森の命
数十分後、健次は、由美子に今まで自分の身に起こったことをすべて話した。あの日、夜遅く見知らぬ男達に森に連れ去られ、そこで、コブラに噛まれたが、森の原住民に助けられ、解毒作用のある薬草を飲まされ命を取り留めたこと。その効果からその草の研究を始めたこと。そして、びっくりすることに草の成分に癌を治療する効用が見られたということ。だが、そんな折に研究所に火炎瓶が投げ込まれ、銃撃まで受け、一緒にいた親友の堀田が重傷を負ってしまう目に遭ったこと。
「信じられない。健次と堀田さんがそんな目に遭ってたなんて! それで堀田さんは大丈夫なの?」
「ああ、危険な状態は脱している。あとは回復に向かうだけだ。彼の奥さんと家族も駆けつけている。命を狙われた銃撃事件ということもあって現地の警察もあいつに厳重な警備をつけている」
由美子は、自分と関わる人間がやたらと災難に巻き込まれていることにショックを受けた。誰も彼もだ。しかし、落ち込む暇もなく立て続けにことは起こっていく。それが、腹立たしくやるせない。
「そんなことより、由美子。この薬草を試してみたいんだ。親父さんを人体実験に使うようだが一か八かの勝負だ。これを飲ませるだけでいいんだ。薬理学者の俺が保障する。何だかの効果があるはずだ。この草には、そんな魔力が存在すると思う」
由美子は、言った。
「いいわ。健次、お父さんに話してみるわ」
由美子は、ベッドに横たわる清太郎に話しかけた。父親は苦しそうな表情をしている。病状が悪化の一途をたどっていることを物語っている。
「お父さん、私の友人の健次さんが、薬を作ったの。とっても不思議な薬なの。薬理学者の彼がいい効果を保障出来るっていうくらいよ。実際はどうなるか分からないけど、希望にかけてみたいの。もしかして、お父さんの命がほんの少しでも伸びることにでもなれば、それだけでも素晴しいことと思うわ。ねえ、試してみて」
清太郎は、かすかに微笑み、うんっと首を縦に振った。
主治医である野村院長は、あくまで患者との同意で行う民間療法としてなら、何が起こったとしても主治医と病院側が一切責任を負うことはないので許可するということだった。飲み薬ならば、注射と違い、厚生省の認定を受けた薬以外でも、投与しても違法行為とはみなされないのだ。
健次は、草をまぶし水に溶かした液を清太郎の口に運び、ゆっくりと流しこんだ。清太郎は、精一杯の力を出して飲み込んだ。そして、しばらくすると眠りに入った。
健次は言った。
「由美子、これから先おまえの親父のことは、俺に任せろ。今日初めて会った人なのに、任してくれっていうのはずうずうしいけどな。俺が薬を渡した以上、責任がある。それに今診ているのは俺にとっても、おまえと同様大事な人だ。だから、これからスワレシアに戻るんだ」
「え、そんな、お父さんをおいて行けっていうの?」
「由美子、スワレシアでは、おまえにとっての大事な戦いが始まっているんだろう。さっきテレビを見ていたおまえの姿で、そう分かったんだ。おまえは行くべきだ。戦いに参加すべきだ。おまえがリーダーになり、敵を圧倒させるべきだ。今行かなければ、他に行けるチャンスはないはずだろ。君の親父のことは俺が責任を持って面倒を見る! 俺たちは一心同体だ。だから俺がここにいればいいんだ」
由美子と健次は、見つめ合った。そして、二人は強く抱き締めあった。
由美子は、思った。確かに今しかチャンスはない。発電所建設工事は、あと二週間もすれば始まってしまう。由美子は、時計を見た。急いで成田に行けば、今日中にスワレシアに戻れる。
次の日の朝
ダム建設予定地前では、デモが続いていた。昨晩からテントを張り、立て篭っていた人々が起き上がり、デモを再開した。アジア人、白人、黒人と肌の色は様々。国籍もスワレシア、日本、アメリカ、イギリス、フランスからなどと同じく様々であった。そのデモ隊の前には、警官隊が睨みつけながらずらりと並んで立っていた。
彼らの掲げるプラカードには、「自然破壊反対」、「熱帯雨林は地球の資源だ」、「先住民を追い出すな」などと書かれていた。
デモには、近くに住む村民も参加していた。彼らは、「我らの住みかと農地を奪うな」というプラカードを掲げ、自らの生活に密着した切実な思いを訴えていた。
人々は、叫んだ。
「我々は、計画が中止になるまで決して屈しない!」
昨日からすでに警官隊も来ていた。デモ隊と警官隊は、お互いにずっとにらみあいを続けている。
デモ隊の中に一人の日本人女性がいた。この事件を世界中に伝えた雑誌記者、塚原真理子である。ニューズマンツリーのおかげで、事件は世界中に広まり、各国の環境保護団体の関心を引くことになった。
真理子は、沸き上がる興奮を抑え切れない状態だった。自分が伝えた記事によって世界中の人々が反応している。もしかしてダム建設も中止にできるかもしれない。自分の振るった筆の力によって、世の中を変えることになるかもしれない。自分は、立派なジャーナリストの使命を果たしている。今までにない満足感を感じていた。
ふと、ガタガタという大きな雑音が、遠くから聞こえてきた。真理子は、音の聞こえる方向を向いた。何台ものトラック、クレーン車、ブルドーザーが向かってくるのが見える。何事だろうか。真理子は、怖くなった。戦場で戦車の大群を見ているような気分だ。
トラックとクレーン車とブルドーザーの大群は、デモ隊ぎりぎりまで迫ると、すっと止った。停まって静まり返ったと思うと、辺りに砂埃が舞った。
人々は、圧倒され数歩ぐらい体を後ろに引いた。何事だと、皆そわそわしだした。クレーン車とトラックとブルドーザーのずらりと並んだ姿は、なんとも異様であった。砂埃がおさまり、よく見るとこれらの大型車の集団と共に、黒いリムジンが止まっていた。リムジンは、クレーン車などを背にして、この不気味な集団を引っぱる先頭を担っているみたいだ。
リムジンの運転席から、制服を着た運転手が出ると、後部座席のドアを開ける。
サングラスをかけ、ネクタイと背広をまとった背の高い紳士が姿を現した。
真理子は、この男を見たことがあった。写真で知っているのだ。新聞の経済欄に、よく載っていた顔だ。明智物産の若くやり手の副社長である。親友の由美子が話していたことも思い出した。
英明は、車を出たかと思うと、すぐ横に止まっていたトラックの荷台に上がった。そして、スーツ姿をまとったスワレシア人の部下が続いて上がった。部下は、手にメガホンと金属製の大きなケースを持って、重そうな足取りだ。
荷台に上がった英明と部下は、デモ隊を見下ろした。デモ隊は、二種類の集団が合わせもってできている。一つは、自然保護を唱える環境保護団体。もう一つは、生活を守ろうとする村民達。なぜか二つの集団は、どちらも同じスローガン、ダム建設反対を唱えているはずなのに右と左で分かれて立ち並んでいる。