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伊藤ヘルツ
伊藤ヘルツ
novelistID. 22701
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眠り姫は堕天使の夢を見るか?

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 以前、先生に聞いた言葉が突然脳裏をよぎる。
 明日の今頃は、もうここにはいない。私はあの部屋の中。夜景の見える鳥かごの中。クリスマスツリーの飾りの様な夜景。そこは、私とこの縫いぐるみの二人ぼっちの世界。気の遠くなるような長い夜。誰にも届かない自分の声。
 私は縫いぐるみを手に持つ。「さあ、目を閉じて……」私は先生の口真似をする。「ゆっくりと深呼吸して……」縫いぐるみをそっと自分の隣に寝かせる。「体を楽にして……」縫いぐるみを指先でなぞる。「血液の流れを感じて……」ナイトテーブルに置いてあったハサミを取る。「自分の中に意識を向けて……」そして一気に縫いぐるみの腹部へ突き刺す。
 ショートケーキを切るような音と共に、大量の綿が一気に溢れ出す。そのせいで倍近く拡がる裂け目。シーツを確認してみたけれど、赤茶色の染みは出来ていなかった。
 私はスノーホワイトのチョークの代わりに、手近にあったボールペンを握る。そして縫いぐるみのシルエットをゆっくりとなぞる。この世にこの子がいた証。この子の最後の証。
 縫いぐるみの腹部から、綿を少しずつ取り出す。なおざりに扱うと、どこかへ飛んで行ってしまいそうになる。そう、タンポポの種のように。
 深々と指を差し入れてみると、綿とは確実に異なった感触を覚えた。それをゆっくりと引き出してみる。旧式の鍵が出てきた。
「順調よ」私はまた先生の口真似をした。

 14 最後のセラピー

 黒い森の中、向かい合う私と少年。少年はいつもの優しい笑みを浮かべている。ゆっくりと開閉する天使の翼。
 そして右手を少し前に出し、人差し指を立て私の様子を伺う。そう、大人が子供に注意を向ける時のジェスチャーのように。もしくはピエロのパントマイム。でもそんな滑稽さは微塵もない。
 ほんの数秒の沈黙の後、少年はその右手を自分の襟首へ入れ、手品のように何かを取り出した。ネックレス。そう、金色のイカロスが掘られた、ディープブルーのネックレス。決して明るくはないけれど、深い色彩を放っている。少年の胸の上で、この森と同調するように重く輝いている。その光を確認して、少年はちょっと得意げな表情を浮かべる。
 けれど私も負けじと悪戯な笑みを浮かべる。今日の私達は、宝物を見せ合う子供のよう。お互いのニュースを持ち寄り、この黒い森へ集まった。
 私は後ろに回していた両手を前に出す。そう、勿体ぶるように。そしてそっと手を開き、昨日見つけた鍵を少年に見せる。その瞬間、少年の表情がハッキリと変化した。

 私の瓶に溜まる涙。背徳の排水。混沌とした時間。不規則な秒針の音。万物の根元としての無。背理と言う名の部屋。かごの鳥。切り裂かれたテディベア。赤茶色の染み。スノーホワイトの曲線。灰色の空。ローズピンクのチョーク。難解な数式。スカイブルーのチョーク。真夜中の学校。消火栓の赤ランプ。黒鉛が奏でるモールス信号。オレンジ色の夕日。リノリウムの湖。ゴシック調のベンチ。風化した天使の彫像。いつもと何も変わらない風景。涙で歪んだ世界。巨大な深海魚。トーストとサラダ、そしてコンソメスープ。

 少年が私に手を差し伸べる。病院の廊下では誰も助けてはくれなかったけれど、少年は私に手を差し伸べてくれた。確かな温もり。他の誰よりも暖かな手。その瞬間、優しい風が吹き、木々がざわめく。そして柔らかな光に照らされる。ディープブルーの光。それは羊水に包まれているような気分。
 空を見上げる私。斑模様の葉の隙間から、透き通った空が見える。地の底に落ちた焦燥感はもうない。
 さよなら、先生。私は先生に聞こえるように心の中で囁く。そして少年と共に飛び立つ。あの扉を開けるために。もう戻らない。もう二度と。