森の命
「皆さん、私は、今、心に深い傷を負っています。死んだライとは、長年来の親友でした。イギリスの大学で政治学を学んでいた時からの付き合いでした。互いにこの国の未来について語り、植民地支配や戦争で、ごたごたになったこの国を建て直そうと二人で誓い合ったのです。二人で政治の世界に入り、同じ時期に国会議員にもなりました。そして、私が総理に彼が通産大臣になる程まで登りつめた、これからという時にです。彼が私利私欲のために収賄に手を染め、私を殺してまで大統領の座を手に入れようとしたのです。彼は、どうしてそんなにまで変わってしまったのでしょう。昔の彼は、そんな男ではなかった。私に原因があったのかもしれない。彼だって大統領になりたかったのです。私は、自分の方が、適役だと思っていました。私の方が見かけがよく、リーダーとしての強いイメージを国民に与えることが彼よりできると思いました。よかれと思ってしてきたことでしたが、知らず知らずのうちに彼に私に対する不信感を植え付けることになってしまった。私も気付かないうちに権威主義者に成り下がっていました。私も変わってしまった。私が若い頃、まだこの国がイギリスの植民地だった頃、イギリス人がゴム農園を切り開くため、熱帯の森を無残に切り壊していったのを見て、強い怒りを感じたことを覚えています。イギリス人は、自国の利益のため我々の国土を荒し回っていたのです。その時の怒りが、私を政治家への道に駆り立てたのです。そんな私が、今になって、この国の発展のためだからと、森を切り倒していくのは、とても滑稽な話しですよね」
大統領は、床に膝まづいたままの明智清太郎を見下ろしながら言った。
「明智さん、お願いです。立ち上がってください。あなたのそんな格好を見たくありません」
清太郎は、命令に従うかのように立ち上がった。大統領は話しを続けた。
「私が二十年近く前、日本で貿易の仕事をしていたとき、あなたには大変お世話になりました。発展する日本の産業を目の当たりにして、感動を受けた思い出で一杯です。そのころ私は、事業家のはしくれでして、日本には貿易をするかたわら、日本のビジネスについて学びに来ていたのですが、すでに帰国後に国会議員選挙に出馬する準備もしていました。日本の産業を見てスワレシア経済のモデルにすることを考えたのです。あの頃、あなたは「大の虫を生かすためには小の虫を殺す」という日本の格言を話してくれましたよね。これが資本主義経済のルール、国を発展させるためには常に犠牲が必要だと。日本は、あの時代高度成長による華やかな発展とともに国中に撒かれた公害問題が深刻化していました。あなたも産業界の人間としてそういうことに大きく関わっていました。だからこそ、そんな格言を使ったのでしょう。今の私もあなたと同じですよ。格言を持ち出して自分を正当化していました。でも、「大の虫を生かすためには小の虫を殺す」と言えば正反対に「一寸の虫にも五分の魂」という格言が日本にはありましたね。私はすべての国民のことを考えて、いままで行動してきたつもりでした。しかし、一人一人の国民のことを考えながら国全体を経済的に豊かにすることは、たやすいことではなかったのです。私は忘れていました。大の虫も小の虫も生きていける国にすることが真の政治家の使命であることを。今回のことで私は目を覚まされたような気がします」
「マラティールさん」
清太郎は、ぽろぽろと目から涙を流していた。
由美子と健次は、二人の老人の姿に圧倒されていた。不思議ともいえる雰囲気だった。この二人は、一国の大統領と大商社の社長という大きな肩書きを持つ貫祿ある堅物の老人たちだ。それが、お互いのことを包み隠さず語り合い、まるで若き青年時代に戻ったように、仮面を剥ぎ真の顔をさらけ出し、互いの姿を見せ合っているところなのだ。
しばらく沈黙が続き、マラティール氏は言った。
「あれだけの大規模事業を中止させるのは、並大抵のことではないのです。私の大統領の権限を行使したところでも、もはややめさせることは出来ません。私個人の意見としましても、大規模なダムや発電所は、この国には必要です。どうしても必要だとしか思えません。しかし、もっと話し合う必要があることにも気付きました。果たして何が、なすべき正しいことなのか。そうですね。話し合う価値は十分にあります。多くの人を招いて話し合って見ましょう。どんな結論が出るか分かりませんが」