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紅茶月夜

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 わたしはぴったりくっついて、彼のぬくもりを感じてる。
 黄昏の茜色がふたりっきりの部屋を綺麗な色に染めてる。なにもかもが鮮やかで。そしてどんどん深くなる藍色とのグラデーション。うっとりするほどロマンティックで。
 わたしも彼も、なんにも言わない。ただ横に座って、ぴったりくっついて。ホント、ただそれだけなのに胸が苦しい。なにもかも投げ捨てたっていいって思うくらい、幸せ。

 ああ――なんて幸せ。

「理音」
 彼が、敦志がわたしの名前を呼ぶ。呼び捨てで。なんでもない、ただそれだけなのに自然に笑顔がこぼれて。他にもたくさんわたしの名前を呼ぶ人なんているのにね。なのに、どうしてこんなに嬉しいのか、自分でもわかんない。もしかして、これって……『お医者様でも草津の湯でも治らない』病気なのかな? それも重症の。それくらい、わたしは敦志が好きでたまらない。

 そのたびに思ってしまう――このまま時間がとまっちゃえばいいのに。

 ねぇ、そう感じてるのはわたしだけ? 敦志はそうじゃないの? ただ、瞳だけでわたしは訴えた。
 そしたら、いつものように彼はわたしの頭をくしゃり、なでる。優しく、慈しむように。なんだかわたしは猫や犬にでもなったみたいにその手の熱に夢中になって。もっと、とまた瞳だけで訴えてしまうんだ。
 始まりは春。ふとした偶然で、わたしと敦志は知り合った。運命って恐いもの、単なる偶然からこんなことになるなんて。最初はメール。そして電話で長く話すようになって。そして友達何人かで遊びに行ったりして。何度も繰り返すうちに、なにかが変わっていったの。
 声を聞くだけで嬉しくって。胸がきゅ、ってなって。側にいるだけで楽しくって。胸がきゅ、って切なくなって。おかしいな? って思ってたけど……まさかこれが恋の始まりだったなんて。自分でも信じられない。今まで恋をしたことがないわけじゃない、なのにこんな風に思うのなんて初めて。
 触れたい、一緒にいたい、そんな気持ちが日増しに強くなって。もっと声が聞きたい。もっと側にいたい。もっと敦志のことが知りたい――それが抑えきれなくなった時、わたしは、精一杯の勇気を言ったの。
 ――好きです。
 たまたまふたりっきりになった時に。そう、あれはカラオケの帰り道だったっけ。みんなでいっぱい騒いで、楽しんで。たまたまわたしと敦志の降りる駅が一緒で。そう、大きな満月の夜、わたしは告白したの。
 暗いから送ってくよ。そう言って彼がいつものように微笑んで、やっぱりわたしの頭をくしゃり、なでたあの日。
 わたしが思い切って想いを伝えた時。その時の敦志の顔、全然覚えてないけれど。びっくりしてたのかな。わたしはどんな顔してたのかな。ちょっと不安。だって、あんまりにも気持ちが大きすぎてわたし、泣いちゃったの! 涙なんてめったに流さないのに。なのに、あの時は気持ちと一緒に涙がいっぱい溢れてきて。その時も敦志は今みたいに優しく、頭をなでてくれたっけ……。
 それから、ふたりしていっぱい色んなところに行ったね。お決まりのデートコース。今まで行ったことのない場所。どんなところでも一緒なら楽しい。初めてキスした、日曜日。浴衣を着て行った、花火大会。想い出は限りなくって……今がなにより大切で、終わりなんて想像できないわ。
「ねぇ、ずっと一緒にいてくれる?」
「そんなこと、聞かなくてもいいだろ?」
 静かな時。ゆっくり空が夜に向けて駆け足をはじめてる。ちらほら星が瞬いて、ビーズみたいに茜と藍のグラデーションを彩ってる。なんでもない、いつもと同じなはずなのに彼と一緒にいるだけですべてが特別。
 寄り添って、ぴったりくっついて。そっと抱きしめられたわたしはこつん、おでこをすりよせた。なんだか……心があったかい。こんな風にできるのが嬉しくて苦しくて――。
 いつもいつもこんなかんじだったわけじゃないの。ケンカだってしたわ。一度なんて、思い切り平手打ちしたことだってあったんだから! でもわたしが本気で怒ったことって、その時だけ。なにもかも許せてしまうのって、よくないってわかってるんだけどホント一緒にいられるだけで幸せなの。
「わたし、あなたのこと好きになってよかった」
 面と向かって言うのが恥ずかしくって、耳元に顔を寄せてささやいた。ただそれだけなのに体が熱くなる。どうしようもないくらい。
 敦志はなにも言わない。ただ、微笑みながらまたわたしの頭をくしゃり、なでた。でもわかるわ、あなたがなにを言いたいのか……。そういうこと、あえてなにも言わないものね、あなたは。それでもいいの。わたしと一緒にいてくれる――それがなによりの答え。
 空は黄昏を追い越して、夜をまとっていった。星のきらめき。冴えた三日月の輝く、晴れた夜空。
 コーヒー入れようか、そうわたしは言って立ち上がった。ちょっと離れるだけ、彼のためのコーヒーとわたしのための紅茶、ただ用意するだけなのに。なぜだかそれだけでも離れるのがつらいくらい。
 このままずっと一緒にいたい。まだ付き合って日は浅いけれど、季節を一緒に感じて行きたいわ……それがなによりの願い。春には桜を見に行って――そして告白した日があるの。夏は海に行こうか。秋は紅葉狩り。冬はそう、クリスマスの夜、一緒に過ごしたい。
 悲しい時もあるでしょう。つらい時もあるでしょう。でもわたしはすべて覚えていたい。なぜならみんなみんな想い出になって、ふたりの記憶に残るから。
「……好きだよ」

 敦志がぽつり、言った。
 ああ――なんて幸せ。

 コーヒーと紅茶を用意するわたしの背に投げかけられた言葉。聞きなれた、穏やかで優しい声。敦志はお酒みたいね、たったひと言でわたしのことを酔わせるの。
 猫舌の敦志のためにいい具合まで冷めて、柔らかな温かみを持ったマグカップを彼に手渡して、わたしは逆にまだ熱いままの紅茶を口に運んだ。砂糖もミルクもいらない。もっと甘い感情がわたしを満たしているのだから。体が暖かくなって、冷たくなってた指先そのすみずみまで満たしていく。それは紅茶の温度? それとも?
「ねぇ。わたしも、わたしも……」

 言葉にならない。
 好きだよ、そのひと言を言うのが苦しい。体が熱くて、胸が苦しくて。

「なに?」
 いつもの穏やかな微笑みを引っ込めて、ちょっとだけ意地悪ないたずらっこみたいなまなざしで敦志が微笑む。わたしの反応を楽しんでるのがわかる。いつものやり取り。わたしが口ごもったりすると、必ずこうやって彼はわたしの出方を待つの。照れて照れて、そしてやっとその言葉を言ったわたしを抱き寄せて、やっぱりその後はくしゃり、頭をなでてくれる。わたしはそれを知っている。それを楽しみにしている。なんだか本当に敦志の猫か犬にでもなってしまったみたい。だけど、恋人。あの人が他に頭を撫でるのは、年下の妹さんのことだけって知っている。そしてわたしにするそれと妹さんにするそれとの意味が違うってことも。
 カタン、テーブルにわたしはマグカップを置いた。ソファに座ってる彼の横に座る。さっきみたいにぴったりくっついて、また耳元でささやく。そっと、敦志を想う気持ちを。
「なに? 聞こえないよ。ちゃんと言って」
作品名:紅茶月夜 作家名:椎名 葵