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闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅳ

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 漸く、彼にも尚善の言わんとすることが理解できたのだ。
 刹那、尚善の双眸に危険な光が閃いた。
「判るか? 私はお前が私に要らぬ情を抱くのを怖れ、お前を抱かなかったのに、お前は抱かれもしなかった男に心を明け渡した。それが私への何よりの裏切りだ」
 尚善が手を伸ばし、誠恵の頬に触れた。
「何とやわらかな膚だ。抱き心地もさぞ良かろう。殿下がお前を抱いていないのは、私にとってはむしろ幸いだ。旬の初物の味は、どれほど美味であろうか。任務の成功のために、水揚げの夜はご馳走を食べるのを我慢したというのに、お前は肝心の任務に失敗した。もう、お前を抱くのを躊躇う必要はどこにもない」
 思わずゾワリと膚が粟立ち、誠恵は身を震わせた。
「―怖いのか? 香月は、お前は何も知らぬと言った。翠玉よ、これは私を裏切ったお前への見せしめではあるが、安堵するが良い。何も知らぬお前の身体をゆっくりと味わってやろう。何度も抱いて、今度こそ私のことしか考えられぬように―私のためなら、その生命すら投げ出すほど惚れさせてやろうではないか?」
 ふいに、尚善の声が危険な艶を帯びる。
「あ―」
 誠恵はあまりの怖ろしさに、身を竦ませた。
 まさか、こんなことになるとは思ってもみなかった。
 香月は、このことを知っていたのだろうか? 尚善が自分を抱くつもりであることを―。
 立ち上がり、身を翻そうとしたときには遅かった。後ろから羽交い締めにされた彼は、のしかかってきた尚善の身体に勢いつけて押し倒された。
「姐さんッ、光月姐さんッ、助けて」
 誠恵は救いを求めるように手を差しのべる。だが、香月が来る気配はなかった。
 両手をその場に縫い止められ、噛みつくように口付けられる。口を固く閉じて拒むと、懲らしめのように唇を強く噛まれた。
「痛―い」
 下唇に走る鋭い痛みに、涙が溢れそうになった。
 尚善は執拗に唇を重ねてこようとする。首を振って避けながら、誠恵は涙を流した。
 首筋に生温かい息がかかり、総毛立つ。
「殿下、国王殿下」
 私は、ここにいます。どうか助けて下さい。
 心の中の声がつい出てしまったらしい。
 耳ざとく聞き取った尚善が唇を歪めた。
「フン、情にほだされて、手を下せぬか? 王に惚れたのか? 所詮、薄汚れた淫売は淫売、使い物にはならぬな」
 酷い蔑みの言葉を投げつけられ、あまりの屈辱に涙が止まらなかった。
 眼裏に光宗の優しい笑顔が浮かぶ。
 こんなことなら、たとえ男だと知られても構わないから、あのひとに抱いて貰えば良かった。永遠に逢えなくなったとしても、ちゃんと抱いて貰っていれば良かった。
「そうだ、それで良い。恋い慕う男の貌を思い浮かべながら、私に抱かれるが良い。それが、そなたへの何よりの仕置きとなろうぞ」
 誠恵の心など端からお見通しだと言わんばかりに、尚善が会心の笑みを刻む。
 チョゴリの紐が解かれ、上着が剥ぎ取られた。胸に巻いた布まで外され、詰め物が現れる。それを見た尚善は嘲笑うように笑い、手に取って脇へ放り投げた。
 平たい胸の先にひそやかに息づく淡い蕾ををそっと摘んで指先で捏ねる。
「ああっ」
 痛みと同時に甘い痺れのようなものが全身を駆けめぐり、誠恵は声を上げた。それは自分の声とは思えないような、まるで見知らぬ誰かの嬌声だった。
 こんな声を聞いたことがある。そう、月華楼の男娼たちが客と褥を共にする夜、こんな声を上げていた。先輩たちが客の相手をしているところを実際に見たことはないけれど、廊下越しに洩れる艶めかしい声を耳にしたことは何度もあった。
「ホホウ、これは、なかなか可愛らしい反応を示してくれる」
 尚善は上機嫌で言い、何度も誠恵の胸の先端を弄んだ。その度に、誠恵は甘い喘ぎ声をを上げる。
「良いか、情けは無用、かえって生命取りになることを忘れるでない。もう一度だけ機会をやろう。だが、二度めはあると思うな。今度、裏切れば、そなたはむろん家族の生命はないものと承知しておろな。肝に銘じておけ」
 酷薄な声が耳許で囁いた。
 弄られてすぎて真っ赤に腫れた先端を甘噛みされたときは、羞恥と快感の狭間で身を捩らせてもんどり打った。
―殿下、私はこの場で死にとうございます。
 誠恵は大粒の涙を流しながら、酷い責め苦を受け続けた―。

 その日、夜の帳が降りようとする時刻に、誠恵は宮殿に戻った。
 孫尚善の仕打ちは、あまりにも残酷すぎた。誠恵はおよそ半日、二階の一室で尚善に犯されて続けた。それは、まさしく折檻と呼べる性交だった。
 あまりに烈しい情交を重ねた挙げ句、誠恵は意識を手放し、それでもまだ尚善は憑かれたように彼の身体を蹂躙し尽くした。
 尚善が部屋を出ていったのが何時なのかを、誠恵は知らない。あちこちが痛む身体を引きずるようにして階下に降りていったときには、既に冷酷な男は帰っていたのだ。
 階段を降りる途中で、月華楼の稼ぎ頭名月とすれ違った。
 二十歳を幾つか過ぎた名月は娼妓としては既に年増といえるが、その美貌と才知で多くの上客を持っている。名月はいつもは気軽に声をかけ、誠恵の頭をまるで弟にするようにくしゃくしゃと撫でてくれる。その名月が常になく沈痛な表情だった。
―姐さんも所詮は妓楼の主人だったってことだね。あんなに可愛がってたあんたを見るからに助平そうな、いけ好かない両班に抱かせるなんてさ。
 孫尚善の素姓を名月が知っているかどうかは判らなかったけれど、名月は誰に対しても好印象を与える尚善に対して例外的に嫌悪感を抱いているようだ。
 名月は売れっ妓だけあって、頭の回転も良く、人の本性を見抜く力を備えている。彼女には尚善の怖ろしいまでの冷酷な素顔がちゃんと見えているに相違ない。
 誠恵は名月に縋って泣きたかった。だが、そんなことをしても、余計に優しい名月を心配させ、哀しませてしまうだけだと判っている。黙って頭を下げた誠恵の頭を名月はいつものように撫で、励ますように肩を軽く叩いた。
 下で待っていた香月は、誠恵を抱きしめて泣いた。
―ごめんよ、ごめんよ。あたしを許しておくれ。
 香月が尚善から多額の融資を受けていることは知っている。月華楼は揚げ代も高いから、それなりの身分のある裕福な客しか登楼しないが、その分、大見世としての体面を保つにには金が要る。部屋の調度一つ取っても、両班のお屋敷にあるものに勝るとも劣らぬ瀟洒なものだ。
 それに、香月は金遣いが荒かった。良くいえば気前が良いともいえるのだが、男たちが貢いでくる金はぱっぱっと使うし、贈られた装飾品は惜しまず見世の妓たちに与えてしまう。入ってくる金も桁外れなら、出てゆく金も桁外れという案配で、実のところ、ろくに銭など月華楼にありはしない。
 香月が異母兄の援助に飛びついたのも、何も肉親への情だけではなく、多額の援助によるところが多かったろう。現実として、月華楼は尚善の援助で何とか営業しているようなものだ。
 香月が異母兄の意向に逆らえないことは、誠恵も知っている。だから、泣いて詫びる女将を責めるなどできなかった。
―実の娘のように可愛がったお前を好き者の旦那の餌食にしちまった―。
 泣き崩れる香月に、誠恵は哀しげな微笑みを向けただけだった。