雨のバラード
｢かっちゃん、もういいよ。安物だし・・いいってば｣
克己は雨にぬれた夜の歩道、彩子の落としたピアスを探していた。６月の梅雨前線は活発になり昨日からどしゃ降りが続いていた。金曜日の午前０時の繁華街のど真ん中、道行く酔客が地面に顔を近づけて探す男を笑いながら通り抜けてゆく。それでも止めなかった。
「もう、いいってば・・・濡れるよ」
彩子は克己の丸まった背中の上に傘を差し出し、雨に濡れないように気を使った。
「あった、あった、このやろー。手間かけさせやがって」
克己は濡れたピアスをポロシャツで拭うと立ち上がり、彩子の目の前に持ってきた。キラキラと光るゴールドの小さなピアスは夜のネオンに反射して赤色に見えた。
「そこの水溜りの中にあった。雨はうっとおしいな」
四角い石を敷き詰められた歩道は、あちこちに小さな水溜りを作っていた。夜の暗さとネオンで光る雨の反射で石畳の歩道は見えにくかった。まるで地面にも照明が仕掛けられてる様に雨の街は上下に光が溢れていた。
｢ありがとう。だいぶ濡れちゃったね｣
彩子は克己の背中をハンカチで拭ってやった。
「いいよ、いいよ。濡れたって平気だ。それよりもう一軒行きたいな」
｢いいわよ。時間は充分あるし｣
「バーに行こうか。カクテルが飲みたい」
「ホテルのバー？」
｢いや、どこか隠れ家のようなバーがいいな｣
｢そんなの知らないわ。かっちゃんの方が得意でしょ｣
「いつものバーじゃなくて、知らない所がいいんだ。どこか気に入った名前で探してくれ」
克己は彩子が持っていた傘を取り上げると、彩子が濡れないように傘を傾け濡れた歩道を歩き出した。
裏道に１本入ると静かな、昔ながらの飲み屋が続いていた。景気がいいころの名残りのような、照明があちこち消えている看板が目立つビルが並んでいた。
彩子が立ち止まった８階建てのそのビルには半分の明かりしか点灯していなかった。
彩子はなんだか興味が湧いたらしく、そのビルの前で店を探し始めた。
「ねぇ ここのビルって、すべて女性の名前なのね」
そう言えばそうだ。点灯してる店、消えている店があるが、キャサリンやジェーンという外人の名前の店もあれば、演歌のような名前や、今時のギャルのような名前もある。よくよく見たらすべて女性の名前だった。きっとママの源氏名が店の名前だったのだろう。
｢まるで、女の館だな｣
｢面白そうじゃない、どっか行ってみようか｣
｢バーで飲みたいって言ったんだけど・・・まぁ、いいか｣
「そこに『バー よう子』ってあるわよ。あそこだったらいいんじゃない」
「よう子はだめだ。昔、振られた女だから。縁起が悪い」克己が笑いながら言った。
「あらっ、私とおんなじ名前があるわ。ほら８階・・・」
彩子が指差す看板には確かに彩る子と書いて『彩子』とあった。
「ねえ、行ってみようよ。どんな人かしら私に似てるのかな」
「たぶん本名じゃないよ。それにラウンジだぜ、なんだかどうせ禿げた親父が集まる店だろう」
「いいじゃない。何か面白いことがあるかもよ」
彩子は克己の手を取り、人気のないエレベーターに向かった。６人も入れば定員オーバーになりそうな狭いエレベーターだった。行く先階数の数字の横にはいくつもの店の案内表示があるのだが、どれも女性の名前だった。きっと景気がいい頃どこかの金持ちが彼女に店を持たせたのだろう。今となってはその二人の関係も泡のように消えてるだろうということは簡単に想像出来た。
レンジのようなチンと音がするとエレベーターは８階に止まった。誰もいないエレベーターホールからは４件の店があった。そのうち２件は営業してなかった。しんと静まり返ったビル内は夜の繁華街らしくなかった。