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120円の恋

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ごろごろ寝転がりながら少年ジャンプを読んでいた昼下がり、呼び鈴の音が鳴った。セールスだったらいやだなと思いつつ律儀にドアを開けると、まさにセールスとしか思えないような、紺のスーツをぴっちりと着た男がにこやかな笑顔で立っていた。
「こちらを」
 試供品、とでかでかと書かれたダンボールを押し付けた。つい反射的に受け取る。
 それでは。男はそれだけ行って立ち去った。
「……え?」
 ちょっと待て。
 冗談じゃない。僕はあわててあとを追いかけようとしたが、入り組んだ路地だらけのこの町で、その姿はすぐに見えなくなった。なによりあわてた僕が、サンダルを履くことに手間取ったのが原因かもしれない。
 部屋に戻ってしげしげとダンボールを眺めた。爆発物だったらどうしようと思って耳を近づけてみたが、音はしない。ふと思いたって箱をひっくり返してみると、達筆で「爆発しません」と書いてあった。
 バカにしている。
 腹立たしくなって、なかばはヤケで箱を開封した。
 緩衝材がたっぷりと入っていて、そのなかにビニールに包まれた家電っぽいものが入っていた。包装から取り出してみると、形は炊飯器に似ていた。ずんぐりむっくりとしたペンギンみたいな形だ。コードが出ていたので、とりあえずコンセントに差し込んでみた。緑、オレンジ、赤のインジケータが一列に並んでいて、順番に点灯して、すぐに消えた。炊飯器からは、鍵盤ハーモニカの吹き口みたいな蛇腹のホースが伸びていて、先端にマウスピースがついている。
 なんだかさっぱりわからない。
 よく見ると、ボタンみたいなものが本体についている。これを押すと蓋が開くのだろうか。おそるおそるその動作をしてみると、まさに炊飯器のようにかぱっと開いた。
「……」
 中に入っていたのは、ジプロックみたいな透明のパック。
 怪しすぎる。
 箱をごそごそと漁ってみると、A4一枚の紙が出てきた。簡体字混じりの説明文が不安を煽る。

『この機械は、さびしさを吸い取ります。マウスピースから息を吹き込むと、悲しみがあなたから抜けます』

 説明文の続きには「マナ」とか「気」という単語が並んでいて、僕はちょっと頭を抱えた。
 とりあえず、爆発することはないらしい。かといって、部屋に置いておくのも気味が悪い。まして、説明書どおりに息を吹きこんでみるなんて論外だ。僕は、家賃のわりに妙に広いベランダにその機械を置いて、少年ジャンプに戻った。ベランダの機械が妙な存在感を発揮している気がして、いまひとつ集中できなかった。



 翌日、バイト先にその機械を持っていった。
「なんだよそれ、茅野」
 同じ学校の先輩で、もう大学に何年いるのかわからない大貫先輩が、バックヤードの片隅にある喫煙スペースから声をかけた。
 バイト先は、スーパーの在庫整頓で、バックヤードの片隅がアルバイトたちの休憩スペースになっている。といっても、あるものはソファと年季の入った木の机、その上に乗っている電気ポットといくつかのマグカップくらいだ。そうそう、その横には、従業員用の真っ赤な塗装の自動販売機もある。
「僕も、よくわかんないんですけど……」
 カバンから例の説明書を取り出して見せる。
 しげしげとそれを見つめていた大貫先輩は、土木作業員とホストの中間くらいの男くさい顔で、不意に噴きだした。
「ぶひゃはははなんだよこれ。どこの通販番組でこんなもん買ったんだよ」
「信じられないと思うんですけど……」
 事の次第を説明する。
 機械を斜めにしたり下から覗き込みながら聞いていた大貫先輩は、火のついていないタバコをくわえたままで、器用にしゃべった。
「で、試したのか?」
「そんなことするわけないじゃないですか」
「そこはしろよ。つまんねえやつだな」
「笑い取る相手もいない一人暮らしの男がそんなことしてなんになるっていうんですか……」
 すでにバックヤードには数人が出勤してきていた。作業はだいたい10人1チームだから、しぜんグループのようなものができる。大貫先輩は僕たちのチームのリーダー的存在だった。
「鵜野森ー」
 先輩が声をかけると、制服姿の女子高生がゆっくりと振り向いた。
 どきりとした。
 振り向いた女子高生は不思議そうに首を傾げると、
「はい?」
「ちょっと来な」
「はぁ……」
 手に持ったカバンを左に置くか右に置くかで迷うような素振りをしてから、鵜野森と呼ばれた女の子はとてとてと歩いてきた。名前は鵜野森一夏。高校2年生。肩くらいまでの黒い髪がさらさらで、表情はあまり豊かではないけれど、たまに笑うとかわいい。口数はあまり多くない。ふだんの動作はゆっくりだけれど、仕事のときは意外にきびきび動く。
 そして僕は、彼女に少し惹かれている。
 これが彼女に関して僕が持っている情報のすべてだ。
「なんでしょう」
「おまえ、これ吹き込んでみろ」
「……?」
 鵜野森さんは不思議そうに機械を見た。
「……ホームベーカリー?」
「これ、読んでみ」
 先輩が突き出した紙を受け取った。
 僕は先輩に小声で抗議する。
「なんで鵜野森さんなんですか。先輩がやればいいじゃないですか」
「あいつがいちばん幸薄そうな顔してるから」
 なんだその理由は。
 ……確かにそう見えるけど。そこもかわいいポイントです。
「これに、息を吹き込めばいいんですか?」
「そうそう。こう、ふーっと」
「はい……」
 鵜野森さんは、息を吸ったり吐いたりした。
「予行演習とか別にいいから」
 もちろんこんなところもかわいい。
「はぁ……それでは」
 蛇腹の細いホースをぷらんぷらんと持っていた鵜野森さんが、ふーっと息を吹き込んだ。ぴーっとまぬけな電子音が鳴って、鵜野森さんによるとホームベーカリーっぽいその機械のインジケータが、赤まで点灯して、やがて、オレンジ、緑と減っていき、最後に消えた。
「……」
「……」
 なんとなく先輩と僕は固唾を飲んでその光景を見守っていた。鵜野森さんは、動作が変に一生懸命なので、周囲によくこういう雰囲気を作る。
「……どうだ?」
 先輩が鵜野森さんを覗きこむ。
「どうって……音の鳴らないピアニカみたいで変な感じでした……」
「そうじゃなくて。その、なんだ、気分とかだよ」
「気分、ですか……?」
 鵜野森さんは、なぜか眉間をこんこんと拳で叩いたり、両方のこめかみに親指を立ててぐりぐりした。よくわからないが「さびしさが抜ける」という説明書きから、頭痛が抜けるようなイメージを持ったのだろうか。
「少し、気分が楽になった気がします」
 先輩と僕は顔を見合わせた。
 先輩の鼻息がふんっ、ふんっ、と漏れて、顔が崩れた。やがて爆笑した。
「スパシーボ効果すげえな!」
「それをいうならプラシーボなんじゃ……」
「あいかわらず細けえヤツだなおまえは」
 鵜野森さんは、そんな先輩と僕を、不思議なものを見るように交互に見ていたが、僕と目が合うと、不意ににっこりと笑った。
 な、なんだいまの笑顔は。
 なんか、殺人的にかわいくなかったか?
「おー茅野」
「はい?」
「これこれ、おまえにやる」
 ちょっと膨らんだジプロックっぽいパックが僕に渡された。
作品名:120円の恋 作家名:dzs