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女郎蜘蛛の末路・蜘蛛捕り編(後)

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「あんたのせいで!うちのなんもかもがめちゃくちゃやわ!うちの大事な子供まで取りやがって!いつか必ず見つけ出してやるさかい!覚悟しなはれや!」
はぁはぁと荒い息を吐き出し、夜の街を睨みながら、はっと我に返った。
……なんだ。自分は何をしているのだ。
夜のネオンに反響する自分の叫びを聞きながら、八重はとても虚しい気分になった。
あかん……あかんわ。アレ使わんとやっぱり……無理やわ。
このままでは、心の底まで壊れてしまう。
本能的に危険を感じ、八重は身を持たせていた手すりから体を離し、家の中へと戻った。
まだ、目元を零れる雫は止まっていない。それを止めるには、やはりアレが必要だった。
綺麗に整えられたリビングの棚の1つを開き、その中から小さな注射器とゴムチューブ、アルコール液と小さな玉状の綿、それとピンセットを取り出した。
最初の頃は、医療関係者でもない自分がこんな物を扱えるのかと、不安になったこともあるが、今ではこの一式セットを使うのがすっかりお手の物になっていた。
キッチンの流し場で手を慎重に洗い、タオルで拭いてから、ピンセットで挟んだ綿にアルコール液を滲ませて、準備をしておく。
そして、それからゴムチューブを右腕に巻きつけ、ぎゅっと固定させる。あとは、指で静脈血管の位置を探り、そこに針を打ち込むだけだった。
今回、血管の中に流し込む薬品は、静脈血管に注射するのが最も効果的とされている。
静脈血管の位置を探り終え、綿による消毒を済ませると、八重はふう……と息を吐き出して、呼吸を整えた。
そして、それから左手で注射器を手に取り、一気に狙った位置へと突き刺す。
「痛っ……」
チクリという痛み。
一瞬その痛みに怯むが、すぐにシリンダーを押し込んで薬品を血管の中に流し込んだ。
すぐに、注射による痛みは消えて、代わりに言いようのない多幸感が体中を駆け巡った。
オーガズムの時なんかよりも、よっぽど素晴らしい快感が八重の全身を満たし、八重は体を震わせた。
「あー……最高……やわあ」
まるで、世界の全てがドロドロに蕩けてしまったかの様な感覚。
あまりにも気持ち良すぎて、壊れてしまう……そんな考えすらも浮かんだ。
こんな状態で、嫌なことを考えろと言う方が無理というものである。
恍惚に浸った表情で、空中を見つめる八重の頭にもはや先ほどまでの悩みなど微塵も残っていなかった。
……ヘロイン。この薬品の力に頼るようになって、もうずいぶん経つ。
最初は、ほんの出来心だった。ひどく虚しい気分になったある日、真っ暗な路地裏で怪しげな男に出会い、「嫌なことはみんな忘れられる」と売りつけられたのが始まりだった。
薬物依存は、一度はまったが最後。決して抜けることのできぬ、泥沼だった。
路地裏で腕に注射を打ち込んだあの時から、八重は抜けることのできぬ薬物の循環にはまり込んでしまった。
禁断症状が出ることを恐れて、というのもあるがそれ以上にこの素晴らしい薬物のもたらす効果に八重の精神は染まり切ってしまっていた。
金銭面や、身体への影響なども考え、なるべく注射は控えようとしているが、その抑制が崩れるのもおそらくは時間の問題だろう。
「……ふう。やっぱスゴいなあ。クスリの力言うんは」
相変わらず全身を駆け巡る快感に、声を震わせながら、注射器を腕から抜いた。
そしてすぐさま新しい綿にアルコールを滲ませ、消毒の処置を終える。
「……あないなことで悩んどったのがアホみたいやわ」
ぺたりと足を折って、座り込んだまま、八重は窓の外で降りしきる雨の音に耳を澄ませた。
目をぴたりと閉じ、物思いにふける。
そうや、もう気にする必要なんてない。うちにはあのしとがおるやないか。
八重の脳裏に、時折店を訪れてくれる男性客の顔が浮かんだ。
最中苺春(もなか まいはる)。一見優しそうな顔をしたふつうの男だった。もっとも、それは彼の裏での行いを知らなければ……なのだが。
この苺春という男は、裏の世界でたくさんの悪事に手を染めていた。それはきっと、八重の薬物依存など本当に軽い罪になってしまうくらいに。
……しかし、表面から見ただけでは、そんなこと気付けるはずもなかった。所詮、赤の他人でしかない八重にそこまでのことを知ることは出来ない。
……だが、しかし、彼が悪人だと分かったところで、実際のところはそんなものどうでも良かった。
彼は八重の見定めた、"新しい運命の相手”なのだから。
「……最中はん。明日はお店、来てくれはるやろか」
……そこまで言いかけて、八重は言葉を呑み込んだ。
「……来るに決まってるやん。なん言うてはるんやろうちは……」
夜のネオンに照らされて、八重の唇がぎゅっと曲がった。
幸せな笑みが顔中に広がっていく。
「だってあんひと……運命のひとやもん」
八重の口から漏れたこの言葉は、雨の音にかき消されても、彼女自身の中に響き渡った。