白翁物語 その2
「白翁、いる?」
ああ、もう水曜か。1日1日が気付かぬうちに過ぎてゆく。
「なんだいるじゃん」
いつものように美希はコーヒーを入れて俺の目の前に座った。
「今朝、不思議な夢を見たよ」
「へぇ、どんな夢?」
「小隊長殿が軍装で現れて、山崎世話になった、友人を大切にせよと言って消えてしまった」
「そうかぁ」
「はて、俺には友人なんておらんから、美希ちゃんのことだったのかなと今思い出した」
「白翁」
「ん?」
「私は白翁の友人のつもりだ。白翁は私をそう見てはくれないのか?」
「これは驚いた。俺の友人になってくれるのかね?」
「もとよりそのつもりでここに来ている。それとも私の事をただの賄いと見ていたのか?」
「いや、そうではない。ただ、美希ちゃんのような若い美人に懸想するなどと言うのは分が過ぎると言うもの」
「おい、白翁、誰も女として私を見ろなどと言ってはいないぞ。茶飲み友達を持ってもいい年だろう、あんたは」
「そうだな。そう思ってきてくれているのならきっと美希ちゃんとは前世からのかかわりが深かったのであろうな」
「白翁は生まれ変わりを信じるのか?」
「死すればわかる。今はどうでもよいことだ。ただ、小隊長殿はきっとお亡くなりになったのだな」
「ここの仏壇に線香をあげよう」
「うちの仏壇にか?」
「故人を想うためにあげる線香ならば、どこであげても一緒だろう?」
「そうだな。俺は小隊長殿の墓の場所は知らん。が、いつまでも墓にとどまってなどはおられぬだろう。抜き身を引っさげて戦場を駆け回っておられるかも知れん」
「線香って亡くなった人へのお食事なんだろう? 私にもあげさせてくれよ。白翁の友人として」
「ありがとうよ」
「あれ〜? 美希?」
素っ頓狂な声を上げたのは美由紀である。
「なに、イメチェン?」
どうやら美由紀にはだらしなく伸ばした髪をシャギーに纏めているのが余程の心境の変化と思えたらしい。 しかし、朝一番に大声で言うのはやめてほしかった。 目立つことが嫌いなのに、クラス中の視線を集めてしまったではないか。
「放課後にご招待を受けているの。ぼさぼさの頭じゃ失礼でしょ」
「え? ご招待?」
「ギャラリーポーロヴェツ」
「え?」
「夕食のご招待を受けているの」
「美希、お見合いでもするの?」
「何でよ?」
「だって、あそこ、老舗の大店でしょ? なんで美希が?」
「変な想像はやめてよね。ただ、あそこのご主人と夕食してお話しするだけよ」
「あ〜援交?」
「怒るわよ」
「だって、美希に似合わないじゃん」
「あのなぁ、私を馬鹿にするのはかまわないが、私の知り合いをけなすような真似をしたら絶交だからな」
「美希のお知り合いだったの?」
「知り合いでもない相手と食事を共にするような私だと思っていたのか?」
「そんなこと言ってないじゃない」
「悪かったよ美由紀、ただでさえとっつきにくい私に声をかけてくれるのはあんたぐらいだものな。他の奴みたいに陰口をきかないところが私は好きだが、悪口は私だけのことにしてくれ。私の知り合いは皆一流の方たちだ。美由紀も含めてね」
そう言うと美由紀は顔を真っ赤にして 「何を言うのよ。朝っぱらから」
「私がでたらめを言ったことがあるか?」
「美希がそういう言い方するから彼氏の一人も出来ないんじゃない」
「はは、やっと美由紀らしくなったな」
「お嬢様、お待ちしておりました」
ギャラリーの主人は店頭で丁寧に頭を下げた。
「お久しぶりです。ご主人は喪中ではないのですね」
「はい、家内だけでございます。立ち話もなんですから、お上がり下さい」 「美希、本当だったのね」 美希の後ろで美由紀が囁いた 。
「ご主人、一人増えてもよろしいでしょうか?この子は美由紀といって本日の介添えをするつもりでついてきた様なのです」
「それはもう、こちらも予定外のお方がおりまして・・・・・・」
「美希、私はここで帰るよ」
「美由紀、介添人は物事を見届けるのが役目だ。私が巻き込んだのはでなく、自分からついてきたんだから一緒に来な」
「いいのかなぁ?」
奥座敷に入ると恰幅のいい、白翁よりは若く見える老人が着座していた。
部屋に入った美希を少し不思議そうに見はしたが、何も言わなかった。
美希が美由紀の隣に座ろうとしたとき、主人が、お嬢様はあちらでございます。と上座を指した。
「まず、お嬢様にお礼を申さねばなりません」
「お礼?私はご主人にお刀を無心しただけですよ」
「おかげさまで、家内にお刀の元の主の野辺の送りをさせてやることが出来ました」
「水曜の朝に亡くなったのですね」
「密葬であったのによくご存知で」
「白翁のところにいらっしゃいました。水曜の朝です」
老人がその言葉で顔を上げた。
「山崎のところにも?」
「はい、軍装でお見えになったそうです」
「そうか、小隊長殿は小隊の者皆に声をかけられたんだな」
「皆と言うと白翁とあなたを除くと4名ですか?」
「それは終戦まで生き残った者の数で、今は2名だ。というより何故それを知っている?」
「山田さんがそう言っていたもの。わしと山崎を除くと5名だって」
「まぁまぁ」 主人が割って入った。 「そちらの話はおいおいと」
「そうですね。亭主の座につけられてしまいましたから、まずはお茶でも入れてきましょうか?」
「ご冗談を。茶は今家内が準備しております。私としては茶飲み話になる前にお嬢様にお礼を申し上げたかっただけのことでございます」
「お刀のことですか?」
「左様です。50日にかけられた謎が解けましたので」
「謎と言うほどのことでもないでしょう」
「お嬢様は不思議なお方ですな」
「ただの学生です。そこの美由紀となんら変わりません」
「先ずは銘を見ずに道長をあてられた」
「刀が好きな人ならばわかるでしょう」
「山田様の指し料であったことも」
「軍刀から元の姿に戻したと奥様に伺いましたから」
「しかも、山田様の四十九日に手入れをするようにおっしゃった。それまではあの方の魂とともにあるので深くしまうようにと、それから、あの刀を出しておくと後を追う者が出かねない、と。違いますか?」
「御慧眼、恐れ入ります」
「恐れ入るのはこちらでございます。お嬢様はお見かけ通りのお方ではございませぬな」
「美由紀が本気にしますから、あまり持ち上げないで下さい」
「お嬢様がお連れになったこの方は御眷族で?」
「私は人間です。美由紀と同じ女の子です」
「亭主」 老人が割り込んだ 「あの話は、このお嬢さんに聞かせればよいのだな」
「はい。そうでございます」
「山崎の友人だという話しを信じたから話す」
「あ、お待ちを、今お茶を、それとも食事をされながらの方が?」
「山崎に関する話は茶飲み話とするのがよかろう」
「わかりました。只今」 主人は登紀子を呼び、使用人と一緒になって机の上に茶菓子の準備を始めた。 美希はじっと正座をしていたが、やがて気がつき
「美由紀、足崩しなよ。長く正座したことなんてないだろう」
ああ、もう水曜か。1日1日が気付かぬうちに過ぎてゆく。
「なんだいるじゃん」
いつものように美希はコーヒーを入れて俺の目の前に座った。
「今朝、不思議な夢を見たよ」
「へぇ、どんな夢?」
「小隊長殿が軍装で現れて、山崎世話になった、友人を大切にせよと言って消えてしまった」
「そうかぁ」
「はて、俺には友人なんておらんから、美希ちゃんのことだったのかなと今思い出した」
「白翁」
「ん?」
「私は白翁の友人のつもりだ。白翁は私をそう見てはくれないのか?」
「これは驚いた。俺の友人になってくれるのかね?」
「もとよりそのつもりでここに来ている。それとも私の事をただの賄いと見ていたのか?」
「いや、そうではない。ただ、美希ちゃんのような若い美人に懸想するなどと言うのは分が過ぎると言うもの」
「おい、白翁、誰も女として私を見ろなどと言ってはいないぞ。茶飲み友達を持ってもいい年だろう、あんたは」
「そうだな。そう思ってきてくれているのならきっと美希ちゃんとは前世からのかかわりが深かったのであろうな」
「白翁は生まれ変わりを信じるのか?」
「死すればわかる。今はどうでもよいことだ。ただ、小隊長殿はきっとお亡くなりになったのだな」
「ここの仏壇に線香をあげよう」
「うちの仏壇にか?」
「故人を想うためにあげる線香ならば、どこであげても一緒だろう?」
「そうだな。俺は小隊長殿の墓の場所は知らん。が、いつまでも墓にとどまってなどはおられぬだろう。抜き身を引っさげて戦場を駆け回っておられるかも知れん」
「線香って亡くなった人へのお食事なんだろう? 私にもあげさせてくれよ。白翁の友人として」
「ありがとうよ」
「あれ〜? 美希?」
素っ頓狂な声を上げたのは美由紀である。
「なに、イメチェン?」
どうやら美由紀にはだらしなく伸ばした髪をシャギーに纏めているのが余程の心境の変化と思えたらしい。 しかし、朝一番に大声で言うのはやめてほしかった。 目立つことが嫌いなのに、クラス中の視線を集めてしまったではないか。
「放課後にご招待を受けているの。ぼさぼさの頭じゃ失礼でしょ」
「え? ご招待?」
「ギャラリーポーロヴェツ」
「え?」
「夕食のご招待を受けているの」
「美希、お見合いでもするの?」
「何でよ?」
「だって、あそこ、老舗の大店でしょ? なんで美希が?」
「変な想像はやめてよね。ただ、あそこのご主人と夕食してお話しするだけよ」
「あ〜援交?」
「怒るわよ」
「だって、美希に似合わないじゃん」
「あのなぁ、私を馬鹿にするのはかまわないが、私の知り合いをけなすような真似をしたら絶交だからな」
「美希のお知り合いだったの?」
「知り合いでもない相手と食事を共にするような私だと思っていたのか?」
「そんなこと言ってないじゃない」
「悪かったよ美由紀、ただでさえとっつきにくい私に声をかけてくれるのはあんたぐらいだものな。他の奴みたいに陰口をきかないところが私は好きだが、悪口は私だけのことにしてくれ。私の知り合いは皆一流の方たちだ。美由紀も含めてね」
そう言うと美由紀は顔を真っ赤にして 「何を言うのよ。朝っぱらから」
「私がでたらめを言ったことがあるか?」
「美希がそういう言い方するから彼氏の一人も出来ないんじゃない」
「はは、やっと美由紀らしくなったな」
「お嬢様、お待ちしておりました」
ギャラリーの主人は店頭で丁寧に頭を下げた。
「お久しぶりです。ご主人は喪中ではないのですね」
「はい、家内だけでございます。立ち話もなんですから、お上がり下さい」 「美希、本当だったのね」 美希の後ろで美由紀が囁いた 。
「ご主人、一人増えてもよろしいでしょうか?この子は美由紀といって本日の介添えをするつもりでついてきた様なのです」
「それはもう、こちらも予定外のお方がおりまして・・・・・・」
「美希、私はここで帰るよ」
「美由紀、介添人は物事を見届けるのが役目だ。私が巻き込んだのはでなく、自分からついてきたんだから一緒に来な」
「いいのかなぁ?」
奥座敷に入ると恰幅のいい、白翁よりは若く見える老人が着座していた。
部屋に入った美希を少し不思議そうに見はしたが、何も言わなかった。
美希が美由紀の隣に座ろうとしたとき、主人が、お嬢様はあちらでございます。と上座を指した。
「まず、お嬢様にお礼を申さねばなりません」
「お礼?私はご主人にお刀を無心しただけですよ」
「おかげさまで、家内にお刀の元の主の野辺の送りをさせてやることが出来ました」
「水曜の朝に亡くなったのですね」
「密葬であったのによくご存知で」
「白翁のところにいらっしゃいました。水曜の朝です」
老人がその言葉で顔を上げた。
「山崎のところにも?」
「はい、軍装でお見えになったそうです」
「そうか、小隊長殿は小隊の者皆に声をかけられたんだな」
「皆と言うと白翁とあなたを除くと4名ですか?」
「それは終戦まで生き残った者の数で、今は2名だ。というより何故それを知っている?」
「山田さんがそう言っていたもの。わしと山崎を除くと5名だって」
「まぁまぁ」 主人が割って入った。 「そちらの話はおいおいと」
「そうですね。亭主の座につけられてしまいましたから、まずはお茶でも入れてきましょうか?」
「ご冗談を。茶は今家内が準備しております。私としては茶飲み話になる前にお嬢様にお礼を申し上げたかっただけのことでございます」
「お刀のことですか?」
「左様です。50日にかけられた謎が解けましたので」
「謎と言うほどのことでもないでしょう」
「お嬢様は不思議なお方ですな」
「ただの学生です。そこの美由紀となんら変わりません」
「先ずは銘を見ずに道長をあてられた」
「刀が好きな人ならばわかるでしょう」
「山田様の指し料であったことも」
「軍刀から元の姿に戻したと奥様に伺いましたから」
「しかも、山田様の四十九日に手入れをするようにおっしゃった。それまではあの方の魂とともにあるので深くしまうようにと、それから、あの刀を出しておくと後を追う者が出かねない、と。違いますか?」
「御慧眼、恐れ入ります」
「恐れ入るのはこちらでございます。お嬢様はお見かけ通りのお方ではございませぬな」
「美由紀が本気にしますから、あまり持ち上げないで下さい」
「お嬢様がお連れになったこの方は御眷族で?」
「私は人間です。美由紀と同じ女の子です」
「亭主」 老人が割り込んだ 「あの話は、このお嬢さんに聞かせればよいのだな」
「はい。そうでございます」
「山崎の友人だという話しを信じたから話す」
「あ、お待ちを、今お茶を、それとも食事をされながらの方が?」
「山崎に関する話は茶飲み話とするのがよかろう」
「わかりました。只今」 主人は登紀子を呼び、使用人と一緒になって机の上に茶菓子の準備を始めた。 美希はじっと正座をしていたが、やがて気がつき
「美由紀、足崩しなよ。長く正座したことなんてないだろう」