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闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅲ

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「ご心配には及びませぬ、こう見えても、力はございますゆえ、世子邸下を大妃殿までお連れするなど造作もなきことにございます」
 その言葉で幼い王子は漸く納得したらしい。素直に誠恵に負われた。大妃殿に戻る道すがら、王子が問いかけてくる。
「そなたは、どの宮の女官なのだ?」
「私は趙尚宮さまにお仕えする女官の張緑花にございます。世子邸下は、お伴の女官も連れず、お一人でいらしたのですか?」
 大抵、国王にしろ世子にしろ、宮殿内を移動する際でも、大勢の伴が付き従う。内官、尚宮、女官と総勢十数人ほどで物々しい行列を作って移動するのである。
 それを考えれば、世子である王子がこのような場所に一人きりでいること自体がおかしい。
「お付きの尚宮や女官たちは皆、母上(オバママ)の言いなりだ。私がいちいち何をしたと言いつけては、母上を怒らせる。だから、わざと宮を抜け出してやるんだ」
 利かん気そうな物言いに、誠恵はクスリと笑った。
「それは大変ではございませんか。今頃、世子邸下がいらっしゃらないのに気付いた尚宮さまが大騒ぎなさっていることでしょう」
「―緑花、私は母上が嫌いではないが、好きでもない」
 七歳の童子が母親を好きではないというのも妙な話だ。もしや、王子の大妃への気持ちがあの惨たらしい傷痕と関係しているのではないかと思ったが、口に出せるはずもない。
「私は母上が怖いのだ。ちょっとしたことですぐに〝世子らしくないふるまいだ〟とお怒りになられ、私を鞭打たれる」
「―」
 誠恵は何も言うべき言葉を持たなかった。
 考えた末、漸く口にできたのは、ありきたりな言葉でしかなかった。
「大妃さまも世子邸下の御事を誰よりおん大切に思し召しているからにございましょう。子を思う親は必要以上に厳しくなるものにございます」
 それでも、幼い王子には慰めになったようで、背中越しに聞こえてくる声に幾分元気が戻ったようだ。
「そうであろうか、緑花。母上は真に私を可愛いと思し召しているのであろうか」
 誠恵は胸が熱くなった。
「この世の中に我が子を可愛いと思わぬ親などおりませぬ。それは畏れながら王室の方々においても、私たち下々の民においても同じことかと存じます」
 わずか七歳の子が母親をこれほどまでに恋しがっている。
 誠恵は先刻、対面したばかりの孫大妃の容貌を思い出していた。
 確かに美しい女人ではあった。だが、喩えるなら凍った三日月のような冷ややかな美貌は、いささかの温かみも人間らしさも感じさせない。女好きで知られた永宗がこれほどに美しい王妃を遠ざけ、側室たちの間を渡り歩いていたのも少しは理由が判ったような気がしたものだ。
 この大妃といても、永宗は少しも寛げなかったろう。むしろ、冷ややかな視線に居たたまれず、逃げ出したくなったはずだ。
―ホウ、石榴か。見事なものだな。まるで一幅の絵のようだ。この出来であれば、嫁ぐ翁主も歓ばれるに違いない。
―石榴は縁起の良いものでございますゆえ、おめでたいご婚礼にはふさわしいと思いまして。
 石榴は子孫繁栄の象徴である。誠恵の言葉に、大妃は幾度も満足げに頷いていた。
 が、次の瞬間、誠恵はヒヤリと冷たいものが走るのを感じた。
―時にそなたは国王殿下のご寵愛を受けていると聞く。しかも、殿下おん自ら正式な側室とし位階も賜ると仰せがあると申すではないか。既に殿下の恩寵を賜り月日が経つにも拘わらず、何ゆえ、そのありがたきお言葉を無下に致すのだ?
 誠恵は恐る恐る面を上げ、大妃を見た。
 射貫くような双眸が真っすぐに自分を見ている。鋭い視線は、どんな小さな嘘でも見抜いてしまいそうで、誠恵は思わず眼を伏せ、うつむいていた。
―わ、私は身分も低く、賤しい身にございます。殿下のお側に上がるなど、滅相もないことにございます。
―ならば、何ゆえ、殿下のご寵愛をずっと頂いておる? ふさわしくないと自分で思うなら、宮殿を去るべきではないのか?
 何も言えず、うつむいたままの誠恵に、大妃は幾分優しい声で続けた。
―何も私はそなたを責めておるわけではない。殿下は私の亡き良人の弟君であり、私にとっても義弟になられる。立場から申せば、大妃たる私は、殿下の母だ。なればこそ、殿下のおんゆく末が心配なのだ。目下のところ、殿下には中殿どころか、定まった後宮の一人すらおらぬ。このままでは御子のご生誕もないと朝廷でも先行きに不安を感じている。私は確かに世子の生母ではあるが、同時に殿下の母でもあるゆえ、殿下に一日も早く正室なり側室なりをお迎え頂いて、温かなご家庭を築いて頂きたい。そなたも殿下をお慕いしておるならば、疾く思し召しをありがたくお受けしなさい。
 恐らく、大妃は悪い人ではないのだろう。むしろ、あまりにも厳格すぎて冷たい印象を与えることで損をしている。あの言葉からは、義弟への配慮が感じられたし、心からのものであることも判った。
 厳格に対処するのは、息子に対しても同じらしい。そのために、幼い王子は母の愛情を信じられなくなっているのだろう。
 大妃殿が見えてきた時、背中の王子が言った。
「緑花、また、逢ってくれるか? 今度は私と一緒に遊ぼう」
 何とも無邪気な誘いであった。
 一瞬、躊躇ったものの、結局は頷いた。
「畏まりました」
 大妃殿に着くと、女官に王子を渡し、そのまま誠恵は元来た道を引き返した。
 その後ろ姿を誠徳君は名残惜しそうに見送っていた―。

    露見 
 
 孫大妃が何故、誠徳君をああまで厳しく仕付けているかは、直に知れた。誠恵は暇があると、趙尚宮の部屋で老いた尚宮の脚腰を揉むことがある。誠恵が光宗の寵愛を受けるようになって、趙尚宮は〝殿下のご寵愛をお受けする方にそのようなことをして頂くとは畏れ多い〟と恐縮した。
 だが、誠恵は笑った。
―私は、ただの女官にございます。趙尚宮さまには孫のように可愛がって頂いているのです。せめて、ご恩返しにこれくらいのことはさせて下さいませ。
 この趙尚宮もまた、誠恵に一日も早く側室としての位階を賜るようにと勧める一人だ。むろん、誠恵の立場を思ってのことである。
 思いがけず世子と遭遇した誠恵は、どうしてもあの傷のことが気になった。それで、いつものように肩を揉むついでに、趙尚宮に訊ねたのだ。
 宮廷生活の長い彼女は後宮どころか、宮殿の生き字引のような存在である。複数の尚宮を統率する提調尚宮(チェジヨサングン)(後宮女官長)でさえ、この趙尚宮よりは若いのだ。
 誠恵は自分が見たままを正直に打ち明けた。
「何故、大妃さまは、ご実子でいらっしゃる世子邸下を鞭打たれるのでしょう?」
「それは、そなたも子を生めば判ることでしょう」
 趙尚宮は気持ち良さそうに眼を瞑り、しみじみと言った。
「もっとも、私も子など生んだこともないゆえ、実のところ、推測するしかないことですがね」
 趙尚宮の言葉遣いが変わったのは、やはり、誠恵が王と夜を過ごすようになってからのことだ。最初は照れ臭いから止めて欲しいと頼んだのだが、流石に趙尚宮もこればかりは受け容れてくれなかった。
「鞭打つことが大妃さまなりの愛情なのですよ」
 趙尚宮の言葉に、誠恵は我が身が幼い王子に言ったことを思い出した。