レンズ越しの世界からようこそ!
「私、眼鏡って最高だと思うの」
「…はい?」
それは、彼女から唐突に言い放たれた結論だった。
放課後。そろそろ完全下校の時間になる頃のこと。教室でようやく日直の仕事を片付けた俺は、立ちあがって聞いた。
「……とりあえず聞いてみるけど、理由は?」
「だって、そう思わない?」
「いや、答えになってねえよ」
そう返事をすると、少しふてくされた顔で彼女、愛架はくいと眼鏡をかけなおした。
「まず視力の悪い人間に視力を与えるなんて、これはもう人類の英知よね。最初に眼鏡を発明した人間はわかっていないらしいけれど。私はその人間を心から尊敬しているわ」
「それならコンタクトでも事足りるんじゃない?」
「……コンタクトは目に入れなきゃだめでしょう? 目に入れた際になんらかの理由で目に傷がついたりその傷がもしかしたら悪化してその所為で目が見えなくなったりしたらどうするのよ」
必死にぺらぺらと早口でまくし立ててくる愛架。その顔にはすこし焦りが見えている。
「要するに怖いんだろ?」
わかりきった答えを、愛架にわざとぶつける。すると愛架は小さく驚きの声をあげて、すぐに冷静なふりをして言い返してきた。
「…別にそんなんじゃないわ。私は別にコンタクトを目に入れること自体は怖くない。えぇ怖くないわそんなこと。なんでそんな簡単なことを私が怖がると思うの? 貴方って不思議ね。ただ指で目に付着させるだけじゃない、私も舐められたものだわ。
私が今ここで最初に言った結論に結び付けるために論じているのは、コンタクトレンズの危険性についてよ? 論点がずれるにもほどがあると思うのだけれどどうなのかしら。
私は百パーセント安全だとは言い難いコンタクトレンズを生きていく中で最もと言っていいほど重要な目にいれるのよ? その所為で生じるなにかしらの悪影響のことは考えたことある? 私はあるわ、今だってそれを考えてこうして話しているもの。そして導き出された答えとして、私は断固コンタクトレンズを使用することを拒否するわ。
何故なら、危険だから。間違っても目に入れるのが怖いとかそんなんじゃないんだから、馬鹿も休み休みいってほしいわ。私だって暇じゃないのだし、それにこんなことをぐだぐだと説明しなくても、眼鏡の安全性は確実なものでしょう? それについては」
「ストップ。もういい、わかったから」
(やっぱり、目に入れるのが怖いんだな)
いつまでも、今度は眼鏡の安全性について語ろうとし始めた愛架を止める。それこそ論点からずれていることに、白熱していて全く気付いていない愛架は途中で言葉を遮られたのか癪に障ったのか、じっと俺を見上げていた。
「…そんな顔で俺を見るなよ」
「あら、どんな顔かしら」
「そんな顔。睨めてないぞ」
鼻先を小突いてやった。すると小さく呻いて、愛架が俺を先ほどと同様睨みつけてくる。
しかし、愛架はなんというか。人に敵意を見せることが極端に下手だった。
愛架は精一杯、それはもうこれでもかというくらい俺を睨んでいるつもりなのだろう。しかし、そんな愛架の表情はむしろ可愛らしい表情にすら見えた。
くちびるをわずかにとがらせて、必死で俺を睨もうと俺の目を見つめてくる。愛架は背が低いから自然と上目使いになっていて、その表情を表すならそう――。
(キスしてくれって、言ってるみたいだ)
そんなことを思ったなんて、愛架には絶対に言わない。
(いや、言ったらどんな顔になるだろうか)
少し興味はあったけれど、愛架の気持ちを察するに今はそうやってからかうべきではなさそうだった。
俺にとっては眼鏡だろうがコンタクトレンズだろうが関係のない話だが、愛架はかなり真面目に、そして真剣なのだ。さすがに茶化すとへそを曲げられてしまうだろう。
俺の中で愛架にへそを曲げられることはなんとしても避けたい事項の一つで、だからわざと地雷を踏みに行くようなことはしない。
君子危うきに近寄らず。そんな言葉を思い出しつつ、俺はじっと見つめて…いや、睨んでくる愛架に『お手上げ』だとジェスチャーで示した。
「わかったわかった。コンタクトレンズは危ないから眼鏡を使うのが最適だと言いたいんだな」
「そうよ」
眼鏡だって割れたら危ないと思うけど、なんて考えつつ愛架の言い分を簡単にまとめて理解したことを伝えやると、愛架は満足げに頷いて見せた。
「――で、それは機能性についての利点だよな。ほかに思う所はあるのか?」
「もちろん」
そうやって話をふってみればすぐに愛架はくいついた。
ここまでぺらぺらと話していてもまったく足りていないらしい理由は、単純に愛架が眼鏡そのものを愛しているらしいからだった。本人談なので間違いではない。
「眼鏡は顔の一部、いや体の一部よ? はずすだなんてとんでもない! 利便性を抜きにしたって眼鏡があるのとないのとでは大分違ってくると私は思うの。
まず眼鏡はかけることで視力を矯正だけでなく自分という個性を現すことのできる実にすばらしく画期的なものよ? 好きな色、フレームの形や素材、サイズ、本人にぴったり合ったものだととくにそう。
それに眼鏡は人の印象を大分左右することもできるとも思うの。まず人間相手を見て第一印象を決めてしまうじゃない? そのときにまず目に入るのは目なんじゃないかしら。まぁ、それは人によって違うだろうけれど、私の場合は目よ。そして相手が眼鏡をかけていたら、それは相手の顔につい注目してしまう要因の一つになり得ると思うの。少なくとも私はそう。
そして明るい色の個性的なフレームだったら活発に見られるとか、大人しい色で本来の意味ではないけれど俗にいう銀縁だったりしたら物静かだとか真面目そうだとか。そんな風に人は印象付けられると思うの。そんな第一印象を左右するものなのだから、眼鏡ってとても大事なものだと思うわ。
レンズにも色々あって、プラスチックレンズやガラスレンズ。それぞれが利点と欠点はあるものの、これで老若男女だれでも眼鏡を安心して使える理由がおわかりいただけるかしら。小さな子どもには割れにくいプラスチックを使うとかね。コンタクトレンズだったらそんな風にはいかないでしょう? まず、小さな子どもの目にコンタクトレンズをいれるだなんて、そんな可哀そうなこと私は断固として認められないわ。
今日じゃ伊達眼鏡なんてものもはやっているけれど、私はまがいものより実用性を備えた眼鏡の方が好きよ。眼鏡は体の一部なのだから、装飾品のように扱うより、私は体の一部として大切に扱いたいの。装飾品なら指輪やイヤリングとかで十分よ。
欠点をあえてあげてみるなら、眼鏡をかけると度数によっては目が小さく見えてしまうことかしら。その解決策を今述べてしまうと、目とレンズの距離が遠いと小さく見えてしまうから、そうならない位置にフィットするようにかければいいわ。レンズを薄くしたいするのも有効よね。
まぁ、コンタクトレンズと比べて一番の大きな違いは、やっぱり自分の気に入ったデザインのものを選べるという所かしら。さっきも言ったけれど、ここは最大のポイントよ?
作品名:レンズ越しの世界からようこそ! 作家名:紅月 紅