昨日の恋明日の恋
今までゆっくり歩いていた彼女が早足になって、吊り橋に向かって行くのを私は微笑ましく思いながら見ていた。カメラを構えてシャッターチャンスを待つ。彼女が嬉しそうな顔で振り返った瞬間を撮った。デジタルはすぐに確認出来るのがいい。
吊り橋を渡る。彼女は中程で下を見ている。
「揺らさないでよ」と言いながら私は近づいて行く。
「あ、そうかぁ、それっ!」
彼女が悪戯っぽい顔をして足を踏ん張り揺らそうと試みている。なんだかずっと前から知っていたような気になってしまって、私は少しめまいに似た感じに襲われた。
「あ、怖いよう」と、私はふざけながら彼女に近づく。彼女の笑顔がちょっと心配顔になったのを見て、ああ優しいひとなんだと、恋に落ち始めた。
私は撮った写真を見せた。
「イヤだったら、目の前で削除しますが?」
「ああ、よく撮れている。遠景だからいいですよ」
そう言って彼女は、自分も写真を撮り始めた。
吊り橋を渡り終え、差し障りのない程度の個人情報を話しながら、頂上に向かった。
「なんだか、久しぶりだから疲れたなぁ」
「じゃあ、もう少し行くとベンチがあるのでそこで休みましょう。普段運動は?」
「あまりしてない、しなくきゃね」
彼女の服装は、しっかりと山歩き用だけど、新しそうだった。
「どんどん歩けそうに見えますけどね」
「ふうっ、甘くみてた。これからはなるべくウオーキングをしよう」
「ほら、あそこで休むよ」
「ああ、よかったぁ」
心持ち早足になったように彼女は歩いた。
二人で並んでベンチに座った。真ん中にリュックを下ろして、飲み物を取り出す。彼女も小さいリュックから飲み物を取りだした。そしてお菓子も。
「はい、もらい物だけど」
「あ、ありがとう、なんだろ、ああ懐かしいなぁ」
「食べたことあるんだ、これ母の実家に行く時に買ってた」
「ああ、じゃあお母さんと同じ出身だ」
二人並んで同じ物を食べる。こんなささやかなことが心を温かくする。忘れいぇいた、いや忘れようとしていたかもしれないことを思い出してしまった。それから自分のことも話した。彼女は少しは私に興味を持った聞き方だったがその度合いはわからない。だが、SNSを介していつでも話が出来るということは、二人で確認しあった。
話をしながら頂上に着いた。
「え、どこが頂上」
「ああ、平らだから分からないねえ、それでも一番高い所探せばいいよ」
「ああ、あった。ふ~ん、ここが頂上か。人が多いし、頂上の気がしないね」
「オレはまっすぐに向こうに行くよ。富士山が見える方に」
季節によって、霞や雲でまったく見えないこともあるんだが、しっかりと見えていた。
「わあ、富士山だぁ」
彼女が嬉しそうな声をあげるのを、自分が誉められたように嬉しく思いながら聞いていた。そしてやはり写真を何枚も撮った。
頂上から少し下った所の休憩所で、飲み物を飲みながら少しの間話しをした。
彼女ユミさんは、バツイチ子供無し、母の介護をしながら生活しているということだった。
今日は妹が母をみているので、気分転換にここ高尾山に来たらしい。
当然のように別れの時間はやってくる。
「妹にも用事があるので、もう帰らなくてはいけない。ああ、楽しかった。デーオさん、有難うございました。もっと一緒に居たかったですが、私は先に帰ります。じゃあ、SNSでお話ししましょう。あ、日記書くんでしょ。私のこと書きます?」
「う~ん、書いてしまうと何かが減ってしまいそうだから秘密にしときます」
「あ、じゃあ私も」
ユミさんは、手を振ってケーブル駅に向かって下りていった。登山客の多い高尾山なので、その後ろ姿は、街中のようにやがて人々の間に紛れてしまう。