小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

女郎蜘蛛の末路・蜘蛛捕り編(後)

INDEX|4ページ/12ページ|

次のページ前のページ
 

「まさか、黒上はん。まだ呑む言うんやないやろうな?」
しかし、黒上と呼ばれた男は「ほぇ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「もちろん、呑むよ。そのために八重ちゃん呼んだんだからさー」
男の口調、仕草、表情、それらのどれを見てもすっかり出来上がってしまっているのは一目瞭然だった。
そんな状態になってしまった彼に、どんな言葉をかけても無駄だということは分かっていたが、それでも八重は一応一声かけておくことにした。
「黒上はん、今あんさん何本呑んでるか分かってるん?」
「ほぇ〜。分からんなぁ。3本じゃないの〜?」
「そうや!三本や!まだ、お日様も照ってるお昼から、あんさんはお酒ばっかり飲んで、そんでまた注文したら、それで4本目やないの」
「わははっ。八重ちゃんご名答〜」
「ご名答って、あんさん……」
八重は、はあと重い吐息を吐き出す。
……やはり、何を言っても無駄だ。ここは、無理に粘らず、好きなだけ呑ませておいてやろう。もしも、酒の呑みすぎで家に帰れなくなったその時はその時だ。黒上の携帯の電話帳から、適当な番号をプッシュして店まで迎えに来させよう。そうだ、それで良いではないか。それでいくら相手に黒上が非難されようと、自業自得というものだ。
八重は、心を決めると黒上が差し出す酒器を受け取った。
「分かった。すぐにお酒持って来るから、ちょい待っとっておくれやす」
「はいは〜い。なるべく急いでね〜」
大人しく引き下がり、酒の調達へと向かおうとした八重だが、直前の黒上の言葉に腹が立ち、襖に手をかけようとしたところを振り返った。
「あっ、それと言うときますけどね。もしも、呑みすぎて1人で帰れなくなったとしても、うちらは何の介護もせえへんから、そのつもりでいてや」
それだけを強い口調で言うと、八重は身をひるがえして襖を開いた。
「あっ、ちょっおまっ」
背後で黒上が何かを言いかけていたが、ピシャリと襖を締切り完全にシャットアウトする。
あの黒上霧助という男も、店の常連客だったが、とくにこれと言って良いところは一つもなく、さらに屁理屈をこねるのだけはうまいという本当に面倒くさい客だった。
本音を言えば、さっさとこの店から出て行ってほしかったが、そこは大事なお客様。仮にもそんなことが言えるはずもなかった。
とにかく、厨房から酒を調達してあの男の元まで運んで行こう。それで終わりではないか。無駄話をする前に退出すれば良いだけの話だ。
八重は意を決すると、再びの中央を横切った。
しかし、そこで店の入り口に見覚えのある男がいるのに気付く。
……苺春はん。
丁度陽の光が逆光となり、顔は良く見えなかったが、それでも見間違えるはずはない。彼は運命の人なのだから。
近づいて、声をかけたい衝動に駆られたが、少しでも会話をすればしばらくはその場から離れられなくなることは容易に想像出来た。
今は、まず与えられた仕事をこなさねばならない。それを終えた後で、ゆっくり彼と話すとしよう。
そう心に決めると、自然と厨房に向かう足取りも軽くなった。
いくつもの種類の日本酒が並べられている棚の中から、黒上お気に入りの一本を探し出し、酒器の中に注ぐ。
それらの動作をなるべく手早くこなしながら、八重は厨房を出た。
店の中央を横切る際、チラリと反射的に店の入り口を見やり、そのまま素早い足取りで個室の方へと向かう。
襖を開くと、中では相変わらず顔を赤らめた黒上が「待ってました八重ち〜ん」と耳触りな声を上げる。
……うっさいな。あんたに構ってる暇はないんや。
内心、舌打ちをしながら、しかし表面には微塵もそんな仕草はみせず、淡々と仕事をこなす。
酒器から、黒上の持つ御猪口に酒を注いでやると、この男は尚の事上機嫌になった。
「いやぁー。やっぱり八重ちゃんが入れると、断然おいしくなるね!うん、絶対にそうだ!」
「まあ、そりゃどうも」
……ほんま、鬱陶しいなあ。喋ってないで、黙って酒を腹ん中流し込めばええんや。そんでもってとっとと店から出て行きや、この害虫め。
今、こうしている間にも彼は店の入り口付近で自分のことを待っているのだ。それなのに、どうしてこんなところで無駄な時間を使わなければならない。
途端にわなわなと怒りが湧いてきた。心の中では、ダメだと分かってはいる。しかし、それでも燃え上がった炎はなかなか治まらなかった。
「八重ち〜んお酌ぅ〜」
その一言が引き金となった。
次の瞬間、八重は酒器を勢いよく台に叩きつけていた。
バン!という鋭く、鈍い音が部屋の中に反響し、その際の衝撃で酒器の口からいくらか酒が零れ出た。
黒上は何が起こったのか分からないというような呆然とした表情で、激怒の表情を浮かべる八重を見つめていた。
八重もそれに気づき、黒上を睨み返す。その視線に圧倒されて、黒上はすぐに視線をそらしてしまった。
「……酒くらい自分でつぎなはれや。なんでもかんでも、うちのこと使うな」
八重の言葉に、黒上はおずおずとうなづいた。
そんな彼の反応を見て、徐々に気持ちが落ち着いてくる。
すると、途端に自分が何をしたのかに気付き、途端に居心地が悪くなった。
だがしかし、謝ろうにも彼女が癇癪を爆発させたのはつい先ほどのことだ。一方的にしかりつけた手前、直後に謝るということはどうにも出来そうにない。
「……ほな。うち、もう行くさかい」
そんなつもりはないのだが、つい低い声でそう言ってしまう。
それがますますに事を悪化させているのに気付いてはいるが、どうしても抑えられなかった。
「……うん」
と怯えきった小動物のように返す黒上をその場に残し、八重はピシャリと襖を閉めて退出した。
……だめや。うち、毎度こんなんばっかやないの。
自分がひどく怒りっぽくて、時折癇癪を爆発させてしまうのは、彼女自身問題だと良く分かっていた。そして、それらの事柄が原因で夫と息子に捨てられてしまったことも。
「……あかんわ。こんなんじゃ、ほんまにあかんわ」
うわごとのように呟きながら、襖に寄りかかる。
そのまま、背中をズルズルと滑らせ、ペタンと床にしりもちをついた。
誰も彼女の方を見ていなかったのは、幸いという以外他にない。
今はひどく気分が落ち込んでいる、こんな状態で苺春に会うわけにもいかない。ひとまず、今は気持ちが落ち着くのを待とう。
少しでも精神を集中させるために、八重は瞳を閉じた。
視界は真っ暗になり、世界が音で満たされる。
人々の話し声、足音、和菓子を口に運ぶ音に、お茶を喉に流し込む音。
瞳を閉じることによって、それらの音がより鮮明に聞こえてきた。
それらのことに意識を集中していくと、徐々に気持ちが落ち着いてくるのが分かる。
幾分か気持ちが落ち着くついたのを確認すると、八重は襖から体を離し、ゆっくりと立ち上がった。
それから口を大きく開けて、深呼吸をする。
……良し。ほな、行こか。
自分に言い聞かせるように、心の中で呟きながら八重は店の入り口の方へと向かった。
苺春の姿を確認するためだ。
しかし、完全には接近せず適度な距離を保ち、向こうの様子を伺う。
明るい陽射しに照らされた中、彼の姿が待合スペースにあることを確認した。
どうやら、今日は連れがいるらしく隣に座る人物に対して楽しげに話しかけている。