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「レイコの青春」  13~15

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 この児童福祉法の制定により、日本における保育所政策が
ようやくスタートラインにつきます。
児童福祉法に基づき、1948年(昭和23 年)には、
厚生省内に、法律促進のための「中央児童福祉審議会」が設置されます。
ついで、1951年(昭和26 年)におこなわれた児童福祉法の改正で、
初めて、「保育に欠ける子どもを保育所に措置入所させる」
という文言が、その文章内に盛り込まれました。

 こうして昭和20年代の前半に誕生した保育所は、
徐々に、その性格や役割、制度的位置づけなどを明確にしながら、
運営の進化が本格化をはじまります。


 1948年(昭和23年)には、
児童福祉施設などの最低設置基準も、明文化されます。
措置費という名目で国庫負担の制度も整備され、保育行政にかかわる、
国や自治体の、役割と責任も制度化されました。
この頃までで、ようやく今日に至る保育所制度の基礎が、
法的に整備されたと考えられています。



 終戦の直後のベビーブームによる出生数の増加と、
海外からの引揚などの社会的移動などが引き金となり、この時代における
人口の急増が始まります。
1945年(昭和20年)から、1950年(昭和25年)までの5年間あまりで、
総人口が、いっきに1,000万人以上も増加をしています。



 当時の日本社会とその経済力は、
第二次世界大戦で疲弊したうえに、
敗戦によってすこぶる荒廃しきっていました。
こうした人口の急増を支えるだけの、充分な経済状況にあるとは
とても言えない状態で、その復興さえ危ぶまれていたほどです。


 戦後復興期ともいえる、この5年余りの期間に
相次いで、児童福祉のための施策が打ち出されましたが、状況は、
それほど急速には改善されませんでした。
公設の保育園も、この頃からようやくその建設が始まり、
多くのところで、保育ママと呼ばれる人たちによって旧態依然とした
「託児所」並の施設が運営されました。