空の子供
「これは、オレへの罰なんじゃろうか。空の意志に背こうとした、オレへの罰なんじゃろうか。御前は空の子供ではないと、空がオレに言うてるのじゃろうか? っは、そんなこと、言われんでも、オレが一番よぅく判っておるわ。……よく、……とても、とっても」
「…パイロン……? ねぇ、何か変よ、貴方、何か隠してる?」
そういっても、パイロンは私を無視して、言葉を続けた。
「……こんなことを考えさせてくれる人間は、後にも先にもお前さん一人だ、日野夕子――」
パイロンが、ぽつりと一言漏らした。
…その視線は、少し熱が籠もっていて、私はどきりとした。
月明かりに照らされて、魔性の魅力を持つ雲の子。その表情は、男そのもので。
「オレを嫌ってくれ、日野夕子――」
何処か遠くを見ながら、私の手を微かな力で握るパイロン。
私は、ドキドキとして、パイロンをどうすればいいのかと見つめていた。
そして、言葉を思い出していた。
――どうせなら、嫌われた方が楽、というもんじゃ。生殺しじゃよ
…え?
ということは、えっと、その、つまり、そういうことで……。
私の顔に全身の血が流れたかと思ったところで、パイロンはそれまでの真剣な顔を消し去り、にやにやと笑って、手を離した。
「知っちょるよ、とうに嫌って居ることは。ただ、貴方が居ると言われて嬉しかっただけじゃわい」
「え…」
「だから、安心せい、シェイ。人の子を誑かすつもりはない――」
その言葉にどきりとして、後ろを振り返った。
ふりかえると、少しふてくされたような表情のシェイが其処に。
起きていたんだ――。
「嘘」
シェイは威嚇するように、パイロンを睨み、私の傍へ寄る。
「今の、本気の声だった」
「……気のせいじゃよ、シェイ。何時から起きていた? 恥ずかしい言葉も、聞かれていたことになるんだがな、最初からじゃと」
「…こんなことを考えさせてくれる、からだよ」
「……なら宜しい。あれは、ただの冗談じゃよ」
「…本当?」
「人と竜がどうなろうと、オレぁただ欠伸じゃ。人には興味ない。第一言ったじゃろう、愛は抱いちゃいかん感情。そんなのにオレが惑わされる筈がない」
パイロンは優しい声色で、かかかと笑い、シェイを見つめた後、オレぁ寝る、と言って、小さな白トカゲになって、どこかへ行ってしまった。
「……シェイ」
「夕子の馬鹿。夕子の馬鹿。僕は駄目なのに、パイはいいんだ?」
「シェイ、そういうわけじゃないの」
「そういうことじゃないか、パイの言葉に反応したってことは」
「……シェイ。私も、混乱しているの……パイロンが、だって…」
――あんなこというなんて、思わなかったもの。
シェイは、そっぽむいて、また夕子の馬鹿、と呟いた。
こういうところは変わってない、と思うと、少し笑えて、私はシェイの頭を背伸びして撫でてあげた。
「私は誰とも恋愛する気はないわ」
「…本当?」
「本当。貴方、MASKを感知する能力はあっても、人の気持ちは感知できないのね」
――否、感知できている。
まだ少し熱が残っているような、感情が残っている。今も胸がドキドキと煩く主張している。
それを誤魔化したいが故の発言だ、今のは。
「それより、見てよ、綺麗な満月!」
空には、綺麗で大きなまん丸いお月様があった。
闇の中でただ独り強く光り、まるで貴方の独り舞台ね。
階段が見える私には、月へ続く階段が見えて、闇夜の出口がお月様に見える。
シェイは、くすくすっとそれまで不機嫌だった顔を、頬笑ませて、空じゃなくて、下界を指さす。
「夕子、空のことばっかりだ。下には綺麗な星もあるのに…」
「星?」
シェイの指さす方向を見ると、そこには、紫の桜があった。
花びらが風に揺れて散って、儚く美しい。
街灯でライトアップされてるのと、夜だからってのが、美しく見せてくれる原因なんだろう。
「確かに。地上にも、綺麗なお星様があるわね」
「……春は好き。桜が好き。紫の桜、とても綺麗。それに、神秘的で、お母さんに似ている。空を飛んでるときは、紫の桜を捜すのが、とても面白いの。空は、見上げられないから」
「……知ってる? 桜って、ピンク色のもあるんだって。白いのも」
「知ってる! 僕は三色が揃う、とっておきのお花見場所を知って居るんだ。いつか、いつか皆でお花見出来たらいいなって思って…」
「……」
段々と語尾が小さくなっていく声。
その声に、迷いがあるのは判る。だって、グイから聞いた。
MASKが死ぬときは、寄生された人が死ぬときと同時だって。
だから、グイも中々殺せないで居る。こんなパターン初めてだと、彼はお手上げ状態。 「ねぇ、その花見の場所へ連れていって」
「え…遠いよ、かなり。この街からじゃあ、一年かけてもつくかどうか…」
「それなら、来年。来年に行きましょう? 今年かけて、そこへ行くの。春を見るの。また皆で。私は、お弁当作り、貴方はお弁当用に作った料理をタッパーにつめるの」
「……夕子、あの…」
「……大丈夫。辛いみそ汁も、べちょべちょのご飯も、作らないから」
「違う。……僕、来年には……居ないかもしれない」
「……――」
知っているよ。
知っているから、わざと言ったのよ。
だって、生きてて欲しいから。
どんなことがあったって、私が守るわ。だから、貴方は生き延びよう?
MASKなんて殺さなくても、貴方の中でとどめておけばいいじゃない?
貴方から抜け出して、別の人に寄生するのを待てばいいじゃない?
そうすれば、貴方は、まだ、生きる時間が増えるでしょう…?
気まずそうな、シェイの顔。私、貴方のそんな顔、見たくはない。私は貴方にはいつも笑っていて欲しいの。大人っぽい笑い方でも良い、子供のような笑い方でも良い。
――ねぇ、笑ってよ?
でないと、私、怖いの。体が震えるの。
ねぇ、思わない? この幸せが、何時までも続いたらって。
そんな話、本の中だけだと思っていた。こんな思い、夢にも見なかった。
私の所為?とはもう聞かない。ただ、ごめんね、とは言わせて。何でごめん、かは判らないけれど。
「夕子」
「え、何?」
「ちょっと、そこまで行ってみる?」
その時のシェイの表情が、あんまりにも壮麗だったので、言葉を無くした。
ただ、こくこくと頷くだけで。
月明かりって、なんか、人の色んな所を出してくれるなぁ。
「でも、入り口にはグイが…」
「入り口は、一つだけじゃないよ」
シェイが私をお姫様抱っこする。突然のことに驚いた私は、少しだけじたばたして、そしてシェイの首に手を回して、落ちないようにする。
シェイは、クスリと朗笑して、窓から飛び降りる!
落ちる感覚が、一瞬だけで終わり、ぐんと上に背伸びするように、飛び上がるシェイ。
背中を見ると、大きな翼が羽ばたいていて。金色と銀色がきらきらと輝き、膜のような皮は、血管が見えているのか、少しピンク色だった。
「シェイ、こんなことしなくても、私、飛翔魔法が使えるわ」
「でも、長く空は飛べないでしょう? それに、こっちの方が早いし、僕も嬉しい!」
「え、嬉しいって…」