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あれは僕が高校一年の頃のことだったと思う。僕は同級生が歩いて家に帰るのを見かけた。カイルという名前すら当時は知らず、面識もない。だからあの時僕は、山のような教科書を抱えている彼を見て、「どんな理由があったら金曜に教科書を持って帰る奴がいるんだ、あいつはよっぽど寂しい週末を送るんだろうな」などと謗って、週末の素晴らしい予定を思い浮かべてにやりとしていたのだ。パーティをして、その午後には友達とアメフトの試合をしようと言ってある。それに比べて彼は……と想像するのも止めて、僕は家へと向かおうとした。
 その時、いかにもというような奴らが彼に向かって走っていったのが目に入った。奴らは彼の教科書を腕からたたき落として、彼を転ばせた。思い切り地面に倒れた彼は砂だらけになっている。彼の眼鏡が投げられ、宙を舞う。それは、眼鏡をかけていない彼にはおよそ見えないであろうところに着地した。
 顔を上げた彼と目が合い、その目にたたえられた深い悲しみを見ることになった。僕は申し訳ないと思いながらも、その場から離れようとした。もう一度彼を見ると、目に涙を溜めながら、眼鏡を探す為にはい回っている。見ていられなくて、僕は眼鏡を拾って彼に手渡した。
「あいつらはとんだ間抜けだ。ほんと、しょうもないことしやがるよな」
 彼は少し驚いたような顔で僕を見て、それからとびきりの笑顔になった。
「ありがとう!」
 さっきまで泣いていた顔だとは思えないくらいの満面の笑みで、逆にこちらが申し訳なくなるくらいの感謝の気持ちに溢れていた。
 僕は散らばった教科書を拾い上げて、彼にどこに住んでいるのかと尋ねた。彼は僕の近所に住んでいるらしく、それならばどうして今まで見かけなかったのだろうと僕が首を傾げていると、彼は少し苦そうな顔をして「今まで私立学校に通っていたからね」と言った。
 その時まで僕は私立学校の生徒と付き合ったことなんてなかったが、彼の荷物運びを手伝いながら家に帰るまでに、僕らは仲良くなってしまったいた。僕は、週末の予定に彼を誘った。彼は頷いて、僕らは週末を大いに楽しんだ。カイルのことを知れば知るほど、彼のことを好きになっていく自分に気がつき、それは僕の他の友達たちにも当てはまるようだった。
 月曜日になって、僕はまた教科書の山を抱えたカイルを見つけた。僕は彼に駆け寄って肩を叩いて話しかけた。
「毎日それだけの本を持ち運びしてたら、今にボディビルダーになれるんじゃないかな」
 彼はただ笑って、僕に教科書を半分押しつけた。
 カイルと出会ってから四年が経ち、僕らは親友になった。最上級生になり、大学への進学を考え始める時期になると、ずっと二人一緒に居られるわけではないことが実感として僕の心にあった。それでも僕らが本当の意味で離ればなれになることはないと知っている。カイルもそう思っているだろう、と確信が持てるほどには、僕とカイルは仲が良かった。
 彼は東部の医大へ進学し、僕は中西部の大学で経営学を学ぼうとしていた。得意のフットボールの奨学金を利用してだ。目指す場所も進む場所も違っても、僕らはずっと一緒なのだと思う。
 卒業式も間近に迫り、高校生活も残りわずかになった。いつものようにカイルと家に向かっていると、彼は総代に選ばれたと僕に報告してくれた。僕は「すごいじゃん、頑張れ」と適当な応援をし、内心では人前に立つのが自分でなくてほっとしていた。人前が得意ではなかったし、何より長いスピーチを考えなくてはならない。そういう意味では、カイルは総代に適任であるように思えた。
 そして卒業式を迎え、カイルの方を見ると、彼はいつもの姿からは想像ができないくらいに堂々としていた。彼は高校生活のうちに、本当の自分というものを発見したのだと思う。初めて出会った時のと照らし合わせて、思わず笑ってしまった。今となっては女子からの憧れの的で、デートした回数だって僕よりずっと多い。そのことで嫉妬したこともある。今日だって、それに含まれるかもしれない。
 彼はスピーチを控えて緊張しているようだった。僕はにやりとしながら彼の背中を叩いて彼を見た。やっぱり緊張しているようで、返事の一つも返ってこない。ここで安心させるのが、親友ってものだろう。
「心配すんなよな。絶対上手く行くって!」
 すると彼の表情が一気に和らいで、笑顔で僕に「ありがとう」とだけ言った。
 彼は一度咳払いをしてからスピーチを始めた。
「卒業の日というものは、私たちが日々を生きていく中でお世話になった方々へ感謝するのにとてもいい機会に思えます」
 そんな風に彼のスピーチは始まった。始めの方こそ声が震えていたが、段々と力強い声が、講堂に響き始めた。
「例えば両親や先生方、兄弟や家庭教師という人もいるかもしれません。たくさんの人々に私たちは助けられて生きてきました。しかし、友達のありがたみというものを考えたことはあるでしょうか。自分が誰かの友達であるということは、自分がその誰かにしてあげられる最高の贈り物だと、僕はこの四年間でずっと感じてきました。今日はその話をしようと思います」
 彼の一人称が変わったことで、彼のスピーチが用意していたものと違うことが分かった。彼の考えていることが分からないまま、僕はスピーチに耳を傾けていた。すると彼は、僕と出会った日のことを話し始めた。
「一年生の頃、僕は今の大親友と出会いました。その頃の僕は人生に絶望していました。学校は楽しくない、友達もいない、歩けば誰かに転ばされる……そんな日々にうんざりしていました。ある週末に、僕は自殺しようと決意します」
 彼はここで一度息を吸った。講堂は水を打ったように静まり返っている。僕にも、何がなんだか分からなかった。ただ、彼の言葉が真実なのだろうということだけが理解できた。
「母さんが後始末をしなくて済むように、ロッカーのものを全て家に持ち帰ろうとしました。そしていつものようにちょっかいを出され、僕はもう少しの辛抱だと思いながら必死にこらえていました。遠くに、名前も知らない一人の生徒が見えました。目が合って、一瞬その場を立ち去ろうとしたようでしたが、その人は僕の方にやってきて手を取ってくれました。それどころか彼は僕を週末のパーティに誘ってくれたのです」
 ここにいるほとんどの人は、この話を信じられないことだろう。頭も良く、ハンサムで人気者であるカイルが、このようなことを壇上で話しているのだ。彼の、この上なく辛かったであろうことを。
 カイルは他の人と同じように唖然としている僕の方を見て、小さく笑った。
「ありがたいことに彼は、僕の週末の予定を塗り替えてくれたのです。……一度じゃない、今に至るまで何度も」
 僕は、彼の両親がこちらを見て、涙を浮かべながらあの時のカイルと同じ笑みを向けていることに気づいた。この時になってようやく、僕はカイルのあの笑顔の本当の意味を知ったのだ。
作品名:friends 作家名:さと