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闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅱ

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 王の女として恋愛も結婚も禁じられている女官ではあるが、内官に熱を上げるのだけは大目に見られていて、とりわけこの柳内官は若い女官たちの間では絶大な人気を誇っている。柳内官に熱烈な恋文を送った女官も少なくはないというが、いかにせん、この柳内官は天下の堅物として名が通っていて、幾ら美しい女官に言い寄られても、見向きもしない。
 薬房によく出入りしているといっても、柳内官は尚薬担当ではない。柳内官は大殿内官として、常に国王光宗の傍に控えている。誠実で陰陽向のない働きぶりを王は高く評価し、左議政孔賢明と共に忠臣として認めていた。
 柳内官は大殿内官ではあるが、元々は医者を志していたらしい。内官は小宦といってまだ見習いの頃には担当の部署が決まらず、雑用などをさせられる。その頃から柳内官は薬房によく出入りして、尚薬にも可愛がられていた。
 柳内官の父親が貧しい町医者だと聞いて、誠恵はなるほどと思ったものだったが、生まれ育った環境からか、彼には医術の心得が多少なりともあったのだろう。なので、一人前の内官となってからも、暇があれば薬房に顔を出すのだ。
 あの切れ者で知られる柳内官の存在を忘れるとは何たる失態だろう! だが、香月から渡された毒薬はちゃんと王の呑むはずの煎じ薬に入れた。恐らく、毒味をしても判らないはずの毒ゆえ、自分の所業だと知れることもあるまい。何より、柳内官は誠恵が毒を入れたところを目撃してはいないのだ。問いつめられたとしても、言い逃れはできる。
 それに―、誠恵は唇を噛みしめる。
 王があの薬を飲まないでくれた方が良い。血を吐きながら死んでゆく光宗の姿を想像しただけで、誠恵は気が変になりそうだった。
 おかしなものだと自分でも思わずにはいられない。この手で王の薬に毒を潜ませておきながら、王がその薬を飲まないように願うなんて、おかしい。
 王があの薬を飲むのを阻止するためには、むしろ、柳内官があの場に来てくれて良かったのかもしれなかった。
―殿下、あの薬をお飲みになってはなりません。あれは殿下のお生命を狙う、悪しき者が毒を混ぜた薬にございます。
 そして、その光宗の生命を狙う悪しき者とは、他ならぬこの自分なのだ。誠恵は涙が溢れそうになるのを堪えながら、帰り道を急いだ。

 一方、誠恵が逃げるように出ていった後、柳内官は一人、薬房に取り残された。
 あの張女官は、若い内官の間でも〝可愛い〟と評判の娘だった。男根を切り取ったその時点で男としての機能は失ったが、内官は結婚も許されていたし、皆、養子を迎えて家門を存続させてきた。しかも、若い盛りの内官であれば、美しい女官と恋に落ちることも少なくはない。内官と女官の恋愛は表向きには禁じられていたものの、年配の内官や女官を監督する尚宮もある程度は大目に見ている。
 咲き始めた花のように瑞々しく可憐な容貌に加え、気立てもよく働き者で通っている。あの張女官に微笑みかけられて、およそ心奪われぬ者はおらぬだろう、ただ一人、この自分を除いては。
 国王の想い人という噂は宮殿中にひろまっているゆえ、表立って彼女に言い寄ろうとする男はいないが、柳内官の親友の中にも彼女に熱を上げる者は多かった。
 確かに美しい、可愛らしい娘だとは思う。だが、あの少女の中に潜む何かが、彼はどうも気に入らなかった。
「まるで棘のある花のような」
 呟き、彼はハッとした。そう、まさしくあの少女を喩えるなら、それだ。暗闇の中で妖艶に咲き誇る大輪の薔薇。匂いやかに咲く花は見る者をひとめで幻惑し、骨抜きにする。
 瑞々しく開いた花に、男なら誰でも触れてみたいと思うだろう。だが、手を伸ばし、触れた途端に、鋭い棘で刺されてしまう。しかも、その棘には世にも怖ろしい猛毒が潜んでいるとしたら―?
 あの張女官はいけない。まさに、今、彼が思い描いた毒針を隠し持つ花だ。人は誰もがあの邪気のない笑みに惑わされるだろう、そして、時折、気紛れのようにかいま見せる艶(なま)めかしい熟れた女の顔に男は一瞬で魅惑される。無邪気で初々しい少女の中に、たまに妖艶な女の顔が現れる。そのくるくると変わる変化を、張女官が意図して演出しているとは男は考えだにしない。だが、柳内官は易々とは騙されなかった。
 あの女は実に怖ろしい女だ。
 そこで、彼は我に返り、慌てて眼の前の小さな土瓶に意識を戻した。
 先刻、あの女は、ここで何をしていた?
 自分が入ってきた時、張女官は明らかに動揺していた。しかも、あの愕きようは尋常ではなかった。まるで生命賭けの悪事を嗅ぎつけられでもしかのように―。
 柳内官は飛びつくように小さな土瓶を手に取り、火から下ろす。恐る恐る土瓶に人さし指を入れ、口に含んだ。
 刹那、甘いようでいて、酸っぱい、酸っぱいようでいて、舌を刺激する何とも喩えようのない独特の味が舌を刺す。
 しかし、この味は常人では区別できない。幼い頃より父の仕事を見ていて、薬の調合なども手伝ってきた彼だからこそ判る味だ。医薬の知識のない人には、ただの無味無臭の薬だとしか感じられない代物である。
 だからこそ、この毒は怖ろしいのだ。かつて彼の父親はそう言っていなかったか?
 父は長年、町医者をしてきて、腕は確かだった。貧しい患者からは金を取らなかったから、彼の家にはいつも金があった試しはなかった。だが、彼はそんな父を尊敬していたし、父が病で亡くなった後、身体の弱い母と幼い妹の面倒を見るために内官になることを決意したときも、ゆくゆくは尚薬(医者)を目指すつもりだった。
 女官と同様、内侍と呼ばれる内官もまた、殆どが貧しい家の子弟であった。内官になれば、三度の食事は食べさせて貰えるし、出世もできるし、月収も入る。女官は〝咲いて散る花〟と謳われるように女としての盛りを宮殿深くに埋もれさせ、内官は男根を切ることで、女と契り、子をなす宿命を棄てる。両者共に、貧しさゆえに己れの幸せを諦め、宮殿という狭い特殊な空間で一生を終えるさだめを選んだことに変わりはない。
 あの張女官にも恐らくは自分と同様、他人には言えぬ不遇な生い立ちがあるに相違ない。裕福で食べる物に困ることさえなければ、誰が好んで可愛い我が娘を女官になどさせるものか。国王の女といえば聞こえは良いが、ひとたび女官となれば、一生涯誰にも嫁ぐことなく、顔さえろくに見たこともない王に操を立てて独身を貫く宿命を強いられるのだ。
 もし仮に自分に娘と息子がいれば、絶対に女官にも内官にもさせたりなどしない。もっとも、我が身は既に男ではない。この先、まかり間違っても、子を持つことなどないだろうが。
 幾分自棄になり、彼は苦笑する。
 次の瞬間、彼はふいに真顔になると、手の中の土瓶をひっくり返し、中身を勢いよく土間にぶちまけた。
 しかも、あの張女官は国王殿下のお気に入りで、既に寵愛を受けていると専らの噂だ。
 今のところ、殿下があの娘を正式な側室にすることはなさそうだが、殿下がかなり以前―張女官と関係を持ち始めた頃―から、既に位階を与え、側室にしたがっているのを判っている。