My Godness~俺の女神~Ⅳ
「柊路、まさか、お前、あの女に惚れたのか?」
ククと耳触りな笑声を上げた。
「こいつは良い。レイプされた女とホストの純愛か。お似合いすぎて、涙が出るな。週刊誌にネタ売ったら、さぞかし歓んで飛びつくだろうよ」
ひとしきり笑ってから、悠理は柊路にグイと顔を近づけた。
「おい、俺が今、何を考えてるか教えてやろうか」
「お前の心の中なんて知りたくもない」
柊路が顔を背けるのに、悠理は邪悪な美しい笑みを端正な面に浮かべる。
「あれから俺は一度も、入倉実里に手を出しちゃいない。だが、頭の中でなら、一日に何度、あの女をレイプしているか知れたものじゃない。あいつの身体はグラビアアイドル並か、それ以上だ。一度抱けば、お前だって、その味が忘れられなくるだろう。いっそのこと、あの女を服従させて、一生、俺の側に縛りつけておいてやっても良いんだ。いつでも俺が望んだときに身体を投げ出す性の奴隷にしてやれば、完璧な復讐になる」
「―止めろ」
柊路が呟く。しかし、悠理はなおも滔々と続けようとした。
「お前は綺麗事を言っているが、あいつとヤリまくってみれば、考えも変わるさ」
「止めろと言ったら、止めろ。そのお喋りな口をすぐに閉じないと、後悔することになるぞ」
柊路の拳がついに悠理の頬に飛んだ。
「貴様の―貴様が彼女にした酷い仕打ちのせいで、彼女が今、どんな状態になってるのかをお前は知っているのか!?」
「俺の知ったこっちゃないね」
悠理は殴られた頬をさすりつつ、あらぬ方を向いた。
「事故を起こしたことで、折角、抜擢された新しいプロジェクトのメンバーからも外されたんだぞ」
「それが、どうしたっていうんだ。早妃と赤ん坊は死んじまったんだ。生命を失うのに比べたら、その程度のことは痛くもかゆくもないだろ」
「お前ってヤツは」
二度目の拳が来た。今度は悠理も大人しくはしていなかった。やられっ放しではなく、柊路の頬を殴り返した。
「恥知らずな貴様の友達でいることが恥ずかしいよ」
「それは、こちらの科白だ。お前はあの女が俺の女房と子どもを轢き殺した張本人だと知った上で、のぼせ上がったんだろうが」
「俺は彼女の人柄や生き方に惚れたんだ。それをお前にとやかく言われる筋合いはない」
上になり下になりと揉み合いながら、二人の男はどちらも負けない大声で怒鳴り合った。
上になった柊路の振り上げようとした拳がふと力なく降りた。
やりきれない声が洩れた。
「悠理、―彼女、妊娠してるぞ」
その言葉に、悠理はハンマーで脳天を一撃されたように思えた。
「あの女が―妊娠?」
悪い夢を見ているようだ。
悠理は無理に笑おうとした。
「どうせ、どこかの男と愉しんだんだろうよ。一度ヤラレちまえば、後は何回やろうが、同じことだからな。まさか、相手はお前じゃないだろうな」
柊路が悠理を烈しい眼で睨んだ。
「お前、もう一発、殴られたいのか?」
悠理は愕然としていた。
そう、そんなはずはない。あの女は俺にヤラレるまではバージンだったのだ。二十七にもなって処女だった女が容易く誰とでも寝たりはしないだろう。
それとも、レイプされて自棄になって、誰彼構わず?
いや、それもないだろう。悠理は実里の瞳を思い出した。くっきりとした黒い瞳は理知の光を湛え、明るい知性と温かな優しさがあった。
あの女が卑怯な人間であれば、早妃を轢いたときに、そのまま逃げたはずだ。だが、あの女はすぐに救急車を呼び、搬送の間もずっと付き添い、病院にも詰めていた。
あのことだけでも、あいつが恥知らずな人間ではないことは判る。
いいや、俺は端から判っていたんだ。本当に悪いのはあの女じゃない。早妃の方が先に路上に飛び出し、あの女は咄嗟にブレーキをかけた。だけど、間に合わなかった。
あれは不幸な事故だ。あの女はたまたま、その現場に居合わせただけだ。
俺はそれを重々判っていたながら、敢えて判らないふりをした。そうしなければ、心が耐えられなかったから。俺の早妃と赤ん坊が突然、取り上げられてしまったという理不尽な宿命に心が折れそうだったから。
だから、俺はあの女をひたすら憎むことで、怒りの矛先をあいつに向けることで、辛うじて自分自身を保ったんだ。
恥知らずなのは、俺の方だ。俺は心が弱すぎて、誰かを憎むことでしか哀しみを乗り越えられなかった。
悠理が黙り込んだのを見て、柊路は悠理から離れた。
「信じられないというのなら、お前自身の眼で確かめてみると良い。彼女、妊娠したせいで会社にも居づらくなって、辞めさせられたんだ。多分、お前の顔を見るのも恐らく、これが最後になるだろう」
「柊路?」
「俺は店を辞める。これからは風俗から脚を洗って、堅気として生きてみる。まずはそこから始めなきゃ、実里ちゃんにふさわしい男にはならないからな。」
悠理がガバと顔を上げた。
「店を辞めて、それから、どうするんだ?」
「実里ちゃんに改めてプロポーズするつもりだ。生まれてくる子どものこともあるし、できるだけ早く結婚するつもりだよ。もっとも、運良くOKして貰えればの話だが」
柊路は最後に一瞬、精悍な顔をほころばせ、悠理がよく知る親友の顔を見せて去っていった。
実里は精一杯、背伸びしてみた。それでも、まだ最上段の棚には届かない。こんなときには、小柄な自分が恨めしくなる。
実里の勤務するスーパーでは、パートは三交代制だ。朝八時半から一時まで、更に午後一時から五時半まで、最後が五時半から閉店の十時までの勤務となる。
小さなスーパーだが、夜遅くまで開いていることから、勤め帰りの人が立ち寄ることが多く、それなりに繁盛していた。
そろそろ妊娠も九ヶ月が近くなってきた。ここのところ、自分でも判るくらいお腹は急激に大きくなっている。今は、赤ん坊は一六〇〇グラムくらいだと医師から教えられた。
結局、実里はあのまま町の小さな病院に通っていた。自宅から近いのと中年の医師が気さくで信頼できる人だったのが大きな要因である。でも、やはりお産はできないので、臨月に入ってから紹介先の総合病院に移ることになっていた。
―もう出てきても、十分大きくなれるところまで成長していますよ。
この間も、医師がそう言って笑っていた。
女の子であるということも判っていた。
私の赤ちゃん、元気で大きくなって生まれてきてね。
実里は大きくせり出した腹部を愛おしげに撫でた。合図するかのように、胎児が腹壁を元気よく蹴るのが判った。成長めざましい時期なのか、胎動もとみに活発だ。時には蹴られすぎてお腹が痛いほど暴れることもある。
スーパーには制服はない。実里は防寒も兼ねて厚着をしていた。淡いブルーのハイネックセーターにチャコールグレーのコーデュロイのマタニティスカート。その上に厚手のざっくりとしたカーディガンを羽織っている。 もちろん、スカートの下は厚手のタイツを穿いている。ここまで完全防備でならば、風邪を引く心配もないだろう。
制服がない代わりに、各自で持参したエプロンをつけている。お腹が大きくなるにつれて、腰の痛みは更に頻発するようになった。以前はそれほどでもなかったのに、少し立っているだけで腰がだるくなり痛み出す。
作品名:My Godness~俺の女神~Ⅳ 作家名:東 めぐみ