鶏たちは土の中で飛ぶ
学校から帰ってきたら、庭で飼っていたニワトリが食われていたなんて話は、よくある話だ。
Ⅰ 子供たちが屠殺ごっこをした話
通学路の途中にある養鶏所。匂いがきつくてたまらない。アホみたいな顔をしたニワトリがこっちを見ている。何考えてんだ。鳥頭だから何も考えてないか。しかしまぁ、こんなに臭くて狭くてあっつい場所に押し込められて。
「にがしてやろうか」
「だめだよ、そんなことしちゃ。養鶏所のおじさん困っちゃうよ」
いつも、家まで迎えに来る少年Aがわたしの赤いランドセルを引っ張ってくる。 オマエが迎えに来なければわたしは学校に行かなくていいのに。残念。
「冗談に決まってんだろ」
「……よかった。もう、早く行こうよ。遅刻する」
わたしは、まぁ、とぼとぼと少年Aの後ろについて行く。乾燥した土の感触。もう一年近くアスファルトの上を歩いてない。ここはド田舎だ。見渡す限りの水田。まばらに見える民家。雲ひとつない青空に蝉がミンミン泣いている。
死ぬのがこわいのか。
「あんさぁ、オマエ唐揚げすき?」
「好きだけど?あ、そういえば今日の給食唐揚げだよね。え、あげないよ」
「昔、学校から帰ってきたら飼ってたニワトリ爺ちゃんに食われてたんだ」
「へえ……それは残念だね」
「突然いなくなってからびっくりしたよ。まぁ、オスだったからあんま旨くなかったんだと。オスの肉は旨くねぇから、ふつう、雛の時点でバケツの中で踏みつぶされて殺されるんだって。まぁメスだって最終的に人間に食われて死んじゃうんだけど。オマエならどっちがいい?」
「……何でそんな気持ちの悪いこと言うの。もうボク唐揚げ食べられなくなっちゃったじゃないか」
少年Aが真っ青な顔でこっちを見つめてくる。
じゃあオマエはなんで毎回こんな気持ちのわるいことしか話してこないわたしをかまうんだ。それが、おかしくてならないよ。
「じゃあ、わたしが食ってやるよ。よかったな」
「やっぱりとるつもりだったんじゃないか!もう!」
そんなことを言いながら、行きたくもない学校に行ったのだった。
転入してからここ一年、まともにノートをとったことが無い。正直学校に来ている意味はないと思う。けれど、あいつは来た方がいいと言う。転入してから、しばらく来なかったわたしを毎日迎えに来るようになった。そして、聞いてもつまらないだろうわたしの話をせがんでくる。何なんだ。ほんとうは、家から近いくせに。なにやってんだ。
わたしはオマエのことがよくわからない。
Ⅱ 銀貨
夜、むきだしの電球一個が天井から我が家を頼りなさげに灯している。床の間の障子は開きっぱなしにしているから、夜風が涼しい。 蝉と鈴虫がわたしのために演奏してくれている。何の手入もしていない草がぼうぼうの庭は、彼らにとってさぞかし楽園であろう。 明日、全部刈ってやろう。そうしよう。
「また卵かけご飯かよ」
かつて父と呼んでいた現在虫以下の肉の塊が襖を開けてやってきた。わたしと似た顔のわたしと似たような体格の人間。もう四十がくるというのに子供のようだ。 何もしないから、きっとこの男の手の方がきれいであろう。
何もしないくせに腹だけは空くんですね。実におもしろいです。
「働かねぇくせに文句言うなよ。これが一番栄養とれんだ」
眉間に皺が寄っている。本当のことなのに。無視してわたしは箸をすすめる。
口の中にねっとりとしたゾル状の物質が広がるのがわかる。正直、食べ過ぎて味がしない。いや、何を食べてもそんなに何も感じないけれど。父と呼んでいたものが私の前に座って、無言で食べ始める。
泣きそうな顔すんなよ。かわいいなあ。
「母さんから手紙が来たよ」
「……僕には関係ない」
「わたしにこっちにこないかだって。再婚して今東京にいるって。幸せなんだって」
「かってにすれば」
そう言いながら、剥げ散らかした畳をむしるその手は何なのか。この一日中眠っている男は、わたしがいなくなったら確実に死に至るだろう。 ふあんなの?わかりやすいね。
「わたしがいなくなったらこまるくせに」
「……」
こどもみたいに。にらむなよ。 ああ、手ぇ怪我したじゃないか。かわいそうに。
「わたしがいなくなってもいいのか?ちゃんと言わないとわからないよ」
「……」
「……」
「…… いやだ」
かすれた、ちいさな声。 ずっと声も出してないもんなあ。
「嫌なんだ?」
「……いやだ」
男はしくしく泣きはじめた。
こうして毎日毎日この男を追い詰めるのが、楽しすぎて泣けてくる。手をひっぱって、ろくすっぽ洗ってない煎餅布団に連れて行った。
そういえば、身長があまりかわらなくなったなあと思う。女は成長期が来るのが早いらしい。わたしも来年は中学生だ。いつまでこの男をみてあげられるのだろう。
頭をなでてあげると、気持ち良さそうにすやすや眠りについた。 わたしも早く寝なければ。
わたしにはやらなければならないことがあるのだ。いきるために。
床の間を片付けた後、ひきっぱなしの自分の布団にごろんと横になる。
何もせず死んでいく鳥と食べられる運命の鳥と考えすぎて何もできなくなってしまった大人。
だれがいちばんかわいそうだろうか。
Ⅲ 疫病
早朝、まだ真っ暗な、夜のおわりごろにわたしは自転車で新聞配達に行く。誰もいない道を、ブレーキすらかからないほど速く、速く、抜けるのは最高だ。
いつもの通学路に差し掛かり、養鶏所の前へ。ひとの気配がした。ひとが、こわれた螺子巻き式のおもちゃみたいに、なんども、なんども、同じ場所を歩いている。
いつも卵をわけてくれる養鶏所のおじさんだった。
「どうしたんですか?」
「―― ああ、先生の家の子か。先生の病状はどうだい?」
「父は相変わらずです。でも、空気のいい自然のいっぱいあるこの村に来れてだいぶ良くなっていると思います」
「そうかい。君はえらいね。今日も卵をわけてあげたいんだけどねえ……」
「……」
「昨日ねえ、役場の人が来てねえ、この鳥たち、みんな病気でころさなきゃいけないんだって」
「……かなしいんですか」
「へんな話をしてしまってごめんね。誰かに話したくってねえ。悔しくて……惜しくて……でも涙が出なくて……実感がまだないんだよ」
「どうやってころすんですか」
「土の中に埋めるんだよ。今日は穴を掘らないといけないなあ」
そう言って、また無言で歩き始める。
養鶏所のおじさんの顔がスーパーで売られている安い鶏肉みたいに、かたく、つめたくなっていた。
朝、学校に行くと飼育小屋に黄色いテープが張られていた。『近づかないように!』と書かれたダンボールが付いている。
ニワトリたちは相変わらず、アホみたいな顔して何も考えれないみたいだった。
「なにこれ」
「ああ、病気らしいよ。近くの養鶏所の鳥と一緒にころすんだって」
さも興味が無いように少年Aは目を手元の本に戻した。
Ⅰ 子供たちが屠殺ごっこをした話
通学路の途中にある養鶏所。匂いがきつくてたまらない。アホみたいな顔をしたニワトリがこっちを見ている。何考えてんだ。鳥頭だから何も考えてないか。しかしまぁ、こんなに臭くて狭くてあっつい場所に押し込められて。
「にがしてやろうか」
「だめだよ、そんなことしちゃ。養鶏所のおじさん困っちゃうよ」
いつも、家まで迎えに来る少年Aがわたしの赤いランドセルを引っ張ってくる。 オマエが迎えに来なければわたしは学校に行かなくていいのに。残念。
「冗談に決まってんだろ」
「……よかった。もう、早く行こうよ。遅刻する」
わたしは、まぁ、とぼとぼと少年Aの後ろについて行く。乾燥した土の感触。もう一年近くアスファルトの上を歩いてない。ここはド田舎だ。見渡す限りの水田。まばらに見える民家。雲ひとつない青空に蝉がミンミン泣いている。
死ぬのがこわいのか。
「あんさぁ、オマエ唐揚げすき?」
「好きだけど?あ、そういえば今日の給食唐揚げだよね。え、あげないよ」
「昔、学校から帰ってきたら飼ってたニワトリ爺ちゃんに食われてたんだ」
「へえ……それは残念だね」
「突然いなくなってからびっくりしたよ。まぁ、オスだったからあんま旨くなかったんだと。オスの肉は旨くねぇから、ふつう、雛の時点でバケツの中で踏みつぶされて殺されるんだって。まぁメスだって最終的に人間に食われて死んじゃうんだけど。オマエならどっちがいい?」
「……何でそんな気持ちの悪いこと言うの。もうボク唐揚げ食べられなくなっちゃったじゃないか」
少年Aが真っ青な顔でこっちを見つめてくる。
じゃあオマエはなんで毎回こんな気持ちのわるいことしか話してこないわたしをかまうんだ。それが、おかしくてならないよ。
「じゃあ、わたしが食ってやるよ。よかったな」
「やっぱりとるつもりだったんじゃないか!もう!」
そんなことを言いながら、行きたくもない学校に行ったのだった。
転入してからここ一年、まともにノートをとったことが無い。正直学校に来ている意味はないと思う。けれど、あいつは来た方がいいと言う。転入してから、しばらく来なかったわたしを毎日迎えに来るようになった。そして、聞いてもつまらないだろうわたしの話をせがんでくる。何なんだ。ほんとうは、家から近いくせに。なにやってんだ。
わたしはオマエのことがよくわからない。
Ⅱ 銀貨
夜、むきだしの電球一個が天井から我が家を頼りなさげに灯している。床の間の障子は開きっぱなしにしているから、夜風が涼しい。 蝉と鈴虫がわたしのために演奏してくれている。何の手入もしていない草がぼうぼうの庭は、彼らにとってさぞかし楽園であろう。 明日、全部刈ってやろう。そうしよう。
「また卵かけご飯かよ」
かつて父と呼んでいた現在虫以下の肉の塊が襖を開けてやってきた。わたしと似た顔のわたしと似たような体格の人間。もう四十がくるというのに子供のようだ。 何もしないから、きっとこの男の手の方がきれいであろう。
何もしないくせに腹だけは空くんですね。実におもしろいです。
「働かねぇくせに文句言うなよ。これが一番栄養とれんだ」
眉間に皺が寄っている。本当のことなのに。無視してわたしは箸をすすめる。
口の中にねっとりとしたゾル状の物質が広がるのがわかる。正直、食べ過ぎて味がしない。いや、何を食べてもそんなに何も感じないけれど。父と呼んでいたものが私の前に座って、無言で食べ始める。
泣きそうな顔すんなよ。かわいいなあ。
「母さんから手紙が来たよ」
「……僕には関係ない」
「わたしにこっちにこないかだって。再婚して今東京にいるって。幸せなんだって」
「かってにすれば」
そう言いながら、剥げ散らかした畳をむしるその手は何なのか。この一日中眠っている男は、わたしがいなくなったら確実に死に至るだろう。 ふあんなの?わかりやすいね。
「わたしがいなくなったらこまるくせに」
「……」
こどもみたいに。にらむなよ。 ああ、手ぇ怪我したじゃないか。かわいそうに。
「わたしがいなくなってもいいのか?ちゃんと言わないとわからないよ」
「……」
「……」
「…… いやだ」
かすれた、ちいさな声。 ずっと声も出してないもんなあ。
「嫌なんだ?」
「……いやだ」
男はしくしく泣きはじめた。
こうして毎日毎日この男を追い詰めるのが、楽しすぎて泣けてくる。手をひっぱって、ろくすっぽ洗ってない煎餅布団に連れて行った。
そういえば、身長があまりかわらなくなったなあと思う。女は成長期が来るのが早いらしい。わたしも来年は中学生だ。いつまでこの男をみてあげられるのだろう。
頭をなでてあげると、気持ち良さそうにすやすや眠りについた。 わたしも早く寝なければ。
わたしにはやらなければならないことがあるのだ。いきるために。
床の間を片付けた後、ひきっぱなしの自分の布団にごろんと横になる。
何もせず死んでいく鳥と食べられる運命の鳥と考えすぎて何もできなくなってしまった大人。
だれがいちばんかわいそうだろうか。
Ⅲ 疫病
早朝、まだ真っ暗な、夜のおわりごろにわたしは自転車で新聞配達に行く。誰もいない道を、ブレーキすらかからないほど速く、速く、抜けるのは最高だ。
いつもの通学路に差し掛かり、養鶏所の前へ。ひとの気配がした。ひとが、こわれた螺子巻き式のおもちゃみたいに、なんども、なんども、同じ場所を歩いている。
いつも卵をわけてくれる養鶏所のおじさんだった。
「どうしたんですか?」
「―― ああ、先生の家の子か。先生の病状はどうだい?」
「父は相変わらずです。でも、空気のいい自然のいっぱいあるこの村に来れてだいぶ良くなっていると思います」
「そうかい。君はえらいね。今日も卵をわけてあげたいんだけどねえ……」
「……」
「昨日ねえ、役場の人が来てねえ、この鳥たち、みんな病気でころさなきゃいけないんだって」
「……かなしいんですか」
「へんな話をしてしまってごめんね。誰かに話したくってねえ。悔しくて……惜しくて……でも涙が出なくて……実感がまだないんだよ」
「どうやってころすんですか」
「土の中に埋めるんだよ。今日は穴を掘らないといけないなあ」
そう言って、また無言で歩き始める。
養鶏所のおじさんの顔がスーパーで売られている安い鶏肉みたいに、かたく、つめたくなっていた。
朝、学校に行くと飼育小屋に黄色いテープが張られていた。『近づかないように!』と書かれたダンボールが付いている。
ニワトリたちは相変わらず、アホみたいな顔して何も考えれないみたいだった。
「なにこれ」
「ああ、病気らしいよ。近くの養鶏所の鳥と一緒にころすんだって」
さも興味が無いように少年Aは目を手元の本に戻した。
作品名:鶏たちは土の中で飛ぶ 作家名:海月海