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白翁物語 その4(完結)

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「それって、白翁、死んじゃったの?」
「死亡診断書はあなたでよろしいですか?」
「いいえ」
「信じられないのは分かりますが・・・・・・」
「そうではありません、診断書はギャラリーの奥様に渡していただけますか? 私では何も出来ません」
「ポーロヴェツの奥様ですね」
「はい」
「わかりました。あなたのお名前を伺っておきたいのですが」
「平山美希です」
「わかりました。平山さん、あとの段取りはお気にせずに、そちらの奥様にお願いしますから。ただ、あなただけはご縁が深そうなのでこのまま、しばらくはおじいさんと一緒にいてくださいますか?」
「はい、もう入ってもいいですか?」
「どうぞ」
「本官もご挨拶を」
美希と警官は家に上がった。白翁が死んだと聞いたのに不思議なくらい何も感じない。
白翁は部屋の中央に正座している。
右手には筆を持って、穂先は目の前の白紙の右下にあったが、わずかに墨の滴った跡がそこに残っているに過ぎない。
「お嬢さん、これは単なる個人的な質問なので答えたくなければ答えなくていいんだけど」
「何なりと」
「昨日は何時ごろここを?」
「夜の7時ごろです」
「じゃあ、これから書こうとしたときに亡くなったのかな?」
「いいえ」
「ちがう?」
「はい、分かりませんか、この満足そうな顔で、手もとすら見ていないでしょう。白翁は会心の作を持っていってしまったようです」
「これは書き終わった後か?」
「そうです。白翁、水臭いなぁ。せめて一言くらい言ってくれればよかったのに」
「?」
「駐在さん。白翁が持っているこの筆を借りていいですか?」
「検視は終わってるからいいけど、無理だと思うよ。亡くなって13時間だから死後硬直で指から離れないと思うけど」
警官は白翁の指を開かそうとしたが、案の定開かなかった。
「違うよ、駐在さん。こうやるんだよ」
美希は白翁の後ろに回って
「白翁、聞こえるよな。あんたの筆を使わせて欲しいんだ。私が泣き出す前に書いておきたいことがあるんだ。頼むよ」
そう言って親指と人差し指の間からすっと筆を抜き取った。
警官は声にならない声で驚いている。
「駐在さん、お願いがあります。米倉家はご存知ですね」
「ああ、知っているよ」
「そこの健一をここへ連れてきていただけませんか? 私の感情を抑えきれるのはその人だけでしょうから」
「わかった。山崎さんを頼むよ」
警官は急いで米倉家へ自転車を飛ばした。驚愕すべきものを見てしまった。あの子の言うとおりにしたほうがよかろう。これはもう、論理的な思考でも何でもなかった。
美希は白翁に正対すると、墨汁に筆をつけ、硬くなった穂先を墨でほぐすと左上が黒く滲んだ和紙に



           平安



とまるで習字の作品のように二文字を書き終えた。
白翁がこの世から旅立って奥様と心安らかに過ごせますように、という思いを込めて書いた。

きっと伝わっただろう。

「これでいいよな。これで」
まだ、感情があふれ出てこないのに感謝した。
少なくとも健一が来るまでは白翁の最期の姿を目に焼き付けることが出来るだろう。
白翁の目は白く濁って見えたが、間違いなく美紀をまっすぐに見詰めている。

今日は全国的に天気は良好という予報だ。

ただ、一部山間部等に天気が崩れるところがあるらしい。
警官と一緒に山崎家へ自転車を飛ばす健一の肩に、まるで名残を惜しむかのような牡丹雪がとまった。
まだ、桜の蕾も固い3月20日のことである。