やどりぎ
私は疲れた体と神経を休めに黒川温泉を訪れた。快晴の空、こぎれいな温泉街、やわらかな湯、それらはたしかに私の体と神経を予定調和の範囲においてほぐしてくれた。しかし温泉をあとに車を走らせる私の心には来るときと変わらない陰鬱なわだかまりが依然として巣くっていた。それは明日からまた仕事だとか、まだ遊び足りないだとか、そういった具体的な原因に根ざしたものではなく、程度の違いこそあれ、私の人生には常につきまとってきたものだ。
(離れることができないなら、うまく付き合っていくしかない。)
それがこれまで生きてきた二十数年間で私の出した答えだった。もちろん、まったく満足できる答えではない。だがそれ以上の方策がありそうにもない。
帰り道、美しい久住の山中を少しドライブして回ることにした。途中「雀地獄」と記された看板を見つけて興味を覚え、そこへ寄ってみることにした。
そこはたしかに「地獄」らしかった。硫黄を含んでいるらしい湧水が小さな湖をなしている。規模としては池や沼といってもいいくらいのものだが、その水の冷ややかな美しさは湖という言葉のもつイメージが適しているように思えた。ここから発生する火山性のガスで野鳥や小さな獣が死ぬこともあるらしい。そのため「地獄」との名がついたとのことだ。那須の殺生石の親戚といったところか。湖の周りには積み上げられた小石が各所にあり、さながら賽の河原のようだ。深く澄み渡った秋空の下、この光景はあまりに荒涼としていて、人間界と隔絶しているように感じられた。
ふいに私はクスクスという含み笑いを聞いた。誰か他の観光客だろうか。しかし、たしか駐車場には私の車以外停まっていなかった。私はあたりを見回してみた。すこし肌寒さを感じる風がススキの穂を揺らしている。それ以外に動くものは見当たらない。と、また同じ笑い声が響いた。妙に遠近感のない、頭の中に直接響いてくるような声。嘲笑よりは情のこもった、しかし決して親しみを感じさせない笑い。
(こっちこっち)
私はその声の方を見た。葉の落ちきったクヌギが立ち並んでいる。その中にヤドリギの生えた一本があった。声はそこから聞こえてくるようだった。よく目を凝らしてみると、ヤドリギに隠れるようにして一羽の鳥がいた。近づいてみると、それはキジらしかった。
(おいで、いいとこにつれてったげる。)
キジはたしかにそう言った。それは驚くべきことだったかもしれない。しかし幼い頃から昔話や童話に親しんできた私には、むしろこうした出来事に遭遇できた喜びのほうが大きかった。そして、恐れよりもむしろこの出来事にとことん没入してやろうという気持ちが強く起こった。
「君はなぜ人の言葉を喋れるんだ?」
私の問いにキジはまた含み笑いをもらした。
(なぜ、なんてどうでもいいわ。わたしはふつうにないているだけ。だれにでもひとのことばできこえるわけじゃない。たまたまあんたにはそうきこえただけ。それよりついておいで。いいとこにつれてったげるから。)
私はともかくもキジについていくことにした。まさか自分にこんな事件が起きるとは思わなかった。いや、思わなかったというのは正しくないかもしれない。以前からずっと期待していたような気もする。
キジは私を導くように梢の間を飛んではとまり、ときどき思い出したように含み笑いをもらした。
しばらく進むと小川の流れに行き当たった。涼しい音とともに清冽な水がはずむように流れていく。水辺の岩は苔の静かな緑をまとい、沈思を超えて無の領域に入った僧侶を思わせた。周りには葉を落とした木々のほかにも常緑樹がそこかしこに生えており、私の前には白い鈴のような小さく可憐な花をいくつもつけた木があった。
この場所はたしかに私の気に入った。私は川べりの大岩に腰を下ろし、常になく静かで涼しい気持ちになって川の流れを見つめていた。
(ほら、きたよ。あっちをごらん。)
眼前の潅木にとまっていたキジが首を動かして私に後ろを向くよう促した。振り向いた私の前には一頭のシカがいた。
これまでシカを見たことがないわけではない。修学旅行で行った宮島や奈良公園で何匹ものシカを見たことがある。しかし山中で野生のシカに会うなどという経験はなかった。
私はそのシカの美しさに見とれた。滑らかな栗色の毛並みに包まれすらりと伸びた首。ほっそりとした、しかし野生の力強さの充実を感じさせる四肢。そして何よりも私の心を捉えたのはその瞳だった。これまで見てきたどんな人間の瞳よりも澄んだ深い黒。一点の曇りのない、ただ生きることのみを目的に生きてきたものの心を象徴するような瞳。
息をのんで見とれる私を見て、キジはいかにも満足げな笑いをもらした。
(どう、きれいなこでしょ。とりのわたしからみてもきれいだとおもうわ。)
私は小さく「あぁ」と答えた。キジはこれまでで一番長く尾を引いて笑った。そしてひと息ついてからこう言った。
(あなた、このこといっしょになるきはない?)
私はキジの方を見た。くちばしのはじが少しつりあがって笑顔を浮かべているように見えた。
「それは、つまり、付き合うとか結婚するとか、そういう意味のことかい?」
キジは初めて声をあげて笑った。今度ははっきりと嘲りの響きが感じられた。
(ええ、そういういみだわね。わるいはなしじゃないとおもうんだけど。こんないいこはそういないし、なにより、あなたはひとのよでいきるにはむかないひとでしょう?)
私には返す言葉が見当たらなかった。むしろ普通に生きていては得られない、最高の選択肢が今与えられたように感じた。人であることになんの未練があろう。この美しいシカとともに、ただ生きることだけを目的に、この自然の只中を生きられたなら。…
しかし私は人の身だ。シカとともに生きられようもない。私はやるせない気持ちで自分の手を眺めた。そして思わず声をあげた。そこには依然としていびつな五本の指が生えた私の手があった。しかし、その甲には褐色の毛がみっしりと生えている。シャツの袖をまくってみると、すでに腕も同様に褐色の毛並みをなしている。
(えらぶのはあなたよ。こうかいのないようにしなさい。)
息子に語りかける母親のような声でキジが言った。
私はほとんど心を決めていた。目の前のシカをもう一度見た。私がさまよっていたのはここへ来るためだったのだ。この瞳に出会うためだったのだ。私は静かに目を閉じた。
「こんにちは。こんな若い人に会うのは珍しいなぁ。」
私ははっと目を開けた。声をかけられた方を見ると、ハイキングをしているらしい穏やかそうな老夫婦がにこやかな笑みを浮かべている。私はあわててシカのいた方を見た。そしてキジのいた倒木の方を見た。シカもキジも、物音ひとつ立てることなく、夢のように消えていた。
私はしばし悄然と岩の上に座っていた。その横を相変わらず清らかな小川が軽快な水音を立てて流れている。白い鈴のような可憐な花が風に揺れている。私は先ほどの老夫婦に静かな怒りを覚えていた。一方で、もしあの老夫婦が通りかからなかったら、今頃自分はどうなっていたのだろうと考えた。
(離れることができないなら、うまく付き合っていくしかない。)
それがこれまで生きてきた二十数年間で私の出した答えだった。もちろん、まったく満足できる答えではない。だがそれ以上の方策がありそうにもない。
帰り道、美しい久住の山中を少しドライブして回ることにした。途中「雀地獄」と記された看板を見つけて興味を覚え、そこへ寄ってみることにした。
そこはたしかに「地獄」らしかった。硫黄を含んでいるらしい湧水が小さな湖をなしている。規模としては池や沼といってもいいくらいのものだが、その水の冷ややかな美しさは湖という言葉のもつイメージが適しているように思えた。ここから発生する火山性のガスで野鳥や小さな獣が死ぬこともあるらしい。そのため「地獄」との名がついたとのことだ。那須の殺生石の親戚といったところか。湖の周りには積み上げられた小石が各所にあり、さながら賽の河原のようだ。深く澄み渡った秋空の下、この光景はあまりに荒涼としていて、人間界と隔絶しているように感じられた。
ふいに私はクスクスという含み笑いを聞いた。誰か他の観光客だろうか。しかし、たしか駐車場には私の車以外停まっていなかった。私はあたりを見回してみた。すこし肌寒さを感じる風がススキの穂を揺らしている。それ以外に動くものは見当たらない。と、また同じ笑い声が響いた。妙に遠近感のない、頭の中に直接響いてくるような声。嘲笑よりは情のこもった、しかし決して親しみを感じさせない笑い。
(こっちこっち)
私はその声の方を見た。葉の落ちきったクヌギが立ち並んでいる。その中にヤドリギの生えた一本があった。声はそこから聞こえてくるようだった。よく目を凝らしてみると、ヤドリギに隠れるようにして一羽の鳥がいた。近づいてみると、それはキジらしかった。
(おいで、いいとこにつれてったげる。)
キジはたしかにそう言った。それは驚くべきことだったかもしれない。しかし幼い頃から昔話や童話に親しんできた私には、むしろこうした出来事に遭遇できた喜びのほうが大きかった。そして、恐れよりもむしろこの出来事にとことん没入してやろうという気持ちが強く起こった。
「君はなぜ人の言葉を喋れるんだ?」
私の問いにキジはまた含み笑いをもらした。
(なぜ、なんてどうでもいいわ。わたしはふつうにないているだけ。だれにでもひとのことばできこえるわけじゃない。たまたまあんたにはそうきこえただけ。それよりついておいで。いいとこにつれてったげるから。)
私はともかくもキジについていくことにした。まさか自分にこんな事件が起きるとは思わなかった。いや、思わなかったというのは正しくないかもしれない。以前からずっと期待していたような気もする。
キジは私を導くように梢の間を飛んではとまり、ときどき思い出したように含み笑いをもらした。
しばらく進むと小川の流れに行き当たった。涼しい音とともに清冽な水がはずむように流れていく。水辺の岩は苔の静かな緑をまとい、沈思を超えて無の領域に入った僧侶を思わせた。周りには葉を落とした木々のほかにも常緑樹がそこかしこに生えており、私の前には白い鈴のような小さく可憐な花をいくつもつけた木があった。
この場所はたしかに私の気に入った。私は川べりの大岩に腰を下ろし、常になく静かで涼しい気持ちになって川の流れを見つめていた。
(ほら、きたよ。あっちをごらん。)
眼前の潅木にとまっていたキジが首を動かして私に後ろを向くよう促した。振り向いた私の前には一頭のシカがいた。
これまでシカを見たことがないわけではない。修学旅行で行った宮島や奈良公園で何匹ものシカを見たことがある。しかし山中で野生のシカに会うなどという経験はなかった。
私はそのシカの美しさに見とれた。滑らかな栗色の毛並みに包まれすらりと伸びた首。ほっそりとした、しかし野生の力強さの充実を感じさせる四肢。そして何よりも私の心を捉えたのはその瞳だった。これまで見てきたどんな人間の瞳よりも澄んだ深い黒。一点の曇りのない、ただ生きることのみを目的に生きてきたものの心を象徴するような瞳。
息をのんで見とれる私を見て、キジはいかにも満足げな笑いをもらした。
(どう、きれいなこでしょ。とりのわたしからみてもきれいだとおもうわ。)
私は小さく「あぁ」と答えた。キジはこれまでで一番長く尾を引いて笑った。そしてひと息ついてからこう言った。
(あなた、このこといっしょになるきはない?)
私はキジの方を見た。くちばしのはじが少しつりあがって笑顔を浮かべているように見えた。
「それは、つまり、付き合うとか結婚するとか、そういう意味のことかい?」
キジは初めて声をあげて笑った。今度ははっきりと嘲りの響きが感じられた。
(ええ、そういういみだわね。わるいはなしじゃないとおもうんだけど。こんないいこはそういないし、なにより、あなたはひとのよでいきるにはむかないひとでしょう?)
私には返す言葉が見当たらなかった。むしろ普通に生きていては得られない、最高の選択肢が今与えられたように感じた。人であることになんの未練があろう。この美しいシカとともに、ただ生きることだけを目的に、この自然の只中を生きられたなら。…
しかし私は人の身だ。シカとともに生きられようもない。私はやるせない気持ちで自分の手を眺めた。そして思わず声をあげた。そこには依然としていびつな五本の指が生えた私の手があった。しかし、その甲には褐色の毛がみっしりと生えている。シャツの袖をまくってみると、すでに腕も同様に褐色の毛並みをなしている。
(えらぶのはあなたよ。こうかいのないようにしなさい。)
息子に語りかける母親のような声でキジが言った。
私はほとんど心を決めていた。目の前のシカをもう一度見た。私がさまよっていたのはここへ来るためだったのだ。この瞳に出会うためだったのだ。私は静かに目を閉じた。
「こんにちは。こんな若い人に会うのは珍しいなぁ。」
私ははっと目を開けた。声をかけられた方を見ると、ハイキングをしているらしい穏やかそうな老夫婦がにこやかな笑みを浮かべている。私はあわててシカのいた方を見た。そしてキジのいた倒木の方を見た。シカもキジも、物音ひとつ立てることなく、夢のように消えていた。
私はしばし悄然と岩の上に座っていた。その横を相変わらず清らかな小川が軽快な水音を立てて流れている。白い鈴のような可憐な花が風に揺れている。私は先ほどの老夫婦に静かな怒りを覚えていた。一方で、もしあの老夫婦が通りかからなかったら、今頃自分はどうなっていたのだろうと考えた。