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檀上 香代子
檀上 香代子
novelistID. 31673
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めぐり糸に結ばれし、わが人生

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るのが楽しくて、休むことなく顔を出していた。傍で先輩達の稽古を

見てるだけだが、それが楽しい。

本番一週間前になって、準主役の人が急に出られなくなった。困った

劇団員の人が、たった一人芝居は出来ないが、台詞も動きも見ている

私を、台詞の言い方を真似させ人形のように、舞台に立たせようとい

う事になり、私は、動き、台詞は覚えているので、口移しに先輩の口

ぶりを真似ての代役。 私の初舞台は、研究生の身分なのに、準主役

で、立つ事になった。踊りで舞台に立っていたことが幸いして、な

んとか、台詞も動きも忘れることなく、ほとんど、出ずっぱりの舞台

を、無事終えた。きっと、そのご苦労さんという意味か、研究生の発

表会に主役の現実から、目をそらせ夢見てる現実逃避のOL役で、舞台

に立たせてもらった。でも、まだまだ遊びの趣味のうちだった。

演劇へ進もうとは思わなかった。


(4 )中国TV所属 バレエグループ設立

 この時代、NHKの夢で会いましょうという番組が、人気で、その中

のバレエダンサーグループの踊りが、人気を呼んでいた。 そこでラ

ジオ中国TV局も、週一回バラエテイ製作していたので、3人のバレ

エグループを、設立して育てたいということで、私とあと2人が製作

部長に呼ばれた。 研究生のバレエの講師が、私のバレエ時代の姉弟

子で、振り付け担当だったので、グループのリーダーを私にという事

になり、テレビ出演という生活が入るようになり、アルバイト気分で

やっていた。 コントがあり、台詞が入ると、団長の入所させた人、

バレエ講師の妹弟子ということのためか、私に役がつく。芝居の上手

い人は、研究生の中にいるのに。これが、マスコミなのかと他の人に

たいして、後ろめたさを抱え込んだ。上京するときに、舞台だけとこ

だわったのは、このときの息苦しさが影響している。


  (5)  廻 る ~ 廻 る 糸 車

 研究生の発表会が、終わり、不思議な発見があった。それは日常と

芝居の世界との錯覚を体験。 「煙突のあるオアシス」という芝居の

稽古中から本番まで、恋人役のA君と、本当に恋をしてるように思っ

ていた。劇団の人たちと、キャンプに行ったり、遊びに行ったりの間、

つい2人だけグループと離れてしまう。

劇団の人たちからも恋人同士と思われていった。 ところがである、

本番が終わり、その芝居から離れた途端、そんな感情は、なくなって

いた。 役の感情を、現実の感情と錯覚ていたのだと気づき、自分自

身驚くとともに、発見だった。そして、芝居って面白いと思った。 

そして、上京して演劇に進むきっかけとなることが起こった~。 

仲間から、新劇の舞台を観る為に、買ったチケットが、急な仕事が入り

行けなくなったということで、私に声がかかった。(エツ、新劇って

なあに?)。 何も知らない、まだ演劇の知識は皆無の私だった。 

(お芝居だよ。)彼はそういった。(きっと、観れば解るよ。)とも。 

それが、私の運命を変えたのだ。 芝居は、俳優座公演 「城塞」。

観終って、感動ですぐには椅子から立ち上がれなかった。そして、役者

との座談会に出席せずには、おれなかった。帰りがけ、興奮状態の頭の

中で、今みたいに流されたまま生きていていいのかと、自分自身に問い

かけてくる私の中にいるもう一人の私。それから、自問自答の三日間。 

でも、何をすれば?~。~そうだ!これほど衝撃的に、私に生きること

をげかけた演劇だ! 芝居をやろう! 本格的に基礎から学ぼう~単純な

私は決めた。そして、岩崎団長さんに相談に行った。

(こんな私でも、芝居で舞台に立てるでしょうか?) 岩崎団長(馬鹿

でも、まじめに、10年やれば舞台の端から端は歩けようになるさ。)

その一言で決心ついた。勿論親は反対。ならば、上京用のお金をため家

出だ。心でつぶやき、それからは、芝居のシの字も言わなかった。

 母ですねえ、私の態度で、何か感じたらしい。(家出になったら、行

く先は教えないだろう。心臓に問題のある娘、出しても一年ぐらいで、

挫折して帰る事になるだろうから、一応許したほうが、娘の行動がわか

る)と考えたらしく、親を当てしないで自力でやるならと言う条件で、

オッケーされた。そこで団長にお願いして、信用できる演劇学校を調べ

てもらい、舞台芸術学校の夜間部(別科)に入ることにした。

22歳の夏、ボーナスを貰い退社。 いざ上京の日 母は仕事なので、

祖母が見送りに来た。明治生まれの祖母は、(一度自分が決めて、やる

ことなのだから、安易に帰ることは考えず、頑張るんだよ。)両親は

(駄目だと思ったら、帰っておいで。)というが、祖母は(女だからと

いう甘えは捨てて、一人の人間として初心は貫きなさい。)と、でも、

その祖母の目が潤んでいるのが判った。それなのに上京して勉強がで

きるという期待のほうが大きく、祖母にたいしての気遣いがなかった。

涙で潤んだ祖母に万遍の笑みを浮かべて、うなづいている私だった。


 (6) 上 京 、夜学に入学

上京に持ってきた、預金はアパート代と学費で、ほとんどなくなった。

すぐデザイン会社の経理の仕事に就いた。簿記2級の資格が役立った。

それにしても、8月に退社した会社は、本当に居心地のよい好きな会社

だった。夜学に通うと決めていた私は、大胆にも転勤を希望した。 

勿論無理ですけど。---ーーーーーーでも、驚いたことに、昼の部(

本科)に試験を受ける決心をした頃、広島の人事部長から手紙が届く~

鶴見油槽所で社員を募集しているから、急ぎ履歴書を出すように、こち

らから油槽所に連絡入れておくから~と言う内容のものだった。

辞めて半年も経っているのにだ。嬉しかった、感謝~感謝の気持ちだっ

たが、昼間に勉強することにした訳を書き丁重に断りの手紙を書いた。  

私は、そんな人たちのやさしさに支えられ、パワーを貰い育てられた

のだ。


      第二章  プロへの入門を目指して


 (1) 舞 台 芸 術 学 院、本科へ入学


8月に上京し、10月~3月まで夜間部(別科)に学び、本当は俳優座

養成所に入学する試験を受ける計画だった。 ところが~ああ、処がであ

る、その年から養成所は桐朋学園の演劇科になり、養成所そのものは、

廃止になった。 そこで本科に試験を受け、無事17期生として入学す

る。そのため、バイトを探すが、水商売には向かないし、懐は赤信号。

夕方~9時位で、最低生活維持できることーー同級生は、そのころの

スタンドバーにバイトする人が多かった。お酒は飲めないし、思ったよ

り東京って、大変なところだと身にしみる。ーーーでも、運は、見捨て

なかったようだ。隣の駅の鶯谷のキャバレー、スター東京で電話交換手

募集の広告を見て面接に行く。勤務時間4時~9時まで25000円,

家賃7000円に学校の費用、交通費など引くとギリチョンか。でも、