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My Godness~俺の女神~【終章Birth誕生】

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 更に別のいかにもベテランといった銀髪の医師がどこからともなく現れ、分娩室に入る。どれもが良い兆候とは到底思えない。
 悠理は忙しそうに行ったり来たりする看護士の一人に取り縋った。
「一体、どうなってるんですか?」
 あれほど苦しげに聞こえていた実里のうめき声が聞こえないのも不吉な予感がした。
 まだ若い看護士は悠理に構う暇も勿体ないとばかりに早口で告げた。
「奥さんの血圧がかなり下がって、危険な状態です。出血量が多いので、これから輸血をします」
 悠理の眼に涙が滲んだ。
「お願いです、助けてやって下さい。二人とも助けてやってくれ」
 泣き崩れる悠理の肩を後から出てきた年配の看護士が叩いた。
「大丈夫ですよ、お父さん。奥さんも赤ちゃんも今、頑張ってますからね」
 温かみのある声はしかし、悠理の不安を少しも和らげてはくれなかった。
 再び長い時が始まった。
 分娩室はあれほど騒々しかったのが嘘のように、しんと静まり返り物音一つない。
 悠理は長椅子に座り込み、両手で頭を抱えた。
 こうしてただ一人、薄暗い病院の廊下にいると、嫌な想像ばかりしてしまう。
 このまま実里は死ぬのではないか。いや、実里だけでなく、待ちわびている我が子まで、儚くなってしまうのではないだろうか。
 もしかしたら、自分は子どもに恵まれない星の下にあるのかもしれない。
 俺の子どもを宿した女は皆、ことごとく死ぬ運命にあるのか!?
 馬鹿げた考えだとは判っていても、どうしても思考はマイナス方向にばかり行ってしまう。
 嫌だ、また、大切な人間が死ぬのなんて、耐えられない。
 神さま、どうか俺の子どもと子どもを生んでくれようとしている女を―実里を助けてくれ。
 けして信心深いどころか、全くの無信心であった自分がここまで神に真剣に祈ることがあるとは。彼は自分でも信じられなかった。
 それからですら、随分と長い時間が流れたように思えた。
 ピチュピュと気の早い雀のさえずりが聞こえ始めたかと思う頃、悠理はハッと弾かれたように顔を上げた。
 わずかな間、うとうとしていたらしい。
―実里は、実里はどうなったんだ?
 慌てて立ち上がりかけたその時、静まり返った早朝の空気を底から震わせるように、力強い産声が響き渡った。
「や、やった」
 悠理は思わず叫び、ガッツポーズをした。
 再び分娩室が騒がしくなり、ほどなくして年配の看護士が白いおくるみにくるまれた赤ん坊を抱いて出てきた。
 夜中に取り乱す悠理を励ましてくれたあの看護士だ。
「おめでとうございます。2,200グラムの可愛い女の子ですよ。少し早めに生まれたので保育器には入りますけど、元気に育ちますから、安心して」
「―」
 声が出なかった。様々な想いが一挙に渦巻いて、ぴったりの言葉が見つからない。
「ほら、新米お父さん、抱いてご覧なさい」
 赤児を渡され、悠理はおっかなびっくり危なげな手つきで抱いた。
「ああ、そんなに力を込めなくても大丈夫、赤ちゃんは見かけ以上に力強いんですから」
 悠理は言葉もなく、無心に眼を瞑る我が子を見つめた。小さな小さな手に自分の人差し指を握らせると、存外に強い力で握りしめてくる。
「本当ですね。結構、力が強いや、こいつ」
 悠理の頬をひとすじの涙が流れ落ちた。
「それで、母親の方はどうですか?」
 一瞬、看護士が首を傾げ、ああと頷いた。
「奥さんのこと?」
 この際、仕方ない。悠理は頷いた。
「はい、家内です」
「奥さんなら、大丈夫ですよ。今は疲れて眠っていますから。かなりの難産だったので、相当、体力を使っています。回復には少し時を要するかもしれませんけれど、まだ若いですからね。輸血もしましたし、当分は安静が必要です」
 二時間後、実里はまたストレッチャーに乗せられ、病室に移った。
 小さな白い個室には、ベッドと簡素な椅子が一つあるきりだ。
 実里はベッドで静かに眠り、傍らにはガラスケースに寝かされた生まれたばかりの赤ん坊が眠っていた。
 悠理は満ち足りた想いで二人の寝顔を眺めた。恐らく、これが家族、親子三人で過ごす最初で最後の時間になるだろう。
 それから一時間余り、彼は大切な二人の顔を心ゆくまで眺めた。心の中に永遠に灼きつけるように、しっかりと刻み込むように。
 これで悔いはない。思いがけず、初めての我が子の誕生にも立ち会うことができた。
 実里の顔色は依然として紙のように白く、血の気はなかったけれど、表情には女の大役を成し遂げた安堵のようなものが浮かんでいる。
 実里の額には汗で髪が貼り付いていた。それが、たった今、彼女が終えたばかりの女の闘いの厳しさの名残を伝えている。
 彼の子どもを生命がけて生んでくれた女だ。
 古今に渡って、原始の昔より女たちは身籠もり、生むという歴史を繰り返してきた。その気の遠くなるほどの長い間、連綿と繰り返されたきた生命の営みは男ではなく女たちによって司られてきたのだ。
 もしかしたら、この世のすべてが男たちにとっては女神なのかもしれない。
 彼はそっと手を伸ばし、実里の額に貼り付いたひとすじの髪の毛を優しい手つきで整えた。
「ありがとう」
 疲れ果てて眠っている実里の乱れた髪を撫で、心からの労いの言葉をかけた。
 病室のドアを閉めた時、廊下を向こうから歩いてくる医師に出逢った。実里の分娩に立ち会い、我が子を取り上げてくれた医師である。
「色々とお世話になりました。ありがとうございました」
 深々と頭を下げると、医師はにこやかに笑った。やはり、分娩中は緊張していたのだろう。別人のように晴れやかな明るい表情をしている。
「母子ともに、一時は危険な状態でした。赤ちゃんの方は早産で生まれたので、これからしばらく保育器に入ることになりますが、大丈夫、元気で大きくなりますよ。どうなるかと心配しましたが、とにかく母子ともに無事で良かった。お母さんがよく頑張って持ち堪えましたね。眼が覚めたら、奥さんをたくさん褒めてあげてください」
「はい」
 悠理は頷いて頭を下げた。
 今日という日に生まれたばかりの太陽が真新しい光を地上に投げかける。
 もう二度と、実里に逢うことも、彼女が生んだ俺の子に逢うこともないだろう。
 だが、それで良いのだ。
 大切な人たちの前に、彼は姿を現さない方が良い。彼等の人生から永遠に立ち去り、消えることが悠理なりの愛情の示し方なのだ。
 透明な朝陽が遠ざかる悠理の背中を照らし出し、病院の白っぽい廊下をひとすじの道のように浮き上がらせている。
 静かな病院の朝であった。

  Epilogue~終章~

 早妃を突然、失ってから、壊れたままだった俺の心が今、新しく生まれ変わったのを感じていた。
 早妃。俺と早妃のお腹の子は、新しい生命となって、あいつの―実里の生んだ子の中で今も生き続けていると考えてしまうのは、俺の身勝手な思い込みだろうか。
 早妃、応えてくれよ、俺だけの女神。
―悠理クン。
 ふと名を呼ばれたような気がして、俺は振り返った。
 背後にはもちろん、誰の姿もなく、ただ今日、生まれたての太陽から放たれるひと筋の光が俺の行く手を照らしているだけだった。