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闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅱ

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 兄は王として優れているとはいえなかったかもしれない。むしろ十人に余る妃を持ち政務を顧みるよりは享楽に耽った凡庸な王と巷ではいわれている。兄がこの世でやり遂げた仕事は、十二人の后妃との間に九人の王子と七人の王女を儲けたことのみであった。
 とはいえ、光宗自身が兄の王としての資質云々を語る気はない。だが、光宗にとっては同じ母から生まれた、ただ一人の兄であった。
 永宗が崩御したのは、二十四歳のときのことである。女と酒に溺れる怠惰な生活は、若い健康なはずの永宗の身体を芯から蝕んで朽ちさせていたのだ。息を引き取るまでの数ヵ月は、殆ど寝たきりの状態であった。まだやり残したこともあったに違いないし、残してゆく大勢の妃や王子王女のゆく末も気がかりだっただろう。
 その兄の心にこたえるためにも、兄の忘れ形見である第七王子の誠徳君を世子に立てたのだ。誠徳君には六人の異母兄がいたが、王妃の生んだ嫡流の王子は彼ただ一人であったからだ。
 自分は本来なら、王になるべき身ではなかった。ゆえに、中継ぎの王として、誠徳君が成人するまで王座を守り続ける。そして、甥が長じた暁には、彼に王座を明け渡し、王統は本来あるべき姿に戻り、兄の子孫が受け継いでゆくことになるだろう。たとえ朝廷が光宗自身が中殿を迎えた上での王子生誕を期待していたとしても、光宗自身はそう望んでいた。
 分不相応な欲や権力への固執が血を呼び、血なまぐさい闘争の因(もと)となることを、誰より賢明なこの若き王は承知していた。
「緑花、この際、やはり、側室にならぬか。さすれば、二度と、こんな根も葉もない中傷でそなたを傷つけることはない。妃という立場がそなたを守ることもあろう」
「殿下、以前も申し上げたとおり、私は妃の位も何も望んではおりませぬ。ただ、こうして殿下のお側にずっといさせて頂ければ、それで十分なのでございます」
 その時、緑花は既に泣き止んでいた。涙を拭いながらも微笑もうとする彼女を、光宗はいじらしいとも、可愛いとも思う。
 緑花は後ろめたさの全くない晴れやかな瞳で王を見た。その心の奥底を幾ら覗き見ようとしても、何も見つけられず、澄んだ双眸には、ひとかけらの嘘も浮かんではいなかった。
 感情の窺えない瞳の奥で、一瞬、王の眼が閉じられた。それから彼は眼を開けて、すべてを受け容れるように微笑んだ。
「そなたの申すとおりだ。運命は、そなたを予に与えてくれた。そなたという、かけがえのなき想い人を手に入れただけで、予は十分幸せだ。たとえ、そなたが側室の立場にあろうとなかろうと、我が妻は緑花、そなた一人だけなのだ」
 それを聞いて、緑花の顔に明るい笑みがひろがった。
 やはり、毒を盛ったのは緑花ではなかった。当然だ、自分たちはこれほど愛し合っているのだから、女が恋い慕う男をどうして毒殺しようなどと考えるだろう?
 王の胸に安堵がひろがる。束の間でも緑花を疑ったことを恥じた。
 自分は愛する女を信じることさえできないのか。そんなことで、緑花のように心清らかな女を愛する資格があるのかと自問自答する。
 光宗は懐から手巾を取り出し、緑花の眼に溜まった涙の雫を拭った。
「畏れ多いことにございます」
 緑花が恐縮するのに、光宗は笑った。
「予とそなたは、いずれ夫婦となる。ならば、さしずめ、今は婚約期間中ということか? 許婚者同士であれば、恥ずかしがらずとも良かろう」
 〝婚約者〟、その言葉が王の心に甘いときめきと幸福をもたらす。改めて緑花への愛おしさが込み上げてきて、王は腕の中の緑花を力一杯抱きしめた。
「殿下?」
 愕いた緑花が身を捩るのに、光宗は笑いながら言った。
「せめて今だけは、そなたが予のものである悦びに存分に浸らせてくれぬか。予の気が済めば、また伽耶琴をつま弾いて、予を愉しませてくれ」
 腕の中に閉じ込めた緑花が抗うのを止めて、大人しくなる。
 しばらくして、夜の闇に再び伽耶琴の深い音色が響き渡った。

 こうして、誠恵は無邪気な娘のふりを装い王に近づき、次第に王の心を掴んでいった。彼女の企みは大いに功を奏し、若き国王光宗は張緑花に傾倒し、ますます寵愛は深まった。
 国王毒殺事件は、内密裡に処理された。何しろ、公にするには証拠がなさすぎる。それに、柳内官の言を引用すれば、疑いは当然ながら緑花に向けられる。光宗がそれを最も怖れたのは明らかだった。
 それから十日ほどを経たある日の朝、誠恵は趙尚宮の遣いで大妃殿に赴いた。孫大妃は今年、二十七歳、先代永宗の中殿であり、領議政孫尚膳の娘に当たる。尚膳は永宗の在世中は中殿の父として、更に永宗の崩御後、娘が大妃となって以後は、大妃の父、世子の外祖父として朝廷でも絶大なる権力を誇っている。通称は〝清心(チヨンシン)府(プ)院(インクン)君〟、特に許された称号である。
 趙尚宮からの用向きというのは、永宗の第三王女貞祐翁主の結婚に関するものだった。永宗は子宝に恵まれ、十一人の后妃との間に十六人の子女を儲けた。二十四歳の若さで崩御した際、既にそれだけの数の子どもの父であったのである。
 貞祐翁主は現在、貴人の位を賜っていた生母とともに母の実家の金(キム)氏の屋敷で暮らしている。光宗は早くに逝った兄の代わりとして、また、兄の遺児たちの身の処し方にも気を配った。姪には相応の嫁入り先を見つけ、十分な持参金と支度を整え送り出した。
 貞祐翁主は今年、十二歳になる。永宗に初めての御子が誕生したのは、永宗が十五歳の春であった。第一王女誕生の翌年、それぞれ別の妃から第一王子、第二王女がほぼあい前後して生誕、更にその翌年に生まれたのが貞祐翁主だ。
 その頃、巷では、こんな抗議文が記され、都の至る所に貼られていたという。
―国王殿下の寝所には夜毎、違う妃が侍り、女の喘ぎ声が聞こえる。宮殿では常に産室が儲けられ、毎年、複数の妃から何人もの御子が生まれる。
 大臣たちに政を任せきりで暗愚だとさえ囁かれた永宗の好色な一面を皮肉ったものだが、当時の若い王の乱れた生活を偲ばせる。
 つまり、兄が今の光宗の歳には既に十人近い子どもの父となっていたわけで、同じ両親を持つ兄弟で、何故、兄と自分がこれほどまでに違うのかと光宗自身が苦笑してしまうことがある。
 兄は無類の好色な王、自分は堅物どころか、緑花を寵愛するようになるまでは
―国王殿下は、もしや男としての機能をお持ちではないのでは?
 と陰で囁かれたほどの潔癖な暮らしぶりであった。十九歳になる今まで結婚したこともなければ、妃の一人も置いたことがない。
 一時は柳内官と衆道の仲を疑われたこともある。自分に男色の趣味があるゆえ、女官を寝所に召さず、内官ばかりを傍に置いておくのだと大臣たちでさえもが噂していると聞いたときは、怒るよりは馬鹿らしくて笑ってしまった。