森の命
「院長先生、正直に教えてくれませんか?」
明智清太郎は、困惑気味な表情の医師を見て言った。明智の主治医である野村院長は、手にカルテを持ち椅子に腰かけていた。
机の上には蛍光板に照らされたレントゲン写真数枚がかけられ、内臓の様子が写し出されていた。
「そうですね。あなたには、はっきり申し上げたほうがよろしいでしょう。あなたのような立場の方には、隠すというのは適切でないでしょうから。診断の結果、腫瘍が発見されました。それもかなり進行しています。もともと膵臓から発生したものなんですが、胃や肝臓などの他の臓器にも転移しています。これだけ腫瘍部が広がっていると、摘出して治療するのは不可能です。お仕事がお忙しかったとはいえ、こんな状態になるまで放っておかれるとは・・・」
野村院長は凍った目をして、明智を見つめる。
「では、先生。実際のところ、私は助かるのでしょうか?」
「残念ながら、もってあと1ヶ月というところでしょうか。私もこんなことを申し上げるのは大変つらいのですが」
明智は、がくんと肩を落とした。今、まさに人生で最大の難関に直面しているのだ。これまで、幾度も大きな難関に出くわしてきたが、これほどまでに大きなことはなかった。
明智清太郎は、年齢六十五歳、白髪頭の貫禄ある老人だ。肩書きは日本で指折りの資本力を誇る総合商社、明智物産の社長である。明智物産は、総売上高一兆円以上、総従業員数十万人以上、世界中に百以上の支社を持つ巨大企業だ。
明智清太郎は、日本で、いや、世界でも指折りの富豪だ。もっとも、偶然にそんな富豪になれたんではない。
明智清太郎の生まれは、北海道の貧しい農村だった。高校卒業後、身一つで上京した。小さな缶詰工場で営業マンとして働き始め、実績を上げた後、そこの工場長に就任、缶詰の製造と販売を一手に引き受けるために食品会社を設立、それを足掛かりに、事業を次々と起こした。
食品会社の次は運送会社、そして、海外との貿易をすすめるため貿易商社を築いた。事業はおもしろいほどにうまくいき、規模は、うなぎ登りに拡大していった。分野も建設、電気などと多方面に渡り総合商社と呼ばれる規模となった。
もちろん、数々の困難もあった。資金を調達するために銀行の融資をもらうのは並大抵のことではなかった。高卒という学歴だったため、信用を得ることはたいへん難しかった。
だが、八方まわり、苦労に苦労を重ね、資金をぎりぎりの分まで調達。それでも資金不足に悩まされたが、高度成長時代の日本経済の支えがあり、予想以上の収益を収めることができたのだ。
また、人間関係のトラブルにも数多く出くわした。ライバル企業の陰湿な妨害、信頼していた部下の裏切り、そのたびに清太郎は顔を紅潮させ怒ったが、そのエネルギーを糧に利益拡大の事業展開に精を出すようにした。
そんな事業拡大による栄えある人生の中、清太郎は数々の恋愛を経験した。そして、葉子という女性と結婚することになった。
葉子は、取引相手の娘であった。強い信頼関係から紹介された女性であった。葉子は、お嬢様育ちで美しく気立ての良い女性であった。清太郎は、出会ったときからすぐさま気に入ってしまった。葉子も、同様であった。仕事上の都合と二人の恋愛感情がうまく符合し、結婚は成立した。
結婚から数年後、夫婦の間に女の子が生まれ由美子と名付けられた。由美子は愛らしく、清太郎にとっては自分の妻と会社同様にかけがいのないものとなった。
しかし、由美子が生まれて数カ月程経ったある日、明智家に悲劇が襲った。葉子が外出中、交通事故にあい死亡したのである。
清太郎は気が狂わんばかりであった。せっかく愛する娘を授かったという時に愛する妻を失うことになり、堪え難いショックを受けた。
赤ん坊だった由美子は、母親の死を知るには、あまりにも小さ過ぎた。
由美子は、母親似の美しい容貌に清太郎によく似た強情で負けん気の強い性格を兼ね備えた子であった。自分に母親がいないことを気にすることなく明るく活発な少女へと成長していった。
そんな由美子の姿を見ながら、清太郎は妻の死による悲しみから立ち直り、唯一の肉親である娘のためにと、さらなる事業拡大に力を注いだ。
由実子には、何不自由のない生活を送らせた。高等な教育も受けさせた。自由奔放にやりたいことをやらせた。娘の幸せを願い、いずれは会社を引き継がせるつもりで頑張り通した。
だが、それが、もうままならない。あと半年の命、娘は、二十四歳、ちょうど、留学先のハワイの大学を卒業したばかりだ。まだ、会社を引き継がせるにはおぼつかない。
娘が会社を引き継ぎ、その次の後継者となる孫を生むまで、死んでも死にきれないのだ。
どうしてくれよう。これじゃあ、今までの苦労はなんだったのだ!
ここにきて自分の書いた人生のシナリオを閉じなければならないとは。なんという無念だ。
社長専用のロールスロイスで野村総合病院から新宿ビジネス街の明智物産ビルに着くと、さっそく秘書に連れられ、ロビーを通り抜け社長室へ向かった。社長と秘書が歩く姿を見るなり、通りがかった社員たちは条件反射的に頭を下げる。清太郎と秘書は、最上階の社長室へ直通で行く専用のエレベーターに乗りこんだ。
エレベーターには、革張りの長椅子が備え付けてあった。最上階の五十階まで約一分の間、清太郎は椅子に座り考えにふけった。エレベーターのガラス張りの大きな窓から、眼下に広がる大都会東京の壮大な景色が眺められる。経済大国日本の繁栄を、そのまま象徴するかのような景色だ。
社長室に着いた。
エレベーターを降り、しばらく歩くと、またもや革張りのどっしりとした椅子に腰を下ろした。目の前には、とてつもなく大きく台の広い机が置かれている。さっそく、いつものように、机に置かれた書類を開き文面に目を通した。
コン、コン、と誰かがドアをノックする音が聞こえた。
「社長、石田でございます」
石田だ。
「入り給え、英明くん」
清太郎は言った。
「失礼いたします」
石田英明が、ドアを静かに開け、中に入ってきた。普段は社員が社長室に出入りするには秘書を通さなければならないのだが、この男、石田英明に関しては別であった。
英明は、清太郎から特別の信頼を受けている。三十歳の若さで清太郎により副社長に任命された程だ。
慶応大学経済学部を卒業。その後、アメリカへ渡りハーバード大学大学院で経営学修士号(MBA)を習得し、アメリカの商社に入社。そこでトップセールスマンとして活躍していた時に明智物産より引き抜かれた。入社後は期待通り驚異的な実績を上げ、出世街道まっしぐらだった。
ビジネスのやり方が、強引だと文句も聞かれるが、彼の会社への貢献度は抜群のもので取締役員の中では最年少の三十歳の若さで副社長に就任できたのも、その彼の実績による結果だった。
今や年功序列、終身雇用という言葉は死語である。明智の求める人材というのは、利益を上げ、会社の株価を上げ、実績を数字で表わせる者共だ。年齢や勤続年数など関係ない。それが明智物産の方針だった。
英明とは、まさにそういう男だった。
明智清太郎は、困惑気味な表情の医師を見て言った。明智の主治医である野村院長は、手にカルテを持ち椅子に腰かけていた。
机の上には蛍光板に照らされたレントゲン写真数枚がかけられ、内臓の様子が写し出されていた。
「そうですね。あなたには、はっきり申し上げたほうがよろしいでしょう。あなたのような立場の方には、隠すというのは適切でないでしょうから。診断の結果、腫瘍が発見されました。それもかなり進行しています。もともと膵臓から発生したものなんですが、胃や肝臓などの他の臓器にも転移しています。これだけ腫瘍部が広がっていると、摘出して治療するのは不可能です。お仕事がお忙しかったとはいえ、こんな状態になるまで放っておかれるとは・・・」
野村院長は凍った目をして、明智を見つめる。
「では、先生。実際のところ、私は助かるのでしょうか?」
「残念ながら、もってあと1ヶ月というところでしょうか。私もこんなことを申し上げるのは大変つらいのですが」
明智は、がくんと肩を落とした。今、まさに人生で最大の難関に直面しているのだ。これまで、幾度も大きな難関に出くわしてきたが、これほどまでに大きなことはなかった。
明智清太郎は、年齢六十五歳、白髪頭の貫禄ある老人だ。肩書きは日本で指折りの資本力を誇る総合商社、明智物産の社長である。明智物産は、総売上高一兆円以上、総従業員数十万人以上、世界中に百以上の支社を持つ巨大企業だ。
明智清太郎は、日本で、いや、世界でも指折りの富豪だ。もっとも、偶然にそんな富豪になれたんではない。
明智清太郎の生まれは、北海道の貧しい農村だった。高校卒業後、身一つで上京した。小さな缶詰工場で営業マンとして働き始め、実績を上げた後、そこの工場長に就任、缶詰の製造と販売を一手に引き受けるために食品会社を設立、それを足掛かりに、事業を次々と起こした。
食品会社の次は運送会社、そして、海外との貿易をすすめるため貿易商社を築いた。事業はおもしろいほどにうまくいき、規模は、うなぎ登りに拡大していった。分野も建設、電気などと多方面に渡り総合商社と呼ばれる規模となった。
もちろん、数々の困難もあった。資金を調達するために銀行の融資をもらうのは並大抵のことではなかった。高卒という学歴だったため、信用を得ることはたいへん難しかった。
だが、八方まわり、苦労に苦労を重ね、資金をぎりぎりの分まで調達。それでも資金不足に悩まされたが、高度成長時代の日本経済の支えがあり、予想以上の収益を収めることができたのだ。
また、人間関係のトラブルにも数多く出くわした。ライバル企業の陰湿な妨害、信頼していた部下の裏切り、そのたびに清太郎は顔を紅潮させ怒ったが、そのエネルギーを糧に利益拡大の事業展開に精を出すようにした。
そんな事業拡大による栄えある人生の中、清太郎は数々の恋愛を経験した。そして、葉子という女性と結婚することになった。
葉子は、取引相手の娘であった。強い信頼関係から紹介された女性であった。葉子は、お嬢様育ちで美しく気立ての良い女性であった。清太郎は、出会ったときからすぐさま気に入ってしまった。葉子も、同様であった。仕事上の都合と二人の恋愛感情がうまく符合し、結婚は成立した。
結婚から数年後、夫婦の間に女の子が生まれ由美子と名付けられた。由美子は愛らしく、清太郎にとっては自分の妻と会社同様にかけがいのないものとなった。
しかし、由美子が生まれて数カ月程経ったある日、明智家に悲劇が襲った。葉子が外出中、交通事故にあい死亡したのである。
清太郎は気が狂わんばかりであった。せっかく愛する娘を授かったという時に愛する妻を失うことになり、堪え難いショックを受けた。
赤ん坊だった由美子は、母親の死を知るには、あまりにも小さ過ぎた。
由美子は、母親似の美しい容貌に清太郎によく似た強情で負けん気の強い性格を兼ね備えた子であった。自分に母親がいないことを気にすることなく明るく活発な少女へと成長していった。
そんな由美子の姿を見ながら、清太郎は妻の死による悲しみから立ち直り、唯一の肉親である娘のためにと、さらなる事業拡大に力を注いだ。
由実子には、何不自由のない生活を送らせた。高等な教育も受けさせた。自由奔放にやりたいことをやらせた。娘の幸せを願い、いずれは会社を引き継がせるつもりで頑張り通した。
だが、それが、もうままならない。あと半年の命、娘は、二十四歳、ちょうど、留学先のハワイの大学を卒業したばかりだ。まだ、会社を引き継がせるにはおぼつかない。
娘が会社を引き継ぎ、その次の後継者となる孫を生むまで、死んでも死にきれないのだ。
どうしてくれよう。これじゃあ、今までの苦労はなんだったのだ!
ここにきて自分の書いた人生のシナリオを閉じなければならないとは。なんという無念だ。
社長専用のロールスロイスで野村総合病院から新宿ビジネス街の明智物産ビルに着くと、さっそく秘書に連れられ、ロビーを通り抜け社長室へ向かった。社長と秘書が歩く姿を見るなり、通りがかった社員たちは条件反射的に頭を下げる。清太郎と秘書は、最上階の社長室へ直通で行く専用のエレベーターに乗りこんだ。
エレベーターには、革張りの長椅子が備え付けてあった。最上階の五十階まで約一分の間、清太郎は椅子に座り考えにふけった。エレベーターのガラス張りの大きな窓から、眼下に広がる大都会東京の壮大な景色が眺められる。経済大国日本の繁栄を、そのまま象徴するかのような景色だ。
社長室に着いた。
エレベーターを降り、しばらく歩くと、またもや革張りのどっしりとした椅子に腰を下ろした。目の前には、とてつもなく大きく台の広い机が置かれている。さっそく、いつものように、机に置かれた書類を開き文面に目を通した。
コン、コン、と誰かがドアをノックする音が聞こえた。
「社長、石田でございます」
石田だ。
「入り給え、英明くん」
清太郎は言った。
「失礼いたします」
石田英明が、ドアを静かに開け、中に入ってきた。普段は社員が社長室に出入りするには秘書を通さなければならないのだが、この男、石田英明に関しては別であった。
英明は、清太郎から特別の信頼を受けている。三十歳の若さで清太郎により副社長に任命された程だ。
慶応大学経済学部を卒業。その後、アメリカへ渡りハーバード大学大学院で経営学修士号(MBA)を習得し、アメリカの商社に入社。そこでトップセールスマンとして活躍していた時に明智物産より引き抜かれた。入社後は期待通り驚異的な実績を上げ、出世街道まっしぐらだった。
ビジネスのやり方が、強引だと文句も聞かれるが、彼の会社への貢献度は抜群のもので取締役員の中では最年少の三十歳の若さで副社長に就任できたのも、その彼の実績による結果だった。
今や年功序列、終身雇用という言葉は死語である。明智の求める人材というのは、利益を上げ、会社の株価を上げ、実績を数字で表わせる者共だ。年齢や勤続年数など関係ない。それが明智物産の方針だった。
英明とは、まさにそういう男だった。