日々平穏
『運動会』
千尋はタクシーの中で苛立っていた。予定された時間はあと少しなのだ。頼んであったタクシーは予想よりも遅く、道路は混雑してないものの何かの陰謀のように信号に引っかかる始末。その間勿論時間を無駄にはしない。タクシーの中でも焦る気持ちを宥めながら伴侶である和樹へと電話する。
「午後のプログラムの一番が飛鳥ですよね?13時から踊る・・・いわばお遊戯的プログラムでしたよね?」
それも仕方がないことかもしれない。なぜなら今日は小学3年である一人娘・飛鳥の運動会なのだから。父親である和樹には行くように指示はしてあったが、所詮は父親・・・どこか頼りないのは否めない。かといって日曜という国民の半分は休みであろう曜日に仕事な千尋が運動会へと駆けつけることができる可能性も僅かだった。しかしどうにか1時間だけ都合をつけてその間に行って帰ってくるならば・・・と、許しを職場からもらってタクシーに乗り込んだわけなのだが残された時間は僅か。一刻の猶予もない。できることならば娘の位置と和樹の位置ぐらいは把握しておきたいと考えたのだが。
「そういえば飛鳥さん、何組でしたっけ?」
「俺は知らない」
「ジーザス!困りました」
プログラムは和樹と飛鳥しか所持していない。いや、プログラムがあったところで何の意味も持たない。そして和樹は飛鳥の友達にとても疎いのでますます頼りにならないのは明白だった。もしも学校のグランドに千尋がいたならば適当に同じクラスの友達を捕まえて聞くことができるだろうが、和樹ではそれは絶対に無理だ。断言できた。
「とりあえず3年の椅子のあたりをウロウロしてみてください。私ももうすぐ駆けつけます。今タクシーの中ですから」
「そもそも3年がわかない」
「ジーザス!」
本日二度目のジーザスという叫び声がタクシーの中で静かに響き渡った。なんていうことだ、せっかく運動会に若干引きこもりな和樹を行かせることに成功したというのにまったく意味をなしていない。これでは娘の踊ったであろうダンスを全体的に眺めただけで終わることは確実だ。
千尋はさらに焦りながらタクシーを飛び降りた。こうなれば自分が席を探して、あわよくば同級生を捕まえて問いただすしかない。そうだ、そうしようと意気込むが午後の競技の最初というだけあって会場ではすでに3年の席はカラッポだった。そもそも和樹は3年の席さえわからないらしい。まったくもって話にならない。所詮父親はっと悪態をつきたい心境をぐっと堪えながら千尋は再度和樹へと電話する。携帯会社のサービスは家族間無料、こんな時利用しない手はなかった。
「とりあえず私、3年の席の後ろに来ましたけど白ですね・・・。紅組の席に行ったほうがいいのでしょうか」
「赤の席と白の席さえわからない・・・」
「とりあえずどちらにおられますか?」
すると「南」という簡潔な答えだ。しかしわかってもらいたい。炎天下の中のグランドですぐに東西南北がわかるほど千尋という人間のできがよくないことを。
「質問を改めます。近くに何がありますか?」
「遊具」
「了解です」
その間も整列を始めた子供の顔をチェックするのは忘れない。幸いなことに飛鳥は残念な体系だった。つまり太りすぎていた。そのため目立つことだけは確かだ。探すことはそう難しいことではない。まだ会場では競技前ということもありアナウンスも音楽も流れていなかったので和樹との会話はクリアなものだった。
「とりあえずこちらも飛鳥さんを探してみます」
「お、もう入場するみたいだ!」
「なんですと!」
見ればチビっ子が走ってグランドに出てきているではないか。とりあえず踊り始める前に飛鳥を見つけたい一心で千尋は飛鳥の特徴を脳裏に思い浮かべた。大きいが髪は短い。
「みんな同じ格好でわかりにくいですね」
「どこか聞いてないか?」
「聞いていたらこんな苦労はしません。同じ格好です。・・・違うのは靴・・・!!」
刹那何かが駆け抜けた。千尋は自分の言葉を発した瞬間娘に買った靴を思い出す。早く走れることを売りにした靴を購入した時、飛鳥は幅広のため男の子用しか横幅がフィットしなかったことを。そしてその色はとても目立つ黄色だったことを。
「そうでした!靴ですよ、パパさん!靴です、黄色です!」
叫んだときだ、走ってくる団体の中で一際目立つ黄色の靴、そして立派すぎる父親似の体系の子を見つけたのは。
「見つけました!見つけました!」
「どこだ?」
「黄色です。黄色の靴の子を探してください。あ、私飛鳥に来ているアピールをするので切りますね。じゃ!」
そして携帯を片手で閉じて走り出す。ああ見えて飛鳥は寂しがり屋で甘えん坊だ。今日は母親がこないことをとても残念に思っていたのを誰よりも知っていた。毎年音楽会や運動会のたびに行けないと行って行けた時、必ず飛鳥は満面の笑みで喜んでくれたのを思い出す。だから千尋は走った。飛鳥の前で思い切り手を振ろうと、そしたらきっと気付いてくれるはずだと信じて。
「飛鳥さん!」
声にならない声を出して控え目ではあったが飛鳥に向かって手を振る。
「こっちです!」
子供たちはすでに入場を終え、踊り始める直前だった。もうダメかと思った時だ。飛鳥がふと千尋を見つけた。その瞬間笑顔が広がったのが離れていてもわかるぐらいニヤニヤしている。飛鳥は子供のくせに「グヘグヘ」と子供らしからぬ笑い方をよくするのだが、その笑い声が聞こえた気がした。
後で飛鳥はこう語る。
「入場する時、お母さんの香水の匂いがした気がした。お母さん来てないのにって思ったら来てくれていたから嬉しい」
なんてシンクロ率だろうか。それを聞いただけで胸が熱くなったのだがさておき。
千尋の前では飛鳥は巨体すぎる巨体を震わせて踊る。ワンテンポツーテンポずれていても愛嬌だけはある。それに愛しい娘が母親に見てもらいたい一心なのは伝わってきた。素晴らしき親子愛だった。
そして某アイドルの曲に合わせた踊りは終わりとなり、子供たちは退場していく。もっと見ていたいという思いと、あまりの愛らしさに頬が緩んでいた千尋だったが和樹の姿が一向に見えないことを思い出す。
「もしもし、パパさん?一体どこで見てたんですか?」
自分が一番飛鳥が見えるポジションだったと自負しているだけに声は苛立っていた。せっかく娘の運動会だというのに何をしているのか、きっちりと説明だけはしてもらいたい。すると和樹は静かに言った。
「誰かさんが見つけたわりにどこにいるか説明せずに電話切るからわかるものか」
「あ・・・・」
本日三度目のジーザスという声がグランドに溶けていった。
千尋はタクシーの中で苛立っていた。予定された時間はあと少しなのだ。頼んであったタクシーは予想よりも遅く、道路は混雑してないものの何かの陰謀のように信号に引っかかる始末。その間勿論時間を無駄にはしない。タクシーの中でも焦る気持ちを宥めながら伴侶である和樹へと電話する。
「午後のプログラムの一番が飛鳥ですよね?13時から踊る・・・いわばお遊戯的プログラムでしたよね?」
それも仕方がないことかもしれない。なぜなら今日は小学3年である一人娘・飛鳥の運動会なのだから。父親である和樹には行くように指示はしてあったが、所詮は父親・・・どこか頼りないのは否めない。かといって日曜という国民の半分は休みであろう曜日に仕事な千尋が運動会へと駆けつけることができる可能性も僅かだった。しかしどうにか1時間だけ都合をつけてその間に行って帰ってくるならば・・・と、許しを職場からもらってタクシーに乗り込んだわけなのだが残された時間は僅か。一刻の猶予もない。できることならば娘の位置と和樹の位置ぐらいは把握しておきたいと考えたのだが。
「そういえば飛鳥さん、何組でしたっけ?」
「俺は知らない」
「ジーザス!困りました」
プログラムは和樹と飛鳥しか所持していない。いや、プログラムがあったところで何の意味も持たない。そして和樹は飛鳥の友達にとても疎いのでますます頼りにならないのは明白だった。もしも学校のグランドに千尋がいたならば適当に同じクラスの友達を捕まえて聞くことができるだろうが、和樹ではそれは絶対に無理だ。断言できた。
「とりあえず3年の椅子のあたりをウロウロしてみてください。私ももうすぐ駆けつけます。今タクシーの中ですから」
「そもそも3年がわかない」
「ジーザス!」
本日二度目のジーザスという叫び声がタクシーの中で静かに響き渡った。なんていうことだ、せっかく運動会に若干引きこもりな和樹を行かせることに成功したというのにまったく意味をなしていない。これでは娘の踊ったであろうダンスを全体的に眺めただけで終わることは確実だ。
千尋はさらに焦りながらタクシーを飛び降りた。こうなれば自分が席を探して、あわよくば同級生を捕まえて問いただすしかない。そうだ、そうしようと意気込むが午後の競技の最初というだけあって会場ではすでに3年の席はカラッポだった。そもそも和樹は3年の席さえわからないらしい。まったくもって話にならない。所詮父親はっと悪態をつきたい心境をぐっと堪えながら千尋は再度和樹へと電話する。携帯会社のサービスは家族間無料、こんな時利用しない手はなかった。
「とりあえず私、3年の席の後ろに来ましたけど白ですね・・・。紅組の席に行ったほうがいいのでしょうか」
「赤の席と白の席さえわからない・・・」
「とりあえずどちらにおられますか?」
すると「南」という簡潔な答えだ。しかしわかってもらいたい。炎天下の中のグランドですぐに東西南北がわかるほど千尋という人間のできがよくないことを。
「質問を改めます。近くに何がありますか?」
「遊具」
「了解です」
その間も整列を始めた子供の顔をチェックするのは忘れない。幸いなことに飛鳥は残念な体系だった。つまり太りすぎていた。そのため目立つことだけは確かだ。探すことはそう難しいことではない。まだ会場では競技前ということもありアナウンスも音楽も流れていなかったので和樹との会話はクリアなものだった。
「とりあえずこちらも飛鳥さんを探してみます」
「お、もう入場するみたいだ!」
「なんですと!」
見ればチビっ子が走ってグランドに出てきているではないか。とりあえず踊り始める前に飛鳥を見つけたい一心で千尋は飛鳥の特徴を脳裏に思い浮かべた。大きいが髪は短い。
「みんな同じ格好でわかりにくいですね」
「どこか聞いてないか?」
「聞いていたらこんな苦労はしません。同じ格好です。・・・違うのは靴・・・!!」
刹那何かが駆け抜けた。千尋は自分の言葉を発した瞬間娘に買った靴を思い出す。早く走れることを売りにした靴を購入した時、飛鳥は幅広のため男の子用しか横幅がフィットしなかったことを。そしてその色はとても目立つ黄色だったことを。
「そうでした!靴ですよ、パパさん!靴です、黄色です!」
叫んだときだ、走ってくる団体の中で一際目立つ黄色の靴、そして立派すぎる父親似の体系の子を見つけたのは。
「見つけました!見つけました!」
「どこだ?」
「黄色です。黄色の靴の子を探してください。あ、私飛鳥に来ているアピールをするので切りますね。じゃ!」
そして携帯を片手で閉じて走り出す。ああ見えて飛鳥は寂しがり屋で甘えん坊だ。今日は母親がこないことをとても残念に思っていたのを誰よりも知っていた。毎年音楽会や運動会のたびに行けないと行って行けた時、必ず飛鳥は満面の笑みで喜んでくれたのを思い出す。だから千尋は走った。飛鳥の前で思い切り手を振ろうと、そしたらきっと気付いてくれるはずだと信じて。
「飛鳥さん!」
声にならない声を出して控え目ではあったが飛鳥に向かって手を振る。
「こっちです!」
子供たちはすでに入場を終え、踊り始める直前だった。もうダメかと思った時だ。飛鳥がふと千尋を見つけた。その瞬間笑顔が広がったのが離れていてもわかるぐらいニヤニヤしている。飛鳥は子供のくせに「グヘグヘ」と子供らしからぬ笑い方をよくするのだが、その笑い声が聞こえた気がした。
後で飛鳥はこう語る。
「入場する時、お母さんの香水の匂いがした気がした。お母さん来てないのにって思ったら来てくれていたから嬉しい」
なんてシンクロ率だろうか。それを聞いただけで胸が熱くなったのだがさておき。
千尋の前では飛鳥は巨体すぎる巨体を震わせて踊る。ワンテンポツーテンポずれていても愛嬌だけはある。それに愛しい娘が母親に見てもらいたい一心なのは伝わってきた。素晴らしき親子愛だった。
そして某アイドルの曲に合わせた踊りは終わりとなり、子供たちは退場していく。もっと見ていたいという思いと、あまりの愛らしさに頬が緩んでいた千尋だったが和樹の姿が一向に見えないことを思い出す。
「もしもし、パパさん?一体どこで見てたんですか?」
自分が一番飛鳥が見えるポジションだったと自負しているだけに声は苛立っていた。せっかく娘の運動会だというのに何をしているのか、きっちりと説明だけはしてもらいたい。すると和樹は静かに言った。
「誰かさんが見つけたわりにどこにいるか説明せずに電話切るからわかるものか」
「あ・・・・」
本日三度目のジーザスという声がグランドに溶けていった。