雨のバラード
彩子はその話を聞いてうん、うん頷いていた。
「どうしたんだ?」克己は彩子に聞いた。
「私もそう思う。みんなに好かれなくてもいい。一人だけ私を愛してくれたらいい・・」
「俺がいるじゃないか・・」
「それって軽く聞こえるんですけど・・・やっぱり遊び人ね」
彩子は水割りのグラスを飲み干すとお代わりをした。克己はチクリと刺す彩子の悪口にしょうがなくママのほうを見て肩をすくめた。
長く付き合ってないからまだいろんな性格は見えない。しかし、不倫というやつは相手を疑いながらどこかで信じ、危うい関係の中で愛を確認するスリルのある付き合い方だ。
寂しい心と心が寄り合い、惹かれあい『恋』という飾られた言葉で結びつきあう。しかし出会いの最初は誰だって不安定なものだ。嘘かもしれないという不安と疑いの上に、優しい言葉や思いやりがある風なしぐさを見せられると、上手に恋の道に落ちてしまう。そして夢を見てしまう。
どうなるか結末を考えないのが恋の始まりであり不倫の始まりでもあるのだ。人が人を好きになるときシナリオはない。若い時の恋愛と大人になっての恋愛に大差はない。ただどちらかが結婚をしてたかどうかで不倫と呼ばれる。
「あら、あら、こちらの彩子さんはまだ好きな人をお探し中なのね」ママが言った。
「ママはその昔の人だけで充分なんですか?」彩子が聞いた。
「う~~ん、本当はどうかな。いない彼氏より手元の男もいいかな・・愛はないけど」
「そばに誰かいるみたいだな~」克己が言った。
「昔の男を胸に抱いて、優しい男に抱かれるのも悪くないじゃない。女は怖いのよ」
「それわかるぅ~」彩子は今までカウンターに頬杖をついていたのを解くと、背筋を伸ばし起き上がりニッコリ笑った。そして、
「女は寂しさに弱いのよ」と言った。
彩子が言った言葉の後に続いた1拍の静けさが、このビルから立ち去った女達の悲しみを含んでいた気がした。時計の針が音を立てて回る。過去から未来へと引き継ぐように。
「なんだか嫌なもの聞いちまったな。男は寂しさを食い物にするって思われがちだけど、女の方がしたたかみたいだ・・・彩子・・・俺って、物足りない?」
「ううん、そんなことないよ。楽しい・・・」
「楽しいだけかよ・・・」
「今んところはね・・・」
「なんだか遊ばれてるようだな」
「遊んでるんだもん」彩子はそう言うと、克己の首に手を回して抱きついてきた。
「だ~~い好き~~」彩子はギューッと力をこめて克己を抱きしめた。
克己の鼻にしばらく嗅いでなかった、甘い香水の香りがした。
「おい、おい、この酔っ払い。俺の心は引っ掻き回されてばかりだ・・しょうがない・・」
「あ~ら、いいわね不倫のお二人さん。私もハグしちゃおうかしら・・」
そう言うと彩子ママはカウンター越しに身を乗り出して、克己と彩子が抱き合ってる上から覆い被さるように腕を回してきた。
克己は二人の彩子に抱きしめられ、女達の愛と寂しさを受け止めた。バブルの頃の男達の気持ちが分る気がした。一瞬だけ。
半分泣きそうな彩子を連れて帰ろうとビルを出ると、お店の女だらけの名前の看板のひとつが電球の寿命なのか知らないが一軒だけチラチラしていた。
(完)