西洋人にコンプレックスを抱くものなのか。だからこそ、褌を着なくなったのか。機能性からいえば、西洋のパンツの方がいいのだろう。だが、伝統を継承していくという意味では、違った考え方もある。
伝統の継承といえば、ジャック自身にとっても身につまされる想いがある。それは、ジャックがフランス系カナダ人であることだ。同じカナダ人でもフランス系は少数派だ。ケベック州には主にフランス系移民が渡ってきた。だが、大半を占めるイギリス系に比べ、政治的に不利な立場にある。それは建国以来ずっとそのような状態だ。いざ、ケベック州を抜けると、北アメリカは英語のみの世界だ。フランス語を母国語とする自分たちは不便に付き合わされる。一時期、独立運動さえ盛り上がったほどだ。ジャックの両親は、そんな不利な立場にあることを考え、ジャックには学校で英語での教育を受けられる環境に置かせた。大学も英語で学べるトロントの大学に行くことになった。その方が、有利ではあったが、同時に自らの民族的アイデンティティが削ぎ落とされてしまった結果も否めない。
日本人と妙な共通点があるのだなと感じてしまった。
ジャックは百合子と泰蔵に六尺褌を着て海岸に行き、太郎に出会ったこと、太郎に言われたことを伝えた。
「へえ、太郎がそんなことをね」と百合子。
「六尺か、わしも昔つけていたな。子供の頃は、海水浴は褌じゃったよ。褌ならば溺れていても、つかみやすく助けられるからな。それに、祭りでもな」と泰蔵。
「祭りって? 夏祭りのこと?」と百合子が不可思議そうな顔を。
「そうじゃぞ」
「うそ、祭りで褌なんて見たことないわ。下はハンダコという短パンをつけて、上は腹巻きと胸から上が裸になるんでしょう」
「おまえは覚えてないかもしれないが、おまえが物心つく前ぐらいは、祭りでは御輿を担ぐ男共は、全員、褌じゃったんだ。腹巻きのさらしは褌にくくりつけていた。その格好で、海渡りもしたんじゃあ」
「へえ、そうなの。初めて知ったわ」
ジャックは「夏祭りですか、今年もあるのですか?」と訊いた。
「ああ、そうじゃよ。確か、今年は順繰りでわしらの家が大将と幹事をすることに」
「え、そうなの?」と百合子。ジャックは興味津々になった。
「そうじゃぞ、しかし、褌をみんなしなくなって、面白くなくなったな。本来、祭りでは、御輿を担ぎ、男衆が海を渡り、無病息災、大漁を神様に願うことになっているのじゃ。祭りが始まった時代は、漁師は皆、褌をしていた。だからこそ、伝統にしたがって、褌をつけるものなんじゃが、時と共に恥ずかしがる若者が出てな。尻を丸出しにするのが恥ずかしいからだってな。昔は、誰も恥ずかしがらなかった。そもそも、ああいう格好をさせることに意義があるものだったんじゃ。男たちの体を見せて、女たちはそれで自分の好みの男を見つけだしたものじゃ。死んだ母ちゃんも、わしの尻を見て、わしと一緒になりたいとおもったと言ってくれた」
「へえ、そうだったの」と百合子が驚きの表情。ジャックも驚いた。