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もう一度やり直せる?

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『もう一度やり直せる?』

 サヤカが目を醒ますと、既に陽は高く昇っていた。柔らかな日差しが窓から射している。眩しげに眼を擦り、ここが、どこなのか、酔いが残る頭を使って考えた。少しずつ昨日のことが脳裏に蘇っていた。

 東京の家を飛び出し、夕方、飛行機で福岡に着いた。空港を出ると地下鉄に乗り福岡駅に着いた。そこから古くからの母親の知人であるコジマに電話した。すると、コジマ本人がやって来た。顔はぼんやりとしか覚えていなかったけれども、とても懐かしい気持ちが起こって抱きついて泣いてしまった。たかぶる気持ちが収まると、顔を上げた。そこに優しい顔があった。あらためて、コジマに対して恋愛にも似た思いを抱き続けていたことを確信した。
 コジマは夕食に連れていった。そこは街が一望できる洒落たレストランである。サヤカは時間が過ぎるのも忘れいろんな話をした。コジマの家に着いたのは、深夜近くである。そのまま倒れるように寝てしまった。……

 酔いが残る頭が少し痛かった。その痛みを堪え、ベッドを出た。ベッドが出ると、白いTシャツとジーパンをはいていたことに気づいた。着替えずにそのまま寝たのだ。部屋を見回すと、部屋にはベッドのほかは何もなかった。
 窓を開けると、遠くに海が見えた。穏やかな春の海である。
海から吹きよせる風が、長い髪をもてあそんだ。ふと、視線を落とした。家の傍に小道があり、歩いている幼子と視線が合った。幼子は嬉しそうに手を振ったので、サヤカの顔に笑みがこぼれた。
 時計が鳴った。サヤカは、その音に引き寄せられるかのように部屋を出た。古き良き時代の洋館内部のような感じがする螺旋状の階段があった。サヤカは手すりにつかまりながら、ゆっくりと降りた。時計の音が鳴り止んだ。また、しんとした静けさが戻った。階段が終ろうしたとき、サヤカは歩みを止めた。足元に子猫がうずくまっていたからである。身をかがめて顔を近づけると、眠たそうな顔で小さく鳴いた。
「どうしたの? 子猫ちゃん。お母さんはいないの?」と言って、軽く頭をなぜると、子猫はもう一度鳴いた。
サヤカは、猫の首の皮をつかみ、手の平に乗せた。温かくて柔らかな感触が伝わってきた。
「もう、泣かなくっていいのよ。守ってあげるから」
「それは、無理な話だな」
 サヤカが顔を上げると、コジマが立っていた。
「どうして?」
 コジマの足に身をすりよせている大きな白い猫を指しながら、
「これが母親だ」
「本当?」と言って、子猫を床に置いた。すると、子猫は危なげな足どりで、母親の元に走った。
「昨日はどうも」と言って、サヤカはお辞儀をした。
 コジマは答えず笑みを浮かべた。立ち去ろうとした。
「頭が痒いの。シャワーを浴びさせて」とサヤカが言うと、
「好きにしなさい。風呂場はここを先に行ったところの突き当りだ」

広い庭には、大きな桜の樹がある。その庭を一望できる部屋で、コジマはウイスキーを飲み始めた。この頃、休みの日になると昼間から酒を飲む。酒を飲みながら過ぎし日のことを回想する。
いつしか靄が庭を覆っていた。靄は、風に乗り、流れて、庭の木立を消したり露にしたりした。まるで、一幅の山水画を観ているようであった。曖昧な空間の中で、現れては消える桜の樹。その艶やかな姿は、昔、愛した女達に似ていた。どうして彼女達を引き止めなかったのだろう。今、考えても、一言でもそのことを言ったなら、彼女達は自分の傍にいてくれたと確信できた。けれども、若い頃はそれより大きなものがあった。いや、あると信じていた。弁護士としてよき社会を作るのが自分の使命と考えた。だが、彼は認められなかった。孤独だった。やがて疲れ、どうでもよくなっていた。今はただ日々を生きているだけ。優雅な生活を送れたのは、父親が残した莫大な遺産があったからに他ならない。……ずっと前に何かが失われ、何かが燃え尽きた。それが何であったのか、今、考えると分からない。眼を閉じると、過ぎた日々が鮮やかに蘇る。手を伸ばせば、そこに昨日があるような錯覚に陥る……。

 ドアを叩く音がした。振り返ると、濡れた髪をしたサヤカが立っていた。まだあどけない顔をしているのに、乳房も尻の形も一人前だった。大人の女へ変わろうとする頃の特有のアンバラスなに魅力に満ちていた。
「おじさん。何をしているの?」
「何もしてないさ、ただ酒を飲んでいるだけさ」
「隣に座っていい」
「その椅子は猫専用だよ。よく臭いをかぐと分かるがね」
 コジマは部屋の隅を指して、
「そこの椅子を使うといい」
 サヤカは椅子を持ってきて、コジマの傍に置いた。小さなお尻をおろすと、グラスに手にして、
「私も飲んでいい?」と聞くと、コジマはうなずいた。
「聞いていい?」
 グラスに注ぐサヤカの顔を見て、
「化粧しない方がずっと綺麗に見える」
 サヤカは微笑んだ。
「笑顔もいい」
「質問するのは、私の方よ」
コジマは頭をかいた。
「お母さんと本当はどういう関係なの?」
「古い知り合いで、友達だ」
「私はもう子供じゃない。そんな言い方でごまかされないでよ。男と女の間に友情というものなんかない」
「誰がそんな戯けたことを言った?」
「有名な作家よ。名前は忘れたけど」
「仮にそうだとしても、世の中には例外がある。それに俺と君のお母さんとの間には何がある。肉体関係か?」
 サヤカは顔を少し赤らめた。
「……私、昔のお母さんの写真を見たことがある。箪笥の奥に隠してあるの。こっそり見たの。その中に、コジマさんと二人の写真があったわ」
 手紙もあった。それも読んだ。が、そのことはそっと胸の中にしまっておいた。
 コジマは動じなかった。何も聞こえなかったかのように飲み干した。そして、ゆっくりと呟くように言った。
「仮に君が思うとおりであったにせよ、遠い昔のことだ。忘れてしまったよ」
「でも、お母さんには、遠い昔のことでもないかも?」
「どうして分かる?」
「私も女だから」
「女になっていたのか?」
 サヤカはまた顔を赤らめた。
「なった。悪い?」
「昔はよく泣いていたのに……泣き虫でどんな大人になるのか、みんなで心配したのに……」とコジマは笑うと、
「みんなって、誰?」
「細かいことをいちいち聞くな」と笑った。
 サヤカは少し酔ってきた。眼の回りが赤い。上着の一番上のボタンをはずし、手を団扇のようにしてあおった。椅子から離れ、庭に面するガラス戸の前に立った。
 いつしか靄は消えていた。春の絹のような日差しが降り注いでいる。
「いいところね。海も見える」
「不便なところさ。何にもない。その代わりに季節の移ろいを五感で感じることができる」
「退屈そうね」
「そうでもないさ。猫がいる」
「何匹?」
「数えたことはない。ほら、樹の枝に灰色の猫がいるだろ。雌猫で少し、ペルシャの血を引いているせいか、気高い。決して人に懐こうとしないんだ。根性が曲がっているのかもしれない。あるいは雌のせいかも知れない。ああやって、いつも樹に昇って、人を見下している。サヤカっていうんだ」
 サヤカはどきっとした。
「私と同じ名前!」
 コジマは鼻で笑った。
作品名:もう一度やり直せる? 作家名:楡井英夫