雪は穢れて
「死んだ者には、全員、雪の結晶のような痣が出来ている」
「……証拠、代わりですね。普通爪痕は見せないのですが……見せしめですね」
「そう、これはつまりあり得るということだ」
溜息をつく王に、狼は考え事をする。
死んだ後の世界。興味はあるが、信じる気には、……あまりにも唐突すぎて。
仮に、仮に受け入れられなかったとしても、それが自分たちにどう影響するのだろうか?
「もし、その人間を殺したら? 死者はどうなるのです? ただ、天国か地獄に行かないだけ、でしょう?」
王は、狼がそう何気なく口にすると、ぎろりと睨み付けてきた。
別にそれで怯えるわけではないが、心の琴線に触れる行為はあまりしたくない。
それで死ねと言われるのは少々困る。
王は、何かに怯えていた。
「幽霊に出来ることは何だと思う?」
「呪う、祟る、肝試しのネタ、そんなところでしょう」
「……人に乗り移れるのだ」
「……つまり、陛下は死者の安息ではなく、この世界の行方を案じている、と」
人に乗り移ることが出来るのなら、平和条約を破るのも容易く、戦争なんて簡単に勃発するだろう。それに、統率者を弱らせて他の国にねらい目だと見せることも出来る。
戦乱の時代になるだろう。
それだけは、他の国も、この国も恐れていた。
自分が生まれる前のことだから知らないが、以前訪れた戦乱の時代は人がいなくなるのでは無いだろうかと思うくらい殺し合いをしたらしい。
それが、漸くこの食料にも少し困る程の人口、へと増えた。
再びそれを減らすことはしたくないのだろう。
その判断は、正しいと思う狼だった。ただ、死者がどうなるかより、世界がどうなるかを考える方が、国の王としては、相応しい。
狼は、口の端をつり上げて、大きな口元だけで笑い、穏やかな声で尋ねる。
「で、陛下は僕にどうして欲しいのですか。そこで、僕が出てくる必要はないでしょう」
「……君の力は、今まで見た暗殺者の中を見て、一番、否、歴代一の能力だ」
王の自分を持ち上げる発言に、狼は特別何かを感じたこともなく、有難う御座いますと口だけの礼を告げた。
暗殺者としては喜ぶべきところなのだが、別に狼にとって最早それは当たり前なのだ。
自分以上の、暗殺者など居るわけがない。そう自負している部分が少なからずある。
王は、そんな狼の態度も気にしたこともなく話を続ける。
「暗殺者、つまりは秘密裏に行動するのが得意なのだな?」
「ええ、でなければ、今陛下にお会いは出来ないでしょう」
笑みを交えて狼はそう答えると同時に、厭な予感がした。
王はその返答で、満足そうに頷いて、微笑みかける。
「その人間を守る軍隊を作った。狼、君を真雪(まゆき)保護軍の総指揮官、及び総大将と認定する」
「…………ま、ゆき?」
「その人間の、魔法使いでの名前だ」
「……え、っと、ちょ、ちょっと待ってくださいよ? 陛下、僕は暗殺者です。今、保護、保護軍と仰いました?」
狼は静かに近づいてくる混乱に珍しく動揺し、それを表に出す。
オオカミが、幽霊が庇護するヒツジを守るお話の始まり。
*
「抹茶、何処に居ましたの?」
王女が走り寄ってくる抹茶を見て、にこりと頬笑む。
花よりも麗しいその容貌は、見る者を虜にするだろう。側近の騎士でさえ、顔を赤くしている。
そんな自分の魅力溢れる笑顔。
それは一切、目の前のこの獣人には通用しない。
「内緒」
抹茶は、タバコを口に咥えたまま、ふわりと笑いかける。
柔らかな、それでも何処か一線引いている笑みだ。この笑みを見る度に、王女は苛立たしくなる。
何故未だに自分に懐きはしないのか、外からの客、狼には懐くのに。
彼の望みを何でも叶えている、彼の甘えを何でも受け入れている、彼に危害を与える者へは罰を与えている。
一番に懐いても良いはずの存在だ、自分は。
「そのタバコは……? 体に差し障る物は与えてない筈ですよ」
王女は瞳を光らせ、彼の口元を見遣る。すると、抹茶は、嗚呼、と何かに気づいたような反応をして、それからタバコを口から離して、それをあらゆる角度から見る。
それを見て可愛いと思う王女の反応、それすらも計算で、抹茶は内心鼻で笑う。
「ろーくんに、会ったです」
「狼から貰ったの?」
王女の目に宿る、陰りの感情。それが判ると、抹茶は益々愉悦を感じ、ただ愛らしい笑みを浮かべて頷くのだった。
抹茶は人の負とされるものを見るのが大好きだった。
人間の汚さを見れば見るほど、楽しくて、今にも笑い出したいくらいだった。
そんな抹茶の心に気づいてるのは人間では一人だけだろうな、と心に浮かんだ人物へ思いを馳せ、苦笑を浮かべる。
(まぁ、他の人物ももしかしたら、気づいてそれで虐めているのかもしれないけれど)
「抹茶、それをレミオールへ」
レミオールは王女の側近で、今彼女の後ろに控えている騎士のことだ。
抹茶は、不思議そうな顔をして、頷いて、それから騎士へタバコを渡す。
未だ少し体に害のある物を味わってみたかったが、否定するのは「キャラ」ではない。
レミオールが取る。それを確認すると満足そうに頷き、王女は抹茶を撫でて、抹茶にまた自由を与える。抹茶が背中を見せると同時に、王女の「燃やしなさい」という冷たい声が聞こえ、抹茶は笑いを堪えるのに必死だった。
この生活には、慣れた。
人に飼われ、人に虐められ、人に優しくされ、人に殴られ。
ただ、自分の本性を知る動物、そう例えば鳥たちの噂が、少しプライドを疼かせる。
“兎の皮を被ったライオンが、人に飼われてる”
“しかも、甘んじて殴られている”
“あの方なら、この場にいる人間達、全員を内部分裂させることすら可能なのに”
“魔王でさえ、恐れているのに”
“何を考えて、此処にいるのだろう”
“王女に惚れたのか”
心から叫ぼう、あんな雌、大嫌いだ。
綺麗なふりして、醜さは人一倍、どうしてそれに皆気づかないのだろう、と抹茶は不思議で仕方がない。
同じ醜いのなら、あの血の香りのする雌のがマシだ。
「あー、だりぃ、この口調」
人間には理解出来ない、獣人の言語で抹茶は呟いた。
それは他の獣人が聞いたら、明らかに口調が悪い、と窘めるだろう。尤も、そんな度胸があれば、の話だが。
……抹茶は、戦えないが、巧みに人の心理をついてくる。
人には誰しも弱みがあり、そしてそれを見抜くのが抹茶には手足を動かすより簡単なことで、殺し合いをさせるのも容易い、遊ぶより楽しいこと。
だから、獣人の中では恐れられ、兎の獣人なのに獅子とまで言われるほどなのだ。
そんな抹茶がどうして捕まったか。面白い噂を聞きつけたからだ。
近々、幽霊達が人間を脅すらしい。そういう人間の長的存在の傍にいれば、面白い劇を見られるだろうと思い、抹茶はわざと此処へ捕まった。
だが、未だに何かが起きる気配は無いし、王女は相手にしないと拗ねるし、此処の暮らしは中々に退屈な物だった。
「人生の無駄遣いは、駄目だねェ」