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闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅲ

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 まるで眼にしたくないものから遠ざかるように、そのまま王子を残して走り去った。

 光宗は、まるで自分が悪い夢を見ているのではないかと思った。
 あのままでは、誠徳君が殺される。
 そう思って、飛び出そうとしても、身体が言うことをきかない。まるで見えない鎖に戒められでもしたかのように動かなかった。
 心のどこかでは、それでもまだ緑花を信じていた。あの女が何の罪もない幼き世子を手にかけるはずがないと思いたかった。
 今日、光宗は趙尚宮の許を訪れた。いつもは後をぞろぞろと付いてくる内官や尚宮たちは追い払い、単身脚を運び、緑花に逢いにきたと告げたのである。
 あの日―数日前の夕刻の出来事は、弁解のしようがなかった。緑花に何度逢いたいと連絡しても、なしのつぶてが続き、光宗の苛立ちは最高潮に達していた。大殿内官が諫めるのもきかず、毎夜、大殿で夜更けまで酒浸りの日々を送っていたのだ。
 とうとう緑花恋しさに負けて、夕方、大殿をひそかに抜け出し、緑花の姿を探し求めて彼女の住む殿舎の近くをふらふらと彷徨っていた。
 緑花を背後から襲い、猿轡と目隠しをして空き部屋に連れ込む道中、光宗は二人連れの女官に遭遇した。いかにも若い娘らしく、小声ではあるが愉しげに話し込んでいた二人は、光宗の姿を見ると慌てて脇に寄り頭を垂れた。が、一瞬、彼を見た彼女らの顔は、まるで狂人を見たかのように恐怖に強ばっていた。
 それもそうだろう、まだ陽の落ちぬ中から、若い年端もゆかぬ女官を肩に担いでいた彼の姿は到底普通には見えなかったはずだ。しかも、その女官は目隠しをされ、声も出ないようにされており、それでも、叫びながら懸命に彼から逃れようとしていたのだ―。
 誰が見ても、あのときの光宗が連れ去る女官を手籠めにしようとしているのは一目瞭然であった。
―騒ぐな。
 光宗は烈しい眼で女官たちを睨みつけることで口封じをしたが、案の定、彼女たちは頷くと、怯えたように脱兎のごとく通り過ぎていった。
 あの時、自分は本当に気が狂っていたのだとしか思えない。
 緑花を空き部屋に連れ込んだ後も、光宗は酷薄なまでに彼女を追いつめた。
 厭がる緑花を、彼は追いかけ回し、何とか我が物にしようと躍起になった。
―いやっ、怖い。来ないで。
 緑花は逃げ惑いながら、泣いていた。心底怯え、彼を怖がっていた。
 あの恐怖を宿した瞳が、今でもなお、彼の心に灼きついて離れない。
 自分は一体、何という取り返しのつかないことをしでかしたのだと自分で自分が情けない。
 これでは厭がる女官の尻を追いかけ回していた好色な兄と何ら変わりないではないか!
 緑花は生涯の想い人と自ら定めた娘だ。妻にして一生、どんなことからも守ってやろうとまで思っていた女を、彼は一時の激情に任せて力ずくで抱こうとした。
―許してくれ、こんな形ででも想いを遂げねば、そなた恋しさのあまり予は気が狂うに違いない。
 振り絞るように言ったあの言葉は、まさに彼の心情そのものに違いなかった。
 だが、彼の中で燃え盛っていた昏い情動が治まったのは、その直後だった。
―殿下、国王殿下。お願いです、どうか、どうか、許して下さい、お止め下さい。
 涙を浮かべて消え入るような声で懇願する女を見ていて、ハッと我に返ったのだ。
 そのひと言に、身体の芯で滾っていた熱いものがスウと冷えた。それと共に、意識が徐々に鮮明になり、何とか思いとどまる分別と理性を辛うじて取り戻せたのである。
 緑花はよほど怖かったのだろう。狼を前にした野兎が逃げてゆくように後ろも振り返らず走り去った。そんな彼女を追いかける気にもなれなかった。
 ただ、ただ自分が厭わしかった。王としても男としても、自分は最低だ。たった一人の女が守れぬ男が、どうして万民を守ることができよう? 
 今になって謝ってみたところで取り返しがつくとは思えないが、とにかく一度逢って、謝りたいと思った。
 今日、光宗は懐に玉(オク)牌(ぺ)をひそかに隠し持っていた。以前、緑花に贈ろうと作らせていたもので、薔薇の花を象った翠玉(エメラル)石(ト゜)にむら染めにした鮮やかな緑の房飾りがついている凝った瀟洒なものだ。この玉牌をひとめ見れば、緑花が高貴な人の想い人であることはすぐに知れる。単なる装飾品としての用途だけでなく、身分証明書代わりにもなる。
 本当なら、もっと早くに渡したかったが、なかなか自分の意を受け容れてくれない緑花に渡しそびれていた。
 薔薇のかたちに彫り込んだのは、森の深い緑を彷彿とさせる石である。可憐な少女、時には妖艶な女の顔を見せながら、時として少年のような清々しさをも感じさせる彼女に相応しい色だと思って、この石を選んだ。
 〝緑花〟という名も丁度、あつらえたようにぴったりに思え、出来上がってきた玉牌と簪を大殿で一人で眺めては、悦に入っていた。
 それを傍らで見ていた柳内官には
―殿下、畏れながら、お顔が完全に崩れております。巷では、そのように女人のことばかりを考えて浮ついている好色な男を〝にやけている〟と形容するそうにございます。
 などと、他の者なら不敬罪で首を刎ねてやりたいようなことを平然と言われた。
 同じ石でやはり薔薇を彫り込ませ、玉牌とお揃いの簪も作らせたから、たとえ無駄になったとしても、渡すだけは渡したかった。
 もしかしたら、もう自分のような男に愛想を尽かした緑花は受け取ってはくれないかもしれないが。