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闇に咲く花~王を愛した少年~

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「だが、一つ疑問が残る。女将さんは口にするのは、はばかられるが、実子だと認められることなく屋敷を出されたと聞いている。女将さんには、実の父君や兄であるあなたに恨みがあるはずだ。どうせ、あなたは側室ではなく正室の子なのだろう?」
 当時、同じ父を持っていても、生母が正室か側室かということだけで、生まれてきた子の地位は天と地ほども違った。庶子は一生官職にもつけず、陽の目を見ることもない。裏腹に嫡出の子は大切に扱われ、陽の当たる道を歩くことができた。
 男の堂々とした挙措や人に命令し慣れた者だけが持つ雰囲気は、まさにそれだった。
 男がフッと笑った。
「どこまでも抜け目のないヤツだな。確かに、そなたの疑問はもっともだ。私は何でも無駄にしない性分だ。弟がいれば、弟だって利用する。香月の存在を私は早くから知っていた。苦労した挙げ句、この見世を始めたことも。私はここを訪ねて、惜しみない援助を申し出たのさ」
「貴様、女将さんまで―実の弟まで餌食にする気か?」
 実の母のように慈しんでくれた女将に対して、誠恵は親愛と敬愛を抱いている。香月を食い物にするならば、今ここで、このいけ好かない男を殺してやる。誠恵はチョゴリの袖にひそかに隠し持っていた匕首を取り出そうとした。
 先刻、この男にチョゴリを脱がされた時、ひそかに忍ばせていた匕首を見つけられると一瞬ヒヤリとしたものだが、幸いにも男は気付かなかったようだ。
 侮れない危険な男だと思ったが、もしかしたら買い被りすぎていただけで、たいしたことはないのかもしれない。誠恵が内心そう思った時、男の笑いが思考を中断させた。
「生憎だな。そなたの探し物は、ほれ、ここにあるぞ?」
 ハッと視線を動かすと、その先にあるのは男の手に握られた匕首。
 男はまるで匕首が玩具(おもちや)であるかのように片手だけで持ち、器用にくるくると回して見せた。あからさまに誠恵を挑発している。
 しまった―と臍を噛んでも、もう遅い。男がいつチョゴリの袖から匕首を奪い取ったのか、誠恵には皆目掴めなかった。取ったとすれば、チョゴリを剥ぎ取られたあの一瞬に相違ない。
 実に鮮やかな手並みだ。玄人の暗殺者でも、これだけの手腕を持つ男はそうそういるまい。
「私を見くびって貰っては困る。これでも、若い頃は武官に憧れて、せっせと鍛錬に励んだのだ。若い者にはまだまだ負けはせぬ」
 そのやけに年寄りじみた口調がおかしくて、こんなときなのに、誠恵はクスリと笑った。
「まるで百年も生きた年寄りのようなことを言うんだな」
 男がそのときだけはやけに感慨深げに言った。
「私は今年で五十になった。もう十分、年寄り扱いされる歳だと思うが?」
 誠恵は眼を瞠り、男の顔をまじまじと見つめた。
「どうした、私の顔に何か付いているか?」
 男―孫尚善が笑いながら問いかけてくる。
 この男の怖ろしいところは、顔が笑っていても、けして眼は笑っていないというところだ。冷えた光を宿したまなざしが射貫くように鋭い。誠恵は思わず視線を逸らした。
「いや、その、何というか、思っていたよりは歳が上だったから」
 誠恵が思わず本音を洩らすと、尚善は笑いながら頷いた。
「それは光栄なことだ。そなたほどの美少女、もとい美少年にそこまで直截に口説かれたなら、こんなときでなければ、私も容易にその気になっていただろうに、真に残念だ」
 〝その気〟というのが、誠恵と褥を共にすることだ―というくらいは判る。
 この男もまた同性を平然と抱く―衆道の気があるのだろうか。
 月華楼に連れられてきたばかりの頃は、誠恵は男と男同士が閨で男女のように睦み合うというのが到底信じられなかった。十歳のまだ男女の営みが何たるかもしかとは判らなかった幼い頃の話だ。
 深夜に父と母が裸で絡み合っているのを何度か見かけたことはあっても、具体的にどのような行為をするのかまでは知らなかったのだ。
 しかし、月華楼では、その信じられないことが日常茶飯事に行われ、成長した暁にはいずれ我が身も男娼として客を取るのだと女将に言われた。そのときは我が身が置かれた状況を受け入れられず、ひと晩中、泣いた。
 やがて自分も客を取るのだと言い渡されるまで、誠恵は月華楼が普通の妓楼で、いちばんの稼ぎ頭である名月(イオル)を初め大勢の娼妓たちが女だと信じ切っていた。
 何故、下男として雇われたはずの我が身が来る早々、少女の格好をさせられたのかは全く解せなかったものの、自分はあくまでも下男として雇われたのだと信じて疑っていなかったのだ。後から考えてみれば、そんなはずはないのに、その時、誠恵は女ばかりの廓には、たとえ幼くても男がいてはまずいのか―、だから、自分も女のなりをさせられるのかと安易に考えたのである。
 男が男を相手にする陰間茶屋のような類だとは想像だにしていなかった。
 誠恵が生まれ育った村は貧しかった。わずかばかりの痩せた土地を耕して何とか暮らしているのは、何も彼の家だけではなかった。
 毎年、春と秋に村を女衒が訪れる。必ず幾人かの若い娘が連れられていった。娘は力仕事もできず、たいした働き手にはならないので、親はてっとり早く金を手に入れるために我が子を人買いに売り飛ばすのだ。
 誠恵もまた、そうした女衒に買われた。その時、確かに、おかしいとは思ったのだ。自分は女ではないのに、何故、遊廓に売られる少女たちと共に行かねばならないのか、不審に思った。
 が、大切な商品である少女たちに優しい女衒は、誠恵にこう言った。
―なに、遊廓にも男手は必要だ。使い走りや雑用に使う子どもが不足して、適当なのがいたら頼むと言われてるのさ。
 世間知らずで無知な子どもは、優しげな笑顔と言葉にうかうかと騙されたのである。
 真実を知ってから、誠恵はしばらくは泣き暮らしたが、やがて悟った。
 月華楼は、けして悪いところではなく、むしろ極楽だ。三度の食事はちゃんと食べさせて貰えるし、酒を呑んでは暴れる父親もいない。女将は教養も備えた人だったから、文字も教えて貰えた。
 男に抱かれるというのがどのようなことなのか。それを考えると、総毛立つほどの恐怖に陥ったものの、身体だけなら何ということはない。村で幼なじみとして育ったか弱い少女たちでさえもがやっていることだ。心を殺して、ただ客に身体を開きさえすれば良い。
 そうして何年かを過ごせば、いずれ、晴れて自由の身になれる。と、割り切ったつもりでも、流石にひと月前、女将からいよいよ水揚げが決まったと告げられたときは身体が震えたけれど。
「しかしながら、断っておくが、私は衆道の趣味はない」
 尚善は誠恵の心を見透かしたように言う。
 が、続いての言葉にギョッとなった。
「だが、美しい者に心動かされるのに理由や真理などいるまい。愛し合うことに、男同士であることが何の障りになろう。美しい者を愛するのが罪というなら、私は歓んで禁忌を犯そう」
 物騒な科白に、思わず身体を後退させると、尚善は腹を抱えて笑った。
「正直な娘だ。そなたなら、見事、私の命ずる任務を果たしてくれるに相違ない」
 短い沈黙が落ちた。