切っ先にひっかけて
地べたに座り込んでいた私は立ち上がり、手すりに手をついて空を眺めた。今日は天気が良い。そろそろ衣替えだろう。私は何も言わない。話すことなんてないのだ。彼は私の隣に来て、同じように空を見上げた。途中、消えきらない煙草の臭いに顔をしかめて。
「お前、辞めんの」
単刀直入に切り出した彼に、私は「らしい」と思った。彼の突きも、同じように真っ直ぐ来る。決して力押しはしない、かといって、姑息な手段にも出ない、誠実な剣を私は愛おしく感じる。
「辞めたくて辞めるワケないじゃん。女ひとりで頑張ってたのに」
視線を逸らし、吐き捨てるように言った。これが今の私の全てだった。
「そう、だよな。戻ってくる気ないのか……?」
「戻るって、どうやって」
「安藤に謝るとか」
顧問のヒゲは、安藤という名前だった。
「確かに、校則破ってる私が悪いよ。だけどさ、私が一番私らしい姿じゃないと意味ない」
彼はよくわかっていないようだった。それもそうだ、これは私の理屈で、私だけの信念のようなものだった。
「意味ないとは、俺は思わないけど」
「私、カッコ良くて、小二の時に剣道始めたよ。だからカッコ良い私のままでやらないとダメ。黒髪、似合わないもん」
コテで巻いた長い髪を指先でいじる。今日は面をしないから、アップにはしてない。
「お前さ、十分カッコ良いよ」
「まじで似合わないの。目、茶色いし」
「お、ホントだ」
長めの前髪を不作法にかき分けて、彼は私の目を覗いた。少し、照れる。自然に、と思いながら彼の手をはらって顔を逸らした。
「剣心にあこがれて剣道始めた女も必要だよ」
ここで、タイムアップ。チャイムが校内中に鳴り響き午後の授業が始まる。本当は、この時点で教室に居なきゃいけないんだけど、まあ大丈夫だろう。
「鳴ったし、戻ろ? もういいでしょ」
「あっ、ああ……」
軽快に歩き出した私に、慌てるようについてきた彼はちょっと可愛かった。締め切っていた屋上のドアを開けた。次の瞬間、どたどたと落ち着かない音がして、階段を駆け下りていく人影。
「くそっ、アイツら……」
はじめ、私は自分の仲間たちが野次馬しているのだと思った。しかし、彼の悪態によると、違うらしい。きっと、あれは剣道部の一年部員だったのだろう。私を慮って、様子を覗き見に来た。
下の階から、ばたばた足音が響き「明日来いよ!」「カッコいいぞ!」「ヨッおんな剣心!」なんて声が聞こえた。更に、近くの教室からだろうか、「うるせえ!早く教室戻れ!」という教師の怒号も。
「なあ、覚えておいてくれよ!」
縋るように言った。彼が何のことを「覚えておいて欲しい」のか、測り兼ねたけれど、どこか満たされた気持ちでいっぱいになった私は、背中で手を組みご機嫌で教室まで戻った。
次の日。
真っ黒髪の私に面喰ったヒゲは、仕方なしに私のクビを撤回した。防具を背負って登校した甲斐があったというもの。
まあ、何やかんや因縁付けてきても、入部初日のように蹴り飛ばすつもりで居たけれど。未だ制服は改造だし、スカート丈短いし、メイクもしているけれど、黒髪にした私に文句はなかろう。剣道場じゃ、改造制服もスカート丈も、面の下でメイクをしていようと、関係ないのだから。
「お前、ホントに黒髪似合わないな」
「うるさい放っとけ!」
女の子の髪の毛に、勝手に触ろうとする不埒な手を叩き落とし、フンと鼻を鳴らす。その様子に皆は笑って、私も声を出して笑う。そうして、私たちは竹刀を抱えて剣道場に入った。
少し時間を戻そう。
放課後、照れた様子で一年剣道部員が教室まで迎えに来た。その中には、もちろん彼も居る。勘違いしたままの仲間にニヤニヤ笑いで見送られて、私は剣道部に復帰した。
2012.06. 塩出 快