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学生とオルゴール

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楽しい夢から覚めた僕が居たのはいつもの黴臭い布団の中だった。向かいのベッドにはもうルームメイトの姿はなく、それはつまり僕が朝食と授業を一緒に寝過ごしてしまったということを如実に示しているのであって、そういうわけで僕は身体を起こす気も起きずもう一度夢の世界へ帰ることにした。
 しかし事はそう簡単には運ばなかった。何せ僕はあまりにも長く寝ていたものだから、気分的には眠れそうなものなのに身体がてこでもそれを拒もうとするし、何より目立ちたがり屋の空腹感があのがり勉ルームメイトの排他的な授業中の発言よろしく睡眠欲を駆逐するのである。
 やれやれ、と呟きながら僕は布団から這い出る。
 ……寒い。
 忘れていたわけではないが、もう十一月なのだ。僕の腹時計に従うならばおそらく今はちょうど昼飯時。一日のうちで一番暖かいはずの時間帯だが、このみすぼらしい寄宿舎のザルのような防寒設備からすれば朝と昼の気温差なんかは誤差の範囲内である。
 やっぱり布団に戻ろうかな……と一瞬考えたが、こうして覚醒してみるとどうだろう、空腹感の自己主張はもはやとどまるところを知らず僕の汚れきった小腸の中を駆け巡っている。そして僕はそれに勝てるほどの優れた弁論家ではないのだ。
 ため息をついて梯子を降り、足が床に触れると、その冷たさに驚き僕は足を滑らせ華麗に宙を舞い、ルームメイトのベッド下の棚にしたたか頭を打ちつける。
「ああ、ちくしょう」
 吐き出す悪態に力はない。これも空腹のせいだ。
 僕はズキズキ痛む後頭部から湧き出すおさまらぬ苛立ちを床にぶつけようと握りこぶしを振りかざす。が、それが振り下ろされることはない。
 階下が鬼の寮監の根城だからだ。サボりというだけでも事なのに、これ以上失態を犯せば笑い話では済まなくなってしまう。折檻どころか退寮かもしれない。
 そんなこんなで僕の怒れる右こぶしは勢いを殺され、結局花弁の上に舞い降りる蝶のごとくそっと優しく床の上に着地することになる。左膝を立てて、こうべを垂れて、これではまるで主に忠誠を誓う騎士だ。……いや僕はそんな立派なものじゃない、せいぜい奴隷がいいとこだ。
 自分で自分の首を絞めるようなこのくだらない連想は、けれども僕にある一条の光明をもたらす。
 奴隷、そうだ。僕は奴隷なんだ。どうしてこれまで気づかなかったのだろう。少し勉強ができるからって調子に乗って無理をして、ケツから二三番目の順位でこんな超名門校に入学しちまって、その挙句がこれだ。朝から晩までぶっ通しで行われる授業にはついていけず周囲からは馬鹿にされ友達もできない居住環境は最悪聖書以外には何の娯楽も自由もない。こんなの奴隷と一緒じゃないか。ただ上に君臨するのが商人か先生かってだけの違いだ。
 決めた、僕は決めたぞ。この寮から出て行ってやろう。だが先に挙げたような、惨めな理由からそれを行ってはならない。敗北者にはなりたくないもの。どうせならかっこよく、粋な捨て台詞を決める感じで堂々と田舎に凱旋したい。
 その熱く煮えたぎる決意の下、冷たく冴え渡った床の上で僕はおよそ二十分間、足りない頭を入学以来のどんなテストを解いている時よりも高速で回転させ、そして素晴らしい結論を導き出した。
 ワルになってやろう。誰もが聞いて呆然とするような大胆な悪行をやって、名誉の退学処分を被ってやる。
 我ながら最高の思いつきだ。親は顔を真っ赤にして怒りそうだが、田舎の友人たちはみんな馬鹿ばっかだから、僕の反骨精神を褒め称え、尊敬の眼差しを送ってくるに違いない。もしかしたら隣のあの子だって振り向いてくれるかもしれないぞ。
 考えれば考えるほど、俄然僕はやる気になってきた。そしてこの気持ちが冷めきらぬうちに、とっととやることをやってしまおうと意気込み、立ち上がってほつれたセーターに袖を通すとすぐさま部屋を出た。

 向かったのは食堂だった。昼食時間は終り、生徒は一人もおらず辺りはしんとしている。僕がここへ来たのは、言わずもがな食事のためである。昼食は指定された時間に食べなければならないというのが規則だが、今の僕にはそんなことは関係ない、いやむしろ好都合だ。
 誰もいない調理場へ忍び込み、勝手に容器にシチューをつぐと、僕は堂々と席について貪るようにそれを喰らい始めた。腹を満たすついでにひょっとしたら誰かに見つかって、目的を達成できるかもしれないという期待に僕は胸を躍らせた。
 半分ほど食べたところで待ち人は来た。調理係のおばちゃんだ。おばちゃんは僕の姿を見ると、小さな目を見張って驚きを表現し、そのまま入口に立ちすくんでしまった。
 僕はそちらに目を向けつつも、口にスプーンを運ぶことをやめない。ああ、なんてふてぶてしい。これにはおばちゃんも呆れ返って、すぐさま寮監の部屋へ直行するだろう。
 ……が、儚くも僕の望みは破れ去った。なんとおばちゃんは僕に憐れむような慈しむような笑顔を向けたかと思うと、扉を閉めて立ち去ってしまったのである。
 僕は驚愕し、憤慨した。
 あんなのに同情されるなんて。
 容器越しに掌に伝わるシチューの生温かさが、おばちゃんの半端な心遣いを思わせ、途端に気分が悪くなり、僕はそれを床にぶちまけた。
 コロンコロンコロン、とスプーンの転がる音が響くのを聞きながら、僕は席を立った。

 次に向かった先は、保健所だった。
 保健所には若くて綺麗な女の先生がいて、寮生たちはみな彼女の虜になっている。だが、言うまでもなく異性間交遊は禁じられているし、何より相手が先生なんてリスクが大きすぎるので誰も手を出そうとはしない。
 けれども裏を返せば僕にとって彼女は最高のターゲットなのである。僕のような、ちびで頭も悪く顔もよくない、要するに何の魅力もない学生に迫られれば、あの純心そうでいかにも箱入り娘って感じのする先生は、間違いなく不快感を露わにして寮監の部屋に駆けこむだろう。
 まあ、女にふられて退寮っていうのは格好悪いから、田舎に帰ったら「女遊びしすぎちゃってさー」とかなんとか言えばいいだろう。うん、こりゃあ最高だ。
 数十分前の失敗など何のその、僕は意気揚々と保健所の扉を叩いた。
「どうぞ」と迎え入れてくれた先生は、これから自分にどんな災難が降りかかるも知らずにこにこと笑っていた。ああ、良心が悲鳴を上げている! ……なんちゃって。
 僕は心の中で勝利を確信しつつほくそ笑み、ありったけのきざな口調でこう言った。
「こんにちは、先生。いやあ、今日もお美しい。実は僕、あなたの美貌にのぼせて近頃毎晩立ちくらみを起こしてしまっているんです。あなたには僕を治す義務がある、そうでしょう? ですから先生、今日はこれから職務をサボタージュして愛の逃避行と洒落込みませんか? いいお店を見つけてあるんですよ」
 我ながら顔から火が出るほど恥ずかしい、気持ちの悪い台詞だが、完璧にこなせた自信はある。
「まあ!」、先生は口をおさえて悲鳴を上げた。よほど効いたらしい。彼女の身体は嫌悪感からくる鳥肌で覆われていることだろう。
 身の程をわきまえないとはこのこと、さあ先生、僕に罰を与えて下さい。
 ところが、次に先生の口から飛び出した言葉は意外なものだった。
作品名:学生とオルゴール 作家名:遠野葯