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忘れていた風景

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青春の街


 清祥記念会館から出ると猛暑の中、全員が地下鉄の駅に向かって歩きだした。中野は半ば忘れかけていた三十年近くも以前の記憶に、再び舞い戻っていた。
 中野がキャンバスに向かっていると、里子が訊いたことがあった。
「ねえ、清。もしも、赤ちゃんができたらどうするの?」
 婚姻届をしていないその頃の二人は、六畳と四畳半のアパートで暮らしてしていた。中野は職業画家になることを幼少期から夢見ていた。里子は、むしろ本人よりも、それを希望していたかも知れない。
「それは困るなぁ。そうなったら僕も働くしかないな。式はむりだけど、婚姻届をして、
平凡な家庭を築くしかないね。絵もやめてね」
「絵はやめちゃだめ。そういうことだったらおろすわ」
 中野はパレットと絵筆をテーブルに置いて突然怒りだした。
「おろすだって!ばかなことを云うなよ。里子、それは殺人だぞ。それは犯罪だぞ。そんなことを軽々しく云うのはよしてくれ!」
 中野はそう云った。里子は泣いた。号泣だった。
 暫く経ってから、里子は云った。
「大丈夫よ。できないようにしてるじゃない。でも、あなたの絵が認められたら、そのあとは最低、三人は産ませて」
 里子はまだ、涙声で云った。
作品名:忘れていた風景 作家名:マナーモード