闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅳ
その裏をかいてやるのも面白いかもしれない。本当はここに来るまでは問いつめ、領議政との拘わりや素姓を偽っていたこともすべてを白状させてやるつもりだった。が、寝所に呼び寄せておいて、冷淡な態度を取り続けて緑花の心を揺さぶってみるのも一興かもしれない、などと意地の悪いことを考えたのである。
―この女が悪いのだ。
王は半ば自棄のような気持ちでそう結論づける。
王は緑花を腕に抱き褥に横たわった。眼を閉じたのまでは良かったが、緑花の心を揺さぶるどころではない。
我が腕に抱いているのが女ではなく正真正銘の男であると知りながら、光宗は緑花の存在を意識するのを止められなかった。心は醒めているはずだと自分を叱ってみるが、身体は正直に反応し、下腹部が固くなってゆく。あまりに固くなりすぎて痛いほどになり、光宗に背を向ける格好で抱いている緑花のやわらかな身体に大きくなりすぎた彼自身が当たっているのではと気が気ではない。
―馬鹿な。今、腕に抱いているのは女ではない、男なのだぞ?
名誉のために断っておくが、光宗に衆道の趣味などさらさらない。緑花を愛していたのは、彼女が女だと信じ込んでいたからだ。
なのに、真実を知った今でも、緑花を抱いただけで、これほどまでに反応する自分の身体が信じられなかった。
普通、男の身体というものは、抱いても固く平板なものではないだろうか。
光宗はむろん、全く女性経験がないというわけではなく、親政を始めてから一、二度、年上の女官を寝所に召したことはある。が、それはあくまでも伯父孔賢明を初めとする大臣たちに強制的に押しつけられた女であった。二人か三人だったと思うが、彼女たちには申し訳ないが、今では顔どころか名前すら憶えていない。
あのとき抱いた女官たちは皆、十六歳の彼よりは数歳年上で、いちばん年の近い女官でも一歳上だった。大臣たちが送り込んできただけであって、いずれもそれなりに美しく、家柄もそれほど悪くはない娘たちで、身体は十分に成熟していた。
女は皆、あのようにふくよかで豊満なはずで、反対に男の身体には、起伏が乏しく固いのではないか。
そう思い込んできた彼ではあるが、腕に抱く緑花の身体は結構やわらかく、弾力がある。
腕に閉じ込めていても、まるで温かな仔猫を抱いているようで気持ちが良い。それが、かえって仇となり、彼は逸る心と身体を抑えるのに苦労しなければならない。
光宗は少なくとも一刻以上は悶々として眠れず、絶えず彼を突き動かそうとする欲望と闘わねばならなかった。眠ろうとすればするほど意識の芯はしんと冷め、その分だけ身体は熱くなる。かなり長い時間に渡って寝付かれぬ時間を過ごした彼は、しかし、知らぬ間に浅い眠りに落ちたようだった―。
誠恵は薄く開いていた眼をゆっくりと開けた。眠っていたふりをしていたので、起きるのはたいして辛くはない。
傍らの光宗は眠っているようだ。王が長い間目ざめたままでいたため、誠恵はなかなか行動に移れず、随分と焦った。
だが、やっと眠ってくれて、ホッとした。とはいえ、すぐに行動に移すのはあまりにも用心がなさすぎるというものだ。誠恵は王が寝入ってからなおしばらくは息を潜め、一刻余りも経ってから起き出したのである。
あまりにも安らいだ表情で眠っている男を、誠恵は無言で眺めた。
―殿下、そのように安心していて、良いのですか?
誠恵はそう言って王を揺さぶり起こしたいとさえ思った。
だが、誠恵の〝任務〟は、それでは済まない。今夜、誠恵は光宗を殺し、領議政から課せられた〝任務〟を終える。
このひとは、他人を疑うということを知っているのだろうか。誠恵は、傍らにいる自分を疑いもせず眠り込んでいる王を見ながら、しみじみと考える。
無意識の中に懐に片手を差し入れていた。
そっと取り出した匕首をしげしげと眺める。仮にも国王と臥所を共にする女に対して、所持物の検めもないとは、あまりにも無防備すぎる。国王を殺そうとしている誠恵が何ゆえ、そんなことで憤慨するのか自分でもよく判らないけれど、聖君と崇められる光宗に唯一の欠点があるとすれば、それは容易く他人を信じすぎることだろう。
誠恵は陸(おか)に上がったばかりのびしょ濡れの猫のように、勢いよく首を振った。
いけない、つまらないことを考えて、迷っている暇はない。あの切れ者の柳内官は今夜もやはり、近くに詰めているに相違ない。光宗は同衾する側妾の持ち物調査をしないばかりか、提調尚宮や趙尚宮たちを追い返してしまった。寝所のすぐ外に彼女たちが控えていれば、誠恵の計画は今夜、著しくやり遂げにくなったに相違ない。全く不用心なこと極まりないではないか!
何故か憤慨しながら、誠恵は無防備な男の寝顔を感慨深く眺める。
柳内官が必ずどこからか部屋の様子を窺っているはずだ。何かあれば直ちに駆けつけられる場所に待機していることだろう。それを思えば、できるだけ早急に事を片付る必要がある。
駄目だ、この子どものような他愛ない寝顔を見ていたら、どうも情にほだされてしまう。
領議政は一度抱いてしまえば、意のままに操れると考えているようだが、そんなのは嘘だ。だって、誠恵は光宗に一度も抱かれていないのに、これほどに光宗を愛しい。家族や自分の生命と引き替えに光宗の生命を奪えと命じられているにも拘わらず、こうして匕首を振り下ろすのを躊躇っている。
誠恵は匕首の鞘を抜く。刹那、ギラリと刃が鈍い光を放った。
両眼を固く瞑り、思いきり高く両手で持った匕首を振り上げる。
さあ、やるのだ。
心の中で自分に号令をかける。それを合図とするかのように、後はひと息に刃を振り下ろそうとした。
室内を危うい沈黙が満たす。
一瞬の後、誠恵の手からポトリと匕首が落ちた。乾いた音を立てて、匕首が床に転がる。
―殺せ―なかった。
誠恵の身体が萎れた花のようにくずおれた。
作品名:闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅳ 作家名:東 めぐみ