小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

京都から想いを込めて、あなたへ~私の古都めぐり~

INDEX|1ページ/6ページ|

次のページ
 
☆ 京都名所案内~地主神社~

こんにちは。

 今日は少し前に考えていたお題です。

 私は今を去ること20有余年前に京都の女子大を卒業しました。

 ひとりっ子の私は家業を継ぐことを必然的に運命づけられていましたから、

 その四年間だけが唯一、故郷を離れて暮らした期間となりました。

 京都の名所といえは゛、色々ありますが、代表的なのはやはり、神社仏閣でしょう。

 今回、ご紹介するのは地主神社-じしゅじんじゃ-です。

 ここは主に恋愛成就の神様として、あまりにも有名です。

 渡しは四年間、大学寮にいました。

 1年のときに寮生活をする人は多いのですが、2年、3年となるにつれて、数が減ります。

 4年でいるのは珍しい―変人扱いされかねません。

 しかし、私は卒業するまで寮にいました。

 皆が寮を出ていくのは窮屈だから。当時、別の大学に行く人に寮生活につて話したら、

 えぇっ、うっそー と思い切り驚かれてしまいました。
 
 というのも、平日は夜七時から九時までは自習時間、七時には各階の班長が各部屋を

 まわり、全員が並んで点呼を受けます。

 入浴は九時半まで、寮のお風呂が使えます。

 九時四〇分からは特別掃除―私たちは特掃と呼んでいたーがあり、当番は各階、

 それぞれの洗面所を掃除します。

 それ以降、洗面所の使用は全面禁止。もし、歯磨きなどしたいときには、

 水洗トイレの上から流れてくる手洗い用の水を使います。

 私も何度もこれをやりました。

 十時、消灯。寮監先生が各部屋をまわり、寮生は一列に並んで正座、

 おやすみなさいませ、と声を張り上げご挨拶。これで1日が終わりです。

 この後は全部屋、電気が消えます。

 明かりはつきません。元の電源を切るからです。

 朝は6時半起床、各階、各部屋の掃除後、最上階のお仏間に全員集合。

 礼拝があります。その後、寮監先生の訓話。終わり次第、解散して、

 各部屋でパンとミルクの朝食。後は各自、講義のある人は大学へ。

 昼と夕方は寮食堂で食べます。

 夜の外出は基本的に禁止。ですが、女子大生に夜の外出をするなと言う方が無理です。

 なので、七時以降に外出する人は特別外出簿というもの―特外ーに名前、行く先、

 何のための外出か、寮を出た時間、更に帰宅予定時間を書き込み外出します。

 そして、かえった時点で時刻を書き込みます。これらの手続きを経て、初めて

 外出が認められます。

 まあ、この他にも色々と煩雑な決めごとがありました。これだけ書いただけでも、

 これから進学を考えられている若い方は、絶対にこんなとこは行かないと思われても

 不思議はないと思います。

 まあ、これが四年まで寮にいる人の少ない原因です。

 しかし、私はあまり気になりませんでした。だいたい、私が四年生のときは二人でしたが、

 ここまでくるともう別格、一人部屋になります。

 そうそう、一、二年は四人部屋です。つまり、プライバシーなんて、あったものではありません。

 私が辛いと感じたのは、実はこれでした。きょうだいもいなかったので、常に誰か他人と

 同じ部屋にいるなんて、それこそ拷問でした。

 それがいやでしたけれど、そこを耐えて三年までいれば二人部屋、更に四年では

 個室です。三食もついてるし、安全だしということで、寮を出る気は実はまったくありませんでし

 た。

 自分が子供を持ってみると、やはり、女の子ならなおのこと寮に入れたい。

 何より安全ですから、安心していられます。

 というわけで、名所案内が寮生活案内に化けてしまいました。

 地主神社でしたね―一瞬、何の話か判らなくなりそうになりました。

 ここは知る人ぞ知る恋に御利益のある神社。

 ここに名前は忘れましたが、恋の願掛け石のようものがあります。

 お社の前にふたつの石が何メートルかの間隔をあけて配置されています。

 この二つの石から石までを目をつむって無事に歩くことができたら、恋が叶うと

 いわれています。

 寮では一年生が入ると、各部屋の先輩―四人部屋なら二年生ひとり、一年生が三人ー

 が最初に一度、どこかに遊びにつれていきます。伝統行事です。

 私は二年になったとき、地主神社に行きました。

 寮からも近いのです。

 そのときに、この恋の願掛け石を試してみたかどうかまでは憶えていないのですが、

 最も記憶に残っているのは、後輩たちが私を真っ先にお参りさせてくれたこどでした。

 先輩はたった一年でも歳が大きいから、いちばんにお嫁に

 いかないといけないから、1番目にお参りしてください

 と言われたのです。

 確かに御利益はありました。

 大学卒業と同時に結婚した私は確かいちばんに結婚しましたが、

 その分、別れるのも早かった。{落ち込み}

 なので、御利益があったはあったけれど、。。。という感じですね。

 思えば、京都で過ごした四年間は、私にとって非常に思い出深い貴重なものです。

 現在まで岡山を離れたのは本当にそれが最初で最後になりました。

 おそらく岡山で生まれ、岡山で生涯を送ることになるでしょうし、

 骨の髄からの岡山県人の私です。

 この四年間で教えていただいた恩師が私の文芸上の生涯の師となりました。

日曜には一人であちこち、めぐりました。

 京都のガイドブックを手に、片っ端からモデルコースを踏破したんです。

 お寺、神社もたくさん行きました。

 京都は市バスがたくさん走っているので、バスや京阪電車を乗りつげば、

 どこの観光名所でも行けます。

 宿泊費も旅費も要らない、安上がりの旅でした。

 卒業時には、そのずっと使ったガイドブックはぼろぼろになりました。

 そして、どのコースにも○がしてあり、全部―鞍馬だけはいけませんでした、

 バスの便がここはあまりよくないのです、行ったは良いけど、帰れないという感じー

 踏破したと思います。

 今から思えば、少しばかり無謀な、しかし若いときのあの頃だからこそ、できた冒険でした。

 こんなことを言うと、それこそオバさん丸出しですけれど、自分の若い頃を振り返っても、若

 今、青春時代のただ中にいる方々にも、若いときには若いときにしかできない体験を

 どんどんして頂きたいものだと思います。

 それは、きっと一定の年齢を経てからの想い出の宝物となることでしょう。

 今、私は心からそう思います。

 さて、というわけで、また機会があれば、京都であちこち巡ったお寺の話なども

 これからは織り交ぜてみたいと思います。

 ただ、私の体験と知識は、あくまでも他県の人間から見たもの、感じたことなので、

 京都地元で生活されている方か゜日頃、感じられているものとは違う、

 旅行者の視点であるものなので、それはご理解くださいね!


 
 ☆ 京都名所案内~東山・女坂周辺~

 
こんにちは。

 今日は再び、京都名所案内です。

 とはいっても、今日のは名所というよりは想い出案内になりそうな気がなきにしもあらず。。。